第十一話「暴虐の魔女」
一帯を覆う光が収まり、湖付近にいた一等黒魔は全滅していた。
ミェンリンの防御結界が粉々に砕け散って、ガラスの割裂音の様な甲高い音が鳴らす。
結界を張っていたはずなのに、ミェンリンの左腕から血が流れていた。
しかし彼女自身は無事なため、魔獣誘引魔法の陣はまだ消えていない。
せっかく魔獣を全て消したが、また黒魔が沸き始めていた。
ミェンリンは痛みに少し表情を歪めて片手で左腕を押さえる。
治癒魔法を発動させてイェナへ視線を移した。
「いったい、どういう……」
イェナは防御結界も治癒魔法も解除していない。
それなのに先ほどの魔法には莫大な魔力が注がれており、一撃で黒魔を全て消滅させる強烈な威力を出してみせた。
「確かに『普通は』防御と回復を止めて攻撃に集中しないと、あの状況を打開できない。でもそれは、あくまでも自分の保有魔力が必要量に足りない場合だけ。魔力が事足りるなら、魔法の同時発動は四つや五つに留まらない。十や二十の魔法を一緒に放つことだってできる。さっきみたいに多くの魔力を消費した魔法も撃てるんだよ」
イェナは結界や治癒魔法をそのままに、魔法陣を六つ展開させて電撃魔法と水魔法を放った。
ミェンリンは腕の治癒を中断して飛行と転移魔法で攻撃を避ける。
「ッ、有り得ない。生命の一個体が保有できる魔力には限度がある。一定量を超えた魔力は人の肉体を内側から破壊して死に至らしめるはずだ」
十も二十も魔法を同時発動するには、莫大な魔力が必要となる。
しかしそれほどの魔力を人ひとりが持つのは難しい。
人は魔力と肉体が同調しやすく、腐敗魔力だけでなく新鮮な魔力も人族に大きな影響を及ぼす。
体内の魔力は年月や環境の変化などを受けて自然増幅するが、体が必ずしも増幅を受け入れられるとは限らない。
多量の魔力に耐えられない場合、肉体は崩壊を迎える。
「どんなイカサマを使ったのか知らないけど、私が倒すはずだった黒魔たちのポイントは、全て君に奪われた。だけどアレを連発できるほどの力は持っていないはずだ。私の邪魔をするんだったら、二度と立ち上がれなくなるまで君を潰す」
ミェンリンは結界を二重に張り、足元に赤い魔法陣を発現させる。
陣に魔力を込めて詠唱を始めた。
精霊イフリートの魔力に大気魔力が共鳴し、魔力粒子が熱を帯びて赤い光を放つ。
「焼き付けられた記憶の破片よ。燃え尽きる惨劇の末路を。荒れ狂う業火を今ここに――燃やし尽くせ! インフェルノ!!」
上空に周辺を埋め尽くす巨大な炎の渦が発生し、強い光と灼熱を持ってイェナたちへ放たれた。
炎は結界を簡単に破壊し、大きな衝撃音を響かせ突風を生み起こす。
煙が風邪に乗って舞い広がり視界を占領していった。
ミェンリンはトンファーで煙を薙ぎ払い、冷めた緑眼でイェナたちのいた方を見おろす。
煙が晴れて見えたのは数十に重なった結界で、その中でイェナは無傷のまま立っていた。
(食らっていない……あの量の結界を一瞬で生成したのか。いや、それだけじゃない)
ミェンリンは違和感を覚えて周囲を見回す。
あれだけ大きな炎が降り注いだのに草木は燃え上がらず、わずかな焦げ臭さすら流れてこない。
(周りで火事が起こらないように防火魔法をかけたのか。しかも、一部だけじゃなく、この広い湖一帯に)
一瞬で結界を内側に何重も張って、さらに二次災害が起こらないように冷静に対処するなど、消費する魔力量が桁違いなのはもちろん、余程の余裕がない限りすぐにできるものではない。
「器用な子だ」
余裕を見せつけられた状況に、ミェンリンは苦い顔をしてイェナを見おろした。
「じゃあ……こっちもいくよ」
イェナは魔法で杖を生成する。
先端が二叉槍になっており、二つの刃の間に水色の玉が浮いていた。
魔法を発動させる際に補助する役割を持つ魔石である。
石がもともと持っている魔力に加えて持ち主の魔力を蓄積するのだが、イェナは杖の魔石に普通の数倍の魔力を込め始めた。
魔力を受けて玉が水色から黒に染まっていく。
「! まさか闇属性のッ」
魔石の色に目を見開き、飛行して後方にさがる。
しかしイェナが目の前に転移して勢いよく杖を振り降ろしてきた。
ミェンリンはとっさに結界を二重に張る。
「ヴァスヴィム」
イェナの魔法詠唱と共に杖が闇属性のエネルギーをまとう。
杖はミェンリンの結界に当たった瞬間、魔力を一気に膨張させて強圧を叩きつけた。
結界が二枚とも甲高い音を立てて砕け散り、魔力膨張の圧が直接ミェンリンに襲いかかる。
トンファーを構えて防御姿勢を取るが当然それだけでは抑えきれず、地面に叩き落とされて衝突音と土煙が広がった。
ミェンリンは地面に背中を強打して苦悶しながら、咳を吐いて立ち上がる。
圧がより強くかかったのか右腕の骨が折れていた。
すぐにイェナが接近し、ミェンリンは距離を取るため上空に転移する。
しかし転移が完了した時には、既にイェナが彼女の背後を取っていた。
後ろから多量の魔力を察知してミェンリンは驚いて振り向く。
「ヴィスヴィア」
イェナの指示に従い、杖が至近距離で闇属性の魔力弾を撃ち放った。
結界を張ってもおそらく容易に破壊されてしまう。
ミェンリンは飛行魔法を解除して落下し魔力弾を回避した。
距離を取られてもイェナはそちらに杖を向けてすぐに魔法を射出する。
「ヴルドム」
ミェンリンを囲むように三つの魔力弾が出現し彼女に襲いかかった。
ミェンリンは結界を張って防ぐが、魔力に押されて結界が砕け散る。
(ッ、一射の魔力量が多すぎる。闇属性は他より必要魔力量が多いけど、それにしても無駄なほど多量に注入されている……なのに、なんでこんなに何発も撃てるんだ)
再び周囲に魔力弾が現れ結界を出し砕かれを繰り返す。
しかし魔力弾の生成速度に結界が間に合わず、腕や足に当たって血が流れた。
(そういえば以前、帽逆の魔女が盗賊団を壊滅させたことがあった)
盗賊の強襲でギルドの従業員が瀕死になり、イェナはその報復を行なった。
その盗賊は全員、二度と武器を持てなくなり、喧嘩すらできなくなってしまったらしい。
その時に盗賊が騒ぎ立て、『暴虐の魔女』と揶揄していた。
(普段のイェナータの性格から「盗賊が大袈裟に騒いでいるだけだ」と言われていたが……あの呼び名は、おそらく誇張じゃない)
ミェンリンは痛みに眉を寄せ舌打ちし、次に魔力弾が出てきた瞬間を狙って離れた上空に転移する。
「ヴェルゼヴィア」
イェナは転移直後の隙をつき、魔法を発動させる。
ミェンリンの周囲三六〇度から闇属性のレーザーが撃ち放たれた。
結界を張るが貫かれてしまう。
四方を囲い断続的に射出されるレーザーがミェンリンを襲い悲鳴が轟いた。
煙が生まれて彼女の姿が見えなくなる。
しかし煙の中から炎の剣が複数放たれ、イェナは杖で叩き落とした。
煙が晴れ、血を流したミェンリンが視界に映る。
彼女は荒い息を吐きつつも未だ戦闘体勢を解いておらず、魔導誘引の陣も消えていない。
イェナの脳内に、かつての師の言葉がよみがえる。
『いいか、イェナ。時と場合によっては、何を言っても矛を収めない人もいる。そういう時は、もう力で分からせるしかないな』
その人物はゼクスの父親、魔王クロス・テンペライオだった。
イェナは団員たちへ視線を向ける。
治癒魔法で大きな傷は治っているものの、怯えて震えている者や腐魔酔いで倒れている者が多い。
ラフィリアは先ほど魔獣の魔法で胸を貫かれており、激痛から気を失っていた。
(相手は私の大事な人を傷つけた。殺さない範囲なら、どれだけ威力をともなっても構わない)
イェナは目を閉じて奥歯を噛み締め、杖を握る手に力が入る。
『シショー。力で分からせるって、何をすればいいのー?』
『そうだなあ。とりあえず……相手より強い魔法を叩きつけて、相手の戦意を根こそぎ剥ぎ取るんだ』
イェナは杖の魔石の大量の魔力を流し込む。魔力が押し込まれた魔石はエネルギー過多で、バチバチと黒い電撃をこぼしていた。
まぶたを開いてミェンリンを睨む。
(この人の戦意を、滅却する)
手の中で杖を回し、杖で地面を叩く。
彼女の足元に大きな黒い魔法陣が展開された。
「ーーヴォルデガンド」
杖を前に突き出し、魔法の名を口にする。
轟音を鳴らし、杖から巨大な黒い闇属性の砲撃が放出された。
黒い光を前にミェンリンは目を見開く。
(! ダメだ、死んじゃう……)
圧倒的な力を前に死の恐怖が湧き上がる。
本能が悲鳴を上げるが、体は硬直して動かなかった。
今まで押し殺していた感情が引き上げられ、涙が漏れて頬に流れる。
しかし砲撃が当たる直前、何者かがミェンリンの目の前に転移し、大量の魔力を消費して結界を張り砲撃を防いだ。
衝撃音と煙が周囲を占領する。
イェナは防がれて驚くが、妨害者が結界を出すと同時に体内魔力が急減していて自分の手を見つめる。
その視線をミェンリンのいる方へ移した。
煙の中から大きくため息が聞こえる。
「やりすぎだアホ。国際指名手配されたいのか」
煙が晴れて見えたのは、ゼクスの姿だった。
「ゼクス……」
「ったく、あの人が師匠だったっていうから何となく想定はしてたが……順調に脳筋の悪いところ引き継いでるじゃねーか」
ゼクスは頭を掻いてイェナの前に降り立ち、彼女の頭に軽く手刀を入れる。
「あいたッ。いや、あのっ……別に当てる気はなかったんだよっ? ちゃんと当たる直前に間に結界を張って消滅させる感じで。ほら、師匠もビビってちびらせるくらいがちょうどいいって」
「はあ、オヤジのやつ……あれは頭おかしいやり方だから。真似しちゃダメなやつだからな」
自分の父親がかつて弟子に教えた奔放な方針を聞いて、ゼクスは悩ましげに頭を押さえた。
ミェンリンは呆然としながらも、二人のもとに降りてくる。
「君、なんで……」
敵対しているはずのゼクスに守られて驚いていた。
ゼクスはため息をついて彼女の方に振り向く。
「イェナを指名手配犯にしたくなかっただけだ。結果的にお前を助けた感じになったが、お前を守るためにやったんじゃない」
ラフィリアや団員たちの様子を見てゼクスは眉を寄せる。
黒い魔法陣が残っているせいで魔獣がまた来てしまい、ゼクスは電撃魔法を放って魔獣を牽制した。
イェナを守るように背中に隠し、魔法で剣を出して構える。
殺気を持ってミェンリンを睨んだ。
「相手が常に本気を出してると思うなよ。イェナはアレと同じことをまだ続けられる。だがお前があの黒い魔法陣を消さないなら、今度は俺もお前を殴る」
「……分かったよ」
ミェンリンは視線を下げ、魔獣誘引の黒い魔法陣を消し去った。
それと同時にハオランが湖に戻ってくる。
「あらら、負けちゃった感じかー」
ニコニコと相変わらずの糸目を維持して笑う。
横から魔獣が彼に襲いかかるが、一瞬にして首が斬り落とされた。
刃物や武器は何一つ持っていないのに。
ゼクスはハオランに眉を寄せ、彼の方へ剣を向ける。
強烈な敵意を受けてハオランは苦笑いした。
「はは、安心しなよ。この状況で君らに攻撃するほど馬鹿じゃないから。それよりも、一緒に残った魔獣を片付けないかい?」
ハオランが両手を挙げて無抵抗の意を示し、ゼクスは剣を下ろして賛同した。
ゼクスたち四人で魔獣を全て殲滅するが、腐敗魔力は変わらず濃度が高く残っている。
ゼクスはミェンリンとハオランへ視線を向けた。
腐魔領域の正常化でポイントを得られるのは一人だけである。
正常化させられる者が複数いれば争奪戦になる。
「お前ら赤帽だが、腐魔領域の正常化はできるのか?」
「ああ。できるけど……」
彼女たちにも正常化の権利はあるため、ゼクスは気を遣っているらしい。
ミェンリンは彼の意図に気づいて少し眉を下げる。
「君らなら力で黙らせられるだろうに……あれだけ実力差を見せつけられたんだ。こんな状況で幅を効かせる気はないよ」
「……なら遠慮なく。イェナ、いいか」
「うん。もちろん」
何がとは明言されなかったが、彼女は理解して頷いた。
ゼクスは湖の前に来て地面に手を触れる。
帽逆を使ってイェナの魔力を体内に移し、それを地面に注いでいった。
土地に巡る多量の腐敗魔力がゼクスの体に侵食し、冷や汗が流れて彼の口の端から血が溢れる。
普通ならこの時点で倒れてしまうが、ゼクスは土地の腐敗魔力を全て消滅させて手を離した。
立ち上がり小さく息を吐いて腕で汗を拭う。
魔法で小瓶を出し、周囲の腐敗魔力を回収した。
「本当に、白帽詐欺だね」
腐魔領域の正常化が成功し、ミェンリンは眉を下げて苦笑いした。
《おおっと! ここで順位に大きな変動が!》
東方の遺跡の中、中継画面からマーズの大きな声が聞こえる。
《どういうことでしょう!? 白帽魔法師のゼクス・テンペライオのスコアが急に増幅しましたが……今、情報が入りました! なんと! ベスタート王国の白帽魔法師ゼクスが、腐魔領域の正常化に成功したようです!》
闘技場にいた者の大きなざわめきがマイクに乗って流れてくる。
画面にはゼクスの写真が映されていた。
「ベル、お前こいつに喧嘩売ったって言ってなかったか。腐魔領域正常化の点を考えなくても随分と高スコアだな」
茶髪オールバックの黒帽魔法師は、後ろにいるベルバレットへ視線を移す。
隣にいた銀髪の男は画面に映るゼクスの顔を見て鼻で笑った。
「んでもどうせ、他の奴らに手貸してもらったんでしょ。白帽ごときがそんなもんできるわけないって。ほら、あそこのパーティ、帽逆さんもいて」
「クレイオス」
ベルバレットは、銀髪の男の名を呼び言葉を遮った。
「人のことはちゃんと名前で呼べ」
見下ろすその視線は、冷たく殺気を帯びていた。
クレイオスは芯から恐怖を感じ、体をこわばらせる。
「あっ……す、すす、すいません」
「馬鹿か」
焦って謝る彼に茶髪の男は呆れてため息をつく。
ベルバレットは中継画面のランキングへ目を移した。
(ゼクス・テンペライオ……お前がどれだけ強かろうが、必ずお前に勝ってイェナを護ってみせる)
顔に険を浮かべ、腰にさした剣の鞘をグッと握りしめた。