第8話 学者の陰謀
「・・・魔族たちの魔力が消えましたね。」
オーレルは立ち止まり呟く。オーレルの目論見通り酒場に放置したメルナの死体はこの地に潜む魔族らを戦慄させた。魔族らは何らかの手段で自身の魔力を人間の魔力に偽装させている。だがそれは普遍的なものではない。精神的な乱れによる魔力の揺らぎにより彼らの魔力は元の魔族のものに戻ってしまう。
「魔力の揺らぎからの探知は読まれていましたか。敵にも中々やり手がいるみたいですね。まあ私の敵ではないでしょうが。」
オーレルはそう呟くと同時に近くの路地の壁にもたれ掛かる。
「・・・解毒したとはいえ、毒霧なり睡眠ガスなり喰らったせいか、不覚にも少し眩暈がしますね。修行不足でしょうか・・・? 昨日から一睡もしてないというのもあるでしょうが。それから長旅の疲労も。あとそれからこの街の慣れない変な空気も・・・。」
オーレルはその場に倒れ込みそうになった。だがもう日も暮れた。一刻も早く魔族らの居場所を見つけなければヴィレヤは殺されてしまう。オーレルは自身の頬を叩いた。
「恐らくここは、魔族らの巣窟みたいなところでしょう。・・・あと少しの辛抱です。ここで魔族を倒せば今回の任務は終了です・・・。さあ頑張りなさいオーレル。」
オーレルは己を鼓舞し、そしてまた迷路のような繁華街をさ迷い始めた。
夜になりどこまでも乱立した建造物の迷宮はネオン煌めく鮮やかな繁華街へと変貌した。僻地なだけあり中央ほどの広さや華やかさはない。だが科学により独自の発展を遂げたこの地からは、まるで異界に迷い込んだような奇妙な美しさを感じられた。多くの建造物が鉄筋制であり石造りが主流のこの世界では全てが異物によりできたような街であった。そんなこの地が発展したのもつい最近とのことだ。
元々グラウ=ベルクは千年以上昔の小国の王族らの避暑地として湖上に建てられた。まだ魔術も使われていないような昔に何故このような建造物を湖上に建てられたのかは不明だ。そんなこの地は広大な面積と湖上に浮かぶその幻想的な姿から冒険者たちが頻繁に訪れるダンジョンと化した。19代国王ヴェルマースの経済政策により北部の地が飛躍的経済成長を遂げた際に北部の物流の中心地となる。そこから少しづつ発展していき北部唯一の中都市となるもここ数年を境に治安は悪化。犯罪件数は日に日に倍増していきやがては行き場を失った犯罪者たちの漂流地となり現在の姿に変貌した。
そんなこの地を人間に扮した魔族が格好の隠れ家とするのは必然であった。だがもし、この必然が何者かによって仕組まれた作為だったとしたら。
街の中央にひっそりと建ち並ぶ無機質な箱の群れ。周囲の雑多なスラムとはまるで違う。白で統一された研究所の中央棟、最上階にはたった一人の男のためだけに作られた"観測の間"がある。
「失礼します。ザイルです。いらっしゃるようでしたらご返答お願いします。」
観測の魔の荘厳で巨大な扉が開かれる。壁も天井も、床までもが無装飾の石材と鈍い金属板で構成されている。まるで地下牢を上下逆にしたかのような異様な閉鎖感。だが、その中心に鎮座するのは、一台の巨大な円形卓モニター。モニターの前には1人の男が鎮座していた。真っ白な外套は、もはや布というより乾いた肉片のように色褪せ、薬品と焼けた血の匂いが染みついている。痩せこけた体を支えるのは、異様に長い両腕と不自然に曲がった背骨。眼鏡の奥に覗く目は、知性というより妄執に近い光を湛え、皮膚は常に火傷跡のように赤黒くただれている。
「よく来たな。ザイルよ。カルドから話は聞いている。ちょうどお主と話がしたかった。今にでも交信受で連絡よこそうと思っていたところだよ。」
前歯の抜けた口を大きく開け、屈託のない笑みを浮かべながら、男は語り始めた。彼の名はハルザム。魔族ではなく人間であり、王都近郊の裕福な中都市に生まれた。
彼は魔術に全く興味を持たず、"これからの時代を変えるのは科学だ"と信じ、研究に没頭していた。しかし、その姿勢は家族や周囲から異端視され、孤立を深めていった。環境が彼を歪めたのか、それとも生来の知的好奇心のなせる業か。彼の実験は次第に過激化し、無関係な人々をも巻き込むようになっていった。
やがて彼の行為は問題視され、断罪を求める声が高まる。追及を恐れたハルザムは街を逃げ出す決意をし、ある夜、魔族と出会う。その魔族は好奇心旺盛で、夜中に一人さまよう老人に興味を抱き、話を聞いた。そしてハルザムの研究を高く評価し、自らの住処へ招いた。見返りとして、魔族への協力を求めたのだ。
ハルザムは承諾し、人間、魔物、時には魔族すらも実験対象とした。そして複数の遺伝子を結合する研究の末、魔力の性質を変化させる薬を完成させる。この薬により、魔族は自身の魔力を人間のものに偽装できるようになった。元から備わっていた擬態能力と併用することで、都市を囲う結界を突破し、人類の社会に潜入することに成功した。
グラウ=ベルクの治安が悪化したのは潜伏した魔族らの巧みな暗躍によるものだった。治安の急激な悪化により商人の多くがこの地を離れ、流れ着いた罪人らが仲間を呼び集め犯罪組織の巣窟となった。僻地ということもあり王都からの干渉もなく治外法権地として独立。暗黙の実験を水面下で行うのに完璧な土地を手にしたハルザムは研究所を設立。魔族らの力を借り犯罪組織を吸収。かくしてグラウ=ベルクの実質的な支配者となったハルザムは今日も自分を救った魔族の為、研究に勤しんでいた。
付け加えると乱立した鉄筋制の建造物は全てハルザムが設計したものである。この異質な都市は魔術ではなく科学の力により発展した地なのである。
「事態は一刻を争います。例の実験体、No.2382の様子はどうでしょうか?」
「No.2382だと? 笑わせるでない。あれはまだ試作品だ。今使う訳にはいかん!」
ハルザムは激昂し目の前にあった実験資料をザイルに投げつける。ザイルはそれを振り払うと怪訝そうな顔でハルザムを睨む。
「・・・それは百も承知です。今の状態では到底制御不能でしょう。ですが今この地にはあの魔女オーレルが来ております。彼女の力を考えれば我らだけでの対処は不能でしょう。」
「ほう?対処不能か。……フン、それで貴様らは何のためにここにいる?ワシはすでに輝かしい研究成果をあげ、多くの産物を“あのお方”に献上しておる。それに比べて、貴様らときたらどうだ。下級魔族の分際で、冥刻の狩人などと名乗るその厚顔さよ。所詮、やっていることはチンケな恐喝と雑魚狩り……滑稽にも程があるわ。うぬらの存在意義がワシには到底理解できぬな。貴様らのような戦闘しか能のないクズどもは、せめてその“戦闘”でくらいは成果を見せてもらわねば困る。ワシも、そして“あのお方”もな。例の人質もいるだろう。貴様らの無計画で稚拙な動きに、ワシを巻き込むな。……これ以上、恥を重ねるなよ。」
「・・・返す言葉もありません。」
「フンッ。まあよい。例の魔術師をワシの元に近づけねばどうでもいいわ。もうよい下がれ。」
「・・・失礼します。」
ザイルは観測の間を後にした。そしてしばらく廊下を突き進み、突き当りの廊下を曲がるとその場で立ち止まった。大きく息を呑み深呼吸した。それから突拍子もなく目についた部屋の扉を蹴り上げた。扉の向こうから甲高い悲鳴が響く。それと同時に廊下の向こうからギィ……ギリギリ……と金属が固い床をゆっくりこすっていく音が鳴り響く。ザイルの愛用していた大刀が、飼い主を見つけた子犬のように勢いよく彼の元へと駆け寄ってきた。
ザイルは大刀を手に取り、それを扉に向けて振りかざす。扉が破壊される。部屋の中にいた実験体。体長2メートルほどの人型の生物だ。実験体は四足歩行でザイル目掛け一目散に駆け寄る。ザイルは大刀で実験体の首を跳ね飛ばした。
「・・・ふう。すっきりしたぜ。俺の欠点は怒りっぽいところだな。下手にキレるとオーレルの野郎に探知されちまう。にしてもあのジジイ・・・。人間の分際で厚かましい面しやがって。今に見てろよ。」
ザイルは目の前で息絶えた実験体に唾を吐きかけその場を後にした。
「カルドの奴は話は通したと言っていたが・・・奴らもそろそろ切り頃かな。」
ヴィレヤたちの幽閉されていたフロアB-2は見張りがほとんどいない。その為脱出は容易かに思えた。
「待て。止まれヴィレヤ。」
エルドの言葉にヴィレヤは足を止める。エルドはヴィレヤの前に立つと慎重に糸を伸ばす。長い長い廊下の果て。コツンッ、コツンッと足音が鳴り響く。何者かが階段を上がる音だ。
「どうする? 隠れる?」
「いや無理だ。この感じ、きっと俺たちに気づいてる。殺気でわかる・・・。長丁場になればなる程こちらは不利になる。ここは正面突破しかない。」
エルドはナイフを握りしめる。そして廊下の床、天井、壁、至る所に糸を張り巡らす。
「ひゃっ。ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃっ!!!」
甲高く薄汚い笑い声が廊下に響き渡る。
「お肉の匂いがするー! 血の匂いもだっ! なんだろうと思って来てみれば。うーん。まだ若い、男の子と女の子の匂いがするっぞ! 男の子はわかんないけどー。女の子なんてこの研究所にいたっけなあ? 俺馬鹿だからあんま覚えてないけどお。実験体が逃げ出したのかな? それとも或いは、カルドの言ってた人質だったりしてっ!」
声の主は突然走り出しエルドとヴィレヤの目の前に飛び出した。手には人の頭ほどの鉄球の括りつけられた鎖を持っている。
「冥刻の狩人が一角、グロア!見参! ひゃひゃっ! これはびっくり! 女の子と男の子だ!しかも人間の! これってあれだよね? 実験体とあと人質のあの子だよね!?」
ヴィレヤを見たグロアは舌なめずりをした。
「うーん。人質・・・。殺しちゃ駄目だよねー。でも俺お腹空いてるし。まっ、いっか!」
グロアはヴィレヤ目掛けて鉄球を飛ばす。エルドはすぐさま糸を伸ばし鎖に引っ掛ける。糸により軌道を逸らされた鉄球は壁に衝突する。壁を突き破った鉄球は予め張り巡らされた糸に絡まる。
「よし、今だ!」
エルドはガラ空きになったグロア目掛けて前進する。グロアは鉄球を糸から引きはがそうと踏ん張るのに必死で目の前に現れたエルドを気にも留めなかった。
「貰ったっ!」
エルドはナイフでグロアの頭部を引き裂く。更に糸を伸ばしグロアの胴体に巻き付ける。
「魔術の使えない俺に魔族狩りなんてのは難しい。だが脱獄の邪魔にならないよう再起不能にはなってもらうぜ。」
エルドは再びグロアのこめかみにナイフを突き立てる。魔族の弱点は頭部だ。人間と比較にならない生命力と再生力を持つ魔族だが頭部を一撃で破壊すれば殺すことが可能。無論エルドの持つ小さなナイフ1本でそれは時間がかかり過ぎる。だが頭部にダメージを与え続ければ弱らせることは可能だ。グロアは下級魔族だ。ナイフで3突きほどすればしばらくは動くことも儘ならないだろう。
だがグロアは平然と動いた。自身のこめかみにナイフを突き立てられた状態でエルドの腹を殴り飛ばす。すさまじいパワーにエルドの体は浮かび上がり後方の壁に凹みができるほどの力で激突した。
「ばっ、馬鹿な・・・。早すぎる。」
グロアの頭は既に再生していた。エルドはその場に倒れ込む。グロアは全身を掻きむしった。肌が焼け爛れたように変色し、筋肉が過剰に膨張。腕が鉄のように硬化し、血管が赤く光る。背から骨の棘が飛び出し、戦うたびに肉が再生して盛り上がる。
「ひゃっひゃっひゃっ! 俺の魔術は"超速再生"! 再生速度だけなら上級魔族以上! 凄いだろっ!」
グロアは鎖を引く。糸が引きちぎれ鉄球はグロア目掛けて飛んでくる。鉄球はグロアの腹を突き破り廊下の奥へと飛んで行った。
「ひゃっ! 力を入れすぎちゃった!」
グロアの腹は一瞬にして再生した。だが再生時の一瞬の隙。それをエルドは見逃さなかった。エルドはグロアに掴みかかる。そして糸でグロアの体を縛り上げる。
「ヴィレヤ! 今の俺たちじゃこいつは分が悪い! お前は先に逃げろ! こいつは俺が押さえておく!」
エルドは糸を伸ばしヴィレヤの体に巻き付ける。自身でグロアを押さえている間にヴィレヤを糸で持ち上げ一瞬で廊下の奥まで飛ばすつもりだろう。
「燈現」
ヴィレヤは指先から出したか細い炎で糸を焼き切った。
「ヴィレヤ・・・。」
「できないよ。だってこいつは私のせいでここに来た。私があの男を殺したから。血の匂いを嗅ぎつけてきた。自分で蒔いた種なんだ。けじめは自分でつける。」
炎が薄暗い廊下を照らす。ヴィレヤはグロア目掛けて一直線に前進した。
「そんな炎で、なんのつもりだい? ひゃっ!」
グロアは丸太のような太い足でヴィレヤの腹を蹴り上げる。それがわかっていたかのようにヴィレヤは小枝のように細い腕で急所を守っていた。エルドが押さえつけていた為骨折で済んだが、下手をすれば今の一撃でヴィレヤの体は潰れていたであろう。
だがそれでもヴィレヤは止まることなくグロア目掛けて前進する。エルドは慌てて糸を引き出しグロアを縛り付けようと試みるもグロアの怪力で巻き付いていた糸は千切られ振り払われる。グロアはエルドを殴り飛ばした。そして続けざまにヴィレヤを蹴り上げた。次の一撃はかなり重いものだった。ヴィレヤの体は宙を舞う。グロアの顔ほどの高さ辺りまで打ち上げられた時、ヴィレヤは不敵な笑みを浮かべた。
「ひゃ?」
グロアはその様子を見て首を傾げた。次の瞬間ヴィレヤは指先に灯った炎を天井。火災探知機に向けて翳した。火災探知機が鳴り響く。それは自殺行為だ。すぐさま看守らが駆け付ける。となればヴィレヤもエルドも袋の鼠だ。その程度のことなら知能の低いグロアでも十分理解可能であった。
「ハッ、なるほど。」
ヴィレヤの意思を汲み取ったエルドも不敵な笑みを浮かべる。その様子を見てグロアは更に困惑した。困惑して隙だらけのグロアにエルドは糸を発射する。エルドの意図はグロアの目に巻き付く。
「待て。何をした? くそっ! 糸が絡まって何も見えねえ! お前らっ! 何をしたっ!」
叫びまわるグロアを後にエルドはヴィレヤを抱えてその場を離れた。
「馬鹿野郎が。やっぱお前、ぶっ飛んでるわ。この土壇場で、こんなハッタリなんざかましやがって。」
「・・・相手を殺す手段がない以上は、何とか足止めして逃げる時間を稼ぐしか方法はない。今の魔族、そこまで知能は高くないようだけど、勘が結構鋭くて、やけに敏感なところはあった。ああいう連中は適当に奇想天外なことしておけば勝手に考え込んで自滅する・・・。それを汲み取っての糸での目潰しは見事だったわ・・・。」
「・・・お前マジで何者だよ? にしても無茶しやがって。当たり所悪ければ即死だったぞ。それに奴が蹴り上げなかったらどうする気だった?」
「私は、ただの奴隷よ。ただ私の住んでたところはああいう連中が凄い多かった。だから扱いに慣れてるだけ。もし蹴り上げられなければ向こうが蹴り上げてくるまで何度でも特攻すればいい。」
「・・・こりゃクレイジーな野郎だぜ。」
看守が集まってくる前にエルドとヴィレヤは研究所の裏口へと抜けた。裏口から路地を伝って街中央の大通りへと出る。
「おいおいマジかよ。」
エルドはその場で立ち止まった。エルドの目の前にいた3人の男。彼らが魔族であることをエルドは知っていた。
「あれ? 君、どこかで見たような?」
ヴィネスはエルドを見て首を傾げる。その隣でカルドは鬼の形相でヴィレヤを睨む。
「お前、何故ここにいる?」
ヴィレヤがカルドと対峙した際、カルドは魔族の姿であった。だがその甲高い声を聞いた瞬間、ヴィレヤはカルドがあの夜の魔族であることをすぐに理解した。
「おい、あの餓鬼ってもしかして?」
ノイルはヴィレヤを指さす。
「ああ。例の人質の餓鬼だ。」