第十五話「ゼクスとイェナ」
特定警戒魔獣が全て倒され、ミェンリンや散り散りになっていた者たちが神殿に戻ってくる。
竜を倒しても周囲が腐魔領域化しているため、そのうち一等黒魔が大量に発生してしまう。
この場に腐魔領域の正常化ができる者は何人かいる。
しかし神殿に先にいたのがベルバレットだったため、ゼクスたちは彼に正常化を任せた。
腐魔領域が消滅し、皆が神殿で休憩を取る。
疲労や先の対竜の共闘もあってか、魔法師達は団やパーティの垣根を越えて談笑していた。
ベルバレットが船から軽食を持ってきて団員以外の魔法師たちにも振る舞う。
ゼクスは神殿の左方、皆から離れた静かな場所で巨象にもたれかかって空を眺めていた。
ベルバレットが彼のもとに来てジュースの入った瓶を差し出す。
ゼクスは軽く礼を言って受け取り、冷えたジュースを喉に流し込んだ。
「ずっと、疑問に思っていた。君はなぜイェナのそばにいるんだ。依頼とはいえ話せば父上も取り下げてくれるだろう?」
「別に嫌じゃないから、依頼の取り下げを願い出てないだけですよ」
「だがイェナも俺も、君にとっては親の仇だ。普通は避けたいと思うはずだろ」
八年前ゼクスの父、魔王クロス・テンペライオは魔力が暴走し制御不能になったところを、相棒の勇者エドウィルに打ち滅ぼされている。
ゼクスが勇者の親族であるイェナたちに負の感情を抱くこともありえる話である。
ベルバレットに問われて彼は視線を下げ、瓶に映る自分の顔を眺めた。
「……魔力の多い親父が暴走したら危険なのも、世界を守るためにはその危険を排除しなきゃいけないのも、それを遂行した勇者が救世主と言われるのも当然です。エドウィルさんのことは苦手っすけど、仮にも親父の相棒だった人です。頼みは聞き入れますよ」
亡き父をよく知る人、父についての記憶を持つ人はゼクスにとって父親の形見のようなものだった。
だからこそ、思うところはあれど依頼を断らなかったのである。
「ただ、確かに俺は最初イェナを敬遠していましたよ。接し方が分からなかったし、ヘタに深く関われば親父のことで暴言を吐く気がして、怖くて。うまく関係を築けていなかった。けど、あるときイェナが話をしてくれたんですよ」
「話? 何のだ」
「……秘密です。それで、俺はその話を聞いてアンタらフォーリスハイン家の事情も考えねーといけねえなーって、思ったわけですよ」
「そんな単純な話じゃないだろ」
「これが案外、単純な話なんすよ。イェナが興味深いことを言うもんだから。つい、信じてみようってなったんですよ」
ゼクスはすっかり橙に色づいた空を見上げ、眉を下げて笑い昔のことを思い返した。
* * *
八年前ゼクスがイェナと出会ってから、二人は互いに微妙に居心地の悪い共同生活をしていた。
お互い必要最低限の事務的会話しかしていなかったが半年経ったある日、イェナが話を持ち掛けてきた。
「ゼクス。少し話したいことがあるの」
その顔つきは固く、真剣な眼差しで見つめられてゼクスも肩に力が入る。
「この話をすると、ゼクスが嫌な気持ちになっちゃうかもしれないからずっと言えなくて。でも、ずっとこのままも良くない気がして……私、お父さんたちのことについて、ゼクスと話がしたい」
ゼクスの眉がピクリと動く。
父のことを口に出されても激昂することはないが、視線を下げて顔に影を落とした。
「……悪いが、勇者の英雄譚を話す気なら、俺はお前を言葉で傷つけるかもしれない」
「ううん、違う。私が話したいのは英雄譚じゃない。むしろ私は、皆の称える勇者エドウィルに違和感を抱いてるの」
「違和感?」
ゼクスは怪訝そうな顔をした。
父である勇者に違和を唱える彼女の方が、ゼクスにとっては違和感がある。
問い返されてイェナはうなずいた。しかしそれ以上は詳しく話さない。
クロスとエドウィルについて言及することになってしまうため、ゼクスの了承を得るまでは話を進めないでおこうという彼女なりの配慮だろう。
ゼクスは困ったように眉を下げ、頭を掻いて小さくため息をついた。
「別に俺は、勇者を恨んだりはしてない。人としては、ちょっと苦手だけどな。親父が魔力を暴走させたなら、いろんな人が危険にさらされる。勇者はそれを止めただけの話だ。そこで勇者を恨むのは、ただの八つ当たりと逆恨みでしかない」
だが息子だからなのか、父親が魔力を暴走させたなど信じられなかった。
周囲の反応に頭では納得したうえで、それでも気持ちの問題でうまくイェナたちと関わることができなかった。
「俺はただ……今はまだ勇者やその家族のお前らを、好きになれない、受け入れられないだけだ。だが勇者賛美や魔王罵倒をしないなら、聞いてみたい。お前の感じた、勇者エドウィルの違和感について」
ゼクスは視線を上げ、まっすぐにイェナを見つめる。
イェナも見つめ返してうなずき口を開いた。
「お父さんは――何か隠していると思うの」
「隠している……?」
「クロスさんは私の師匠なの。私は魔力が多すぎるから、お父さんがクロスさんに魔力制御の訓練を頼んでくれていたの」
ゼクスに出会う前から彼の父親と接点があった。
間近でクロスの考え方に触れていたイェナは、ゼクスと同じ疑念を抱いていた。
「師匠は、魔力調整を一番重要視していた。そんな人が魔力を暴走させたなんて、考えられなくて。それに師匠が亡くなってからお父さんが少し、本当に少しだけ、様子が変わったの」
それはおそらく家族にしか見抜けない、ほんのわずかな些細な違和感だった。
「勇者の英雄譚を聞くたび、お父さんは普段と違う様子になってた。それは師匠のことで辛い気持ちや悲しい気持ちになっているんじゃなくて……まるで、嘘をついているみたいに」
ゼクスは目を見開いた。
仮にエドウィルが嘘をついていたのだとしたら、広く語られる華やかな英雄譚に描かれたものとは別に、父が死んだ理由が隠されているかもしれない。
イェナは椅子から降りてゼクスのそばに来て、彼に手を差し出した。
「ゼクス……私と一緒に、真実を探してほしいの。お願い、できるかな」
関係性を考えれば共同作業など不快なだけかもしれないと、イェナは眉を下げて申し訳なさそうな表情で尋ねた。
もしかしたらイェナの予想は見当違いかもしれない。
エドウィルの違和感など杞憂で、英雄譚に描かれたものがれっきとした真実で、それ以上はないのかもしれない。
だが、ゼクスにとっては父の名誉を挽回できるかもしれない、思ってもいない提案だった。
その小さく不確かな希望を、彼女の手を、取らない理由などない。
ゼクスは視線を下げて口を開いた。
「なあイェナ。お前の師匠は、どんな人だった?」
イェナは問われて「へ?」と抜けた声をもらす。しかし、にっこりと満面の笑みを浮かべた。
「すっっごく、優しくてかっこいい人!」
ゼクスはフッと笑い椅子から降りる。
「当たり前だ」
自慢するように晴れた表情でイェナの手を取った。
* * *
早くも一ヶ月の時が流れ、魔法祭の最終日。ゼクスはイェナと共に魔獣討伐に出ていた。
終了時刻が近づき、夕日が世界を赤黄色に染め上げていく。
切り上げて帰る者もいればギリギリまで魔獣探索や討伐を粘る者もいた。
終了時刻とともに、セーズとマーズが法螺貝の太い音を鳴らして競技終了を知らせた。
国の外にいる魔法師たちはで投影魔法で中継映像を出す。
国の中では貝の音と共に観客が歓声を上げていた。
『皆々様ー! とうとう楽しかった競技も終了だよー!』
「これは……競技開始前では予想していないかったことが起こっていますねー」
ミレイセム王国の映像から聞こえるマーズの声に続けて、セーズはまだ映像に映していないランキング表へ目を向ける。
そこに示された順位に驚いていた。
『ではではー、皆が気になるスコアをババンと出しちゃうよー! はあーい、ババン!!』
マーズのふざけた掛け声と共に、闘技場と映像にランキング表が掲載される。
大勢の魔法師の名が並ぶなか、三位より上の二枠が空白になっている。
「なんと! ポイントのみを換算した場合、一位は同着で二人います! 灯聖騎士団団長ベルバレット様と、白帽魔法師のゼクス・テンペライオです!」
セーズの声に合わせて、空白になっていた二つの枠にゼクスたちの名が入る。
しかし左側の順位は表示されていない。
『同率スコアのときは、特定警戒魔獣討伐で与えられる星の多い方が一位になるよ! ゼクスさんの星は四つ! ベルバレット様は……なんと五つ!』
「栄えある第一位は、ベルバレット様です!!」
表に順位が追加され、闘技場が大きな歓声に包まれる。
一位は彼で当然だという声が多い反面、ゼクスの順位やスコアに不満と疑念を持つ声も散見された。
興奮冷めやらぬまま、授賞式のために司会は魔法を使い、三位までの魔法師たちに通達を送った。
ゼクスの手元に緑色の光が現れ、魔力粒子が凝固して手紙に変化する。
手紙の最下部には、赤色の魔法陣が描かれていた。
陣の文字列の中に特定の場所の情報を組み込み、どこからでもそこに転移できる特殊な魔法である。
ゼクスはイェナの手を握り、陣に魔力を込めて転移した。
闘技場に転移するとゼクスはイェナから離れてセーズのもとにくる。
既にベルバレットがいて、ピオドール皇国の中継映像に三位の魔法師が映された。
長い金髪に赤い目と、尖った長い耳を持つエルフの女性である。
表彰は一位と三位の時のみ賛美に囲まれ、二位のゼクスにはざわつきやブーイング、こそこそしたと陰口が飛び交う。
催しが全て終わり、祭りが幕を閉じても周囲の盛り上がりは冷めずに余韻を残していた。
ゼクスはイェナやベルバレットと共にギルドに戻る。
奥の一室に行き、ゼクスとベルバレットが向かい合う形でソファーに座った。
イェナはゼクスの隣に座るが、彼が暗い表情で視線をさげていて心配そうにする。
「……あれだけ啖呵切ったのに、結局あなたに勝てなかった」
ベルバレットに勝つつもりで魔法祭に挑んでいた。
彼に実力不足だと判断されれば、イェナがベルバレットの監視下に置かれ自由に生活できなくなってしまう。
下げた視線の先で両手を握りしめた。
「さて、魔法祭前に話したこと、覚えてるかな。『実力不足だと感じた場合、イェナの監視役から降りてもらう』って話」
ベルバレットに目を向けないまま、ゼクスはグッと唇を噛み締める。
「イェナは――このまま君に任せるよ」
「……え?」
ゼクスは勢いよく顔を上げて間抜けな声をもらした。
目を見開き、戸惑った様子の彼にベルバレットは眉を下げて笑った。
「ははっ、なんて顔してるんだ。言っただろう? 実力不足だと感じた場合は、って。そう感じなかったから別に今のままでも構わないよ。俺は最初から、勝敗で決めるつもりはなかったしね」
「そ……そう、ですか」
ゼクスは唖然としつつも、安堵の息を吐きソファーの背もたれに体を預けた。
イェナは柔らかい笑みを浮かべてゼクスの顔を覗く。
「そんなに心配だった?」
「当たり前だろ。お前の生活かかってんだから」
からかってくるような表情で見つめられ、ゼクスはイェナの頬を軽く摘まむ。
「いひゃいー」と文句を垂れる彼女を離れさせ、立ち上がってベルバレットをまっすぐに見据えた。
「必ず、あなたを超えて見せます」
金色の目の奥で闘志が煌めく。
その目に射抜かれて、ベルバレットはフッと笑った。
「楽しみにしているよ。ゼクス・テンペライオ」
彼も立ち上がってゼクスと握手を交わす。
(ゼクス。一対一で考えれば、君は既に私を超えているよ。おそらく私は今この時であっても、君には勝てないだろうな)
ベルバレットは、ゼクス自身が気づいていない戦力差を察していた。
呟きが心中で広がり、静かに溶け消えていった。
ニヴライト神殿ーー先日のドラゴン八体の戦闘により、柱や屋根のところどころに傷が入っていた。
神殿のカリアティードが夕日に照らされて色づく。
藍色の髪の男が、神殿の椅子に座って中継映像を眺めていた。
二十代後半ほどだろうか、頭の上に黒帽を乗せている。
黄色の目に映るのは、中継映像の中のゼクスとベルバレットである。
いつの間にやら、彼の隣にもう一人黒帽魔法師の男性が現れた。
黒髪の彼は足音一つ立てずにここまで来たようである。
「ビルスターツ様、そろそろ」
藍色髪の男性に頭を下げて彼の名を呼ぶ。
「ええ。分かっています」
ビルスターツは椅子から立ち上がるも、その視線は未だに中継映像へ向いていた。
「ネオ。ようやく、べスタート王国の勇者候補と魔王候補が決まりましたね」
「はい……本当に皮肉なものです。やはり、運命は連鎖するのですね」
ネオと呼ばれた黒髪の男も中継映像へ目を映す。
「この世代で、連鎖を止められる者が現れると良いですが」
ビルスターツは憂いを帯びた表情で投影魔法を消し去った。