第10話 黒煙街の攻防戦 その②
ザイルは大刀をエルド目掛けて振り下ろす。エルドは糸を発射しザイルの大刀に巻き付ける。
「クックッ。」
ザイルは左手の指をほんの少しだけ動かす。それと同時に辺りから無数のナイフが飛び出してきて大刀に絡んだ糸を切り裂く。更にエルドに向けて複数のナイフが飛んでくる。エルドはそれをわかっていたかのように糸を使いナイフの軌道を逸らす。
「流石に、2度も同じ手は喰わねえよ。」
ザイルの魔術は夢幻。自身の魔力を流し込んだ物体を手足のように自在に操作することができる。ただし操作するには自身の魔力を隈なく蔓延させる必要があり、魔力量以上に質量の多い物体は操作不能。
「フッ、ではこれでどうかな?」
ザイルが腕を振ると更に多くのナイフがエルド、更にヴィレヤまでもを襲う。エルドはすぐに糸を張り巡らせ軌道を修正。ただしあまりのナイフの量をさばき切れず1本のナイフがエルドの頬を掠る。
「・・・今の攻撃。私を殺そうとした? いいの? 人質を殺して?」
「クックッ。いいさ。どうせそこの男が守ってくれるだろう。」
ザイルはそう言うと大刀を舌で嘗め回す。
エルドは思案した。敵はヴィレヤも構わず攻撃してくる。ザイルは先程の魔族らよりも格段に強い。今のヴィレヤではいくら策を巡らせようと足手纏い。とはいえ今ヴィレヤが自分と離れればザイルのナイフ攻撃の餌食となるのは確実。
だがこのままヴィレヤを庇った状態でザイルの相手は不可能だ。ジリ貧で今度こそ確実に殺られる。何とか打開策を考えなければ。エルドが思考を巡らせる中、突然ヴィレヤは走り出した。ザイルから逃げ出すように。
「なっ!? 逃がすか!」
ザイルはヴィレヤの足目掛けてナイフを飛ばした。ナイフはヴィレヤの足首周りを切り裂いた。ヴィレヤはその場で転げ倒れ込む。そしてザイルの集中が全てヴィレヤに注がれた瞬間。エルドの糸がザイルを捕縛した。
「何!?」
ヴィレヤがエルドの元を離れ走り出したのはザイルの視線を自身に誘導するためだ。糸はザイルを締め上げる。絶対に逃がさない。そんなエルドの強い意志が糸からザイルにも伝わった。
「カイル・・・仇は討つ。」
エルドは一気に糸を放出。ザイルの全身を糸で覆う。だが再び降り注ぐナイフの弾幕が糸を切り離していく。
「させるかっ!」
エルドは更に勢いを増して糸を放出。ナイフで切られようともすぐに糸を継ぎ足していった。
「クックッ。残念だったな。」
突然ザイルを捕縛していた糸が解けた。解けた糸はまるで意志を持った生き物のように変則的に蠢き、エルドを捕縛した。
「お前は俺の魔術の性質を知らなかったようだな。ただ遠くからナイフ飛ばしてるだけじゃわからねえよなぁ。」
ザイルはナイフで自信を捕縛した糸をナイフを使ってエルドの手元から切り離し独立した糸の塊とした。そしてその糸の塊に自身の魔力を注ぎ込んだ。これにより糸はザイルの魔術の支配下となった。
「さてさて。んじゃ斬り殺してやろう!」
ザイルは大刀を構え、そしてエルドに斬りかかる。そんなザイルの頭部目掛けてナイフが飛んでくる。ザイルはすぐに大刀でナイフを弾く。ナイフを飛ばしたのはヴィレヤだ。彼女はザイルから少し離れた地点にいた。非力な彼女がザイルの元までナイフを飛ばせたのは切り離された糸のお陰だ。ナイフを糸の先端に括りつけ、そしてザイル目掛けてナイフを飛ばした。グロアの鉄球と鎖のように。
「あの餓鬼・・・何者だ? ただの餓鬼じゃねえな。まあいい。」
ザイルはエルド目掛けて大刀を振り下ろそうとした。その時。
「"覇風"」
透明感のあり抑揚の少ない囁くような少女の声が静寂の刻に響き渡る。次の瞬間、ザイルは遥か後方まで吹っ飛ばされた。大通りを抜けて研究所の正門にめり込んだ。大刀は折れ、両腕も拉げ、腹部から胸部の肉は裂けて顔半分も消し飛ぶほどの重症だ。
"覇風"はただとてつもない強風で相手を吹っ飛ばす風の魔術だ。習得難易度自体はそこまで高くはないがその強力さ故に実戦で使いこなせる魔術師は早々いない。
「チッ、とうとうお出ましかい・・・。魔女オーレルよ。」
霧がかった夜道。その向こうから1人の少女が現れる。その気弱そうな少女が人類史上最高とまで言われた魔術の天才であることを一目で信じられるものなどいないだろう。
エルドは安堵しつつも心のどこかで口惜しさを感じた。研究所を抜け、魔族を倒し、幾重もの苦難を乗り越えてきた自身とヴィレヤでも文字通り手も足も出なかったあの魔族を、目の前の可憐であどけない少女はあっさりと完封してしまった。彼女は決して誰も届けない極致にいる。そんな彼女に対しエルドは畏敬の念を抱いた。
ヴィレヤはただ何も考えることなくオーレルを見つめた。1日ぶりの再会だろうか。オーレルを見ていると吸い込まれてしまいそうな気分になる。齢13の少女とは思えないその美しさ、その儚さ、その色気に。ただ今はそれでいい。オーレルになら例え吸われてしまおうと構わない。そう思えた。
「今ので生きているとは。驚きましたよ。」
オーレルはザイルに杖を向ける。その瞳にはヴィレヤもエルドも映っていない。ただ魔術師として目の前の魔族に集中していた。
「フッ、できれば人質は回収しておきたかったが。仕方ねえ。」
ザイルは右腕を再生させ指を鳴らした。それと同時に研究所で大爆発が起こった。燃え盛る研究所からは悍ましい程に強大な魔力量が探知された。
「何だ?」
エルドとオーレルの視線が研究所へと移る。ヴィレヤは爆発など気にも留めずただぼんやりとオーレルを見つめていた。そして彼らの視線が自分から離れたのを確認しザイルは左腕と頭を再生。そしてそのまま路地に向けて走り出す。
「逃がすか!」
エルドは近くに落ちていたナイフを糸に絡める。そしてザイル目掛けて全力で投げつけた。
「グッ。」
エルドの投げたナイフがザイルの左肩に突き刺さる。
「あの餓鬼・・・覚えておけよ。」
ザイルはそう言うと路地の裏へと消えた。その背後にて黙々と立ち上る黒煙。研究所の爆炎の中から1つの人影が現れる。巨大な翼と長い尻尾。神話の生物のような異様な怪物が霧がかった夜の街を舞う。
2.6メートルほどの人型で筋肉質だが、痩せぎすな印象。骨格が伸びており、肩幅が不自然に広い。肌は灰白色、血管が浮き上がって脈打ち、皮膚の下で蠢いているように見える。顔立ちは人間の青年型で整っているが、目が左右に3つずつ、額や頬にもランダムに形成されている。瞳は赤と黒の二重螺旋で構成され、全ての視線がランダムに動いている。頬にまで裂けた口。歯列が異常に細かい。腕は肘から二股に分かれ、指が6本ずつある二重の手になっている。指先からは極細の黒い糸状の魔力神経が無数に垂れ下がる。巨大な蝙蝠のような翼が2対、合計4枚。尻尾は異様に長く、体長の倍以上。刃のような節があり、先端は生物的な“眼球”が存在。視覚神経の延長器官とされる。
「たっ、助けてくれー!」
研究所の門の辺りから男の声が聞こえてきた。看守の男の1人だ。彼は頭から血を流しふらつきながら走っていた。その様子を見た怪物は腕から触手を伸ばす。触手は男の目を突き刺す。そして一瞬にして男の体は干からびその場に倒れ込む。
「あっ、あいつは・・・No.2382!? まずい。オーレル! あいつはやばい! 逃げるぞ!」
エルドの言葉を気にも留めずオーレルは大通りを進みNo.2382の前に立ちはだかる。
「オマエ、がマジョオーレルだナ。」
No.2382はいびつながらも人の言葉を話す。
「そうですが? 私に何か用ですか?」
「オレハ。オマエ、を、コロスタメニ、ウマレテきた。」
No.2382はそう言うと口にエネルギーをため込み、熱戦を放つ。熱戦の威力は絶大であり、それが放たれると同時に爆風が発生し辺り一面を吹き飛ばし更地にした。
「"蜃気楼"」
オーレルの杖の先端が光を帯びる。オーレルが杖を振ると熱戦は異様な曲がり方をした。屈折した光のように反射された熱戦は向きを変え、No.2382の巨大な翼に穴を空けた。No.2382は体制を崩すも羽はすぐに血管のようなもので塞がれ修復された。
「ソウ来ナㇰテハ。オモシロイ!」
オーレルは後ろを振り返った。
「私なら大丈夫ですっ! ご心配なく。それよりあなた方は自分たちの心配をしてくださいっ!」
慣れない大声をふり絞りながらオーレルは叫んだ。エルドは一瞬沈黙したが、足を負傷したヴィレヤの様子を見てすぐに頷き、ヴィレヤを抱えて大通りの反対側へと駆けて行った。エルドは糸をヴィレヤの足首に巻き付け止血した。
「すぐに安全な所まで運ぶ。傷の手当はそれからだ。耐えられそうか?」
「うん。そんなに深くはないし大丈夫。それより、あの怪物は何なの?」
「・・・あれはNo.2382・・・さっきの研究所の博士が創り出した一番ヤバい実験体だよ。多種多様な魔族魔物人間を合成した最強のハイブリッド。残虐で好戦的。知能も高く相手の魔術や戦術もすぐに習得し対応する。正に無敵。そして恐らくまだ試作段階で制御ができないんだろう。厳重に収容されていた。だがオーレルの出現で追い詰められたザイルが何らかの形で奴の収容装置のどこかを破壊したんだろう。あいつの魔術でな。それで研究所事破壊して出てきたと。つまりあれは誰にも制御できない。無限に破壊を楽しみ尽くす天災そのものだ・・・。」
「そうなんだ。」
ヴィレヤはどこか気の抜けた返事をした。あの怪物、No.2382がやばいと言うのは一目でわかった。その身に刻み込まれた生存本能の全てがそれを"やばいもの"だと認識した。だがこの状況に対しヴィレヤはどこか楽観視しているところがあった。No.2382がどれ程強かろうと、あの魔女オーレルが負けるビジョンが彼女には全く見えなかった。
「それにしてもあなたは変わっていますね。ベースは一応人でしょうか? ただ体の至る所から魔族やら魔物やらの魔力が湧き出ています。魔族に改造でもされましたか? 善の心が残っているのなら苦しまないよう楽に殺しますが?」
「ワラワセるナ。ソンナものハ我二ナイ。我ハハカいヲ楽シムモノ。ソシテ、キサマをコロスモノだ。」
No.2382の言葉にオーレルは眉を潜めた。No.2382はオーレルを知っていた。そして彼の発言から考えられるのはこのNo.2382はオーレルを殺すために造られた生物兵器であるということ。なぜ自分なのか。なぜ自分を狙ってここまで大掛かりなことをしたのか。この時点でオーレルは少しだけ嫌な予感を感じ取っていた。
「・・・まあいいです。ひとまず、お手並み拝見といきましょう。」
オーレルは杖を構える。それに対しNo.2382は怯むことなくただじっとオーレルを見つめていた。