ベルアルと冥月
獣人界、無数の実力至上の種族がひしめき合うこの世界では、毎年開催される何でもありの多数VS多数の<獣闘祭>で最後に立っていたものがその国を統治する権力が与えられる。元傭国と違うのは、クロウがやってきた際、クロウの戦闘用ホムンクルスである<ジャガー>が一人で全ての参加者を倒したことにより、彼女が最終決定権を握る事になっている。そのため、重大な決断は同じホムンクルスであるミドリとアクアによく意見を聞いている。だが、世界有数の知恵と統治能力を持つ彼女達の言う事を聞いておけば、困った事にはならないと言うのがジャガーの素直な意見である。おかげで、獣人界は野性的ではあるが、不満がある獣人は一人としていなかった。
獣王城レックス、ジャガーは本能的にクロウであってクロウでは無い者がやってきたのを察知した。既に事前に全域通信で知っているとは言え、ジャガーの尊敬する主の模造品にはどうも尊敬も愛着も持てなかった。
「やぁ、ジャガー」
「その名で呼ぶな!あたいの事はⅥ号と呼べ!」
「分かった」
「お前が何をするかは知らない。知らないから好きにすればいい。でも、主の名を使って何かすれば速攻お前を破壊する」
「わ、分かったよ」
ジャガーもミドリ同様、獣王城からネフィリムの姿を監視するだけであった。そのロボットが行った事と言えば、全く違う名前を語り、第88代目の獣王と手合わせをし、獣人界でいくつかダンジョンを踏破し、ついでに現獣王である90代目獣王の頼み事を済ませ、彼に幾ばくかの貴重な素材と報酬をもらった程度だ。
海底界にいるアクアも同様、クロウ型ネフィリムに会って、好きにすればいいと言い、彼が海底界の反乱勢力を鎮圧し、噴火直前の海底火山を鎮圧し、新しい海底資源採掘地を作り上げる程度だった。他のプレイヤーからすればどれもゲームで名を残せるほどの業績だが、悪名が強すぎて誰も口に出さないのが現実であった。
数日後、クロウ型ネフィリム達は全てクロウ領へ帰還し、彼らの行いはベースを通じて眠っているクロウのキャラクターに送信された。時を同じくして、西国西部教会領の外、突傑族の領土内に魔王が一人生まれた。彼の名前は<アルイタ>。古代蛮族である<玉猟>の王にして、今代の<略奪>の魔王。突傑族の数々の戦士を殺して彼らのステータスやスキル、魔法や蛮術を略奪、吸収合併し、彼が突傑族の王になるのにそう時間はかからなかった。
彼が自己を確立するのに2年、突傑族の王になるのに1年、そして突傑族を鍛え上げ、西部教会領に侵攻する意があるのを気づかれたのは、クロウが眠ってから1年が経とうとしていた時だった。
***
北帝領の最北、永久凍土の氷池にて、ベルアルは一人で祈りを捧げていた。彼女が祈るのは神ではない。
冥府の女皇にして新月の女神の母親、<冥月のルナティア>だ。新月の暗き月が満ちる深夜2時、雲月無き夜空の下で氷の池に一人で浸かる。そして冥月の祝辞を4度詠唱することにより、ルナティアへの祈りが果たされる。
クロウが眠ってから1年。ベルアルは機会が訪れるたびにこれを行っていた。これもマキナとクロウ領にある図書館から知った儀式である。ルナティアは獄帝と冥帝の対になる者。今代の獄帝と肩を並べるクロウと対になるためにはベルアルは彼女に認められなければならなかった。だが、そう簡単にはいかない。この儀式もただ彼女と対話を機会を得るため。ベルアルに元あった加護を全て捨ててでも、ベルアルには彼女と対話しなければならない理由があった。
「暗き母神のルナティア、私に機会を!優しき貴女との会話を!」
これで儀式は66回目、ベルアルは今回こそ何とか話したいと思っていた。冥月信仰の首飾りを握りしめ、目を瞑って心底祈る。すると、ベルアルの彼女一人しかいないはずの氷の池に、小さな波紋が広がった。ベルアルはゆっくりと目を開ける。すると目の前の女性はゆっくりと池の上を滑るようにベルアルに近づいてきた。
暗紫色の蠱惑的なドレスを身に纏い、赤い目と真っ黒な底のない黒い瞳と黒い髪を垂らした彼女は、文字通り三日月に腰を掛け、ベルアルに手を伸ばす。美しい顔立ちはまるで少女のようだったが、そのあふれ出る威厳は千年を生きた皇帝であることを証明していた。
「私の信者に会うのはいつぶりだったか、久しいな」
優しく、そして聞く者を自然と跪かせるその声色は、ルナティア本人で間違いなかった。
「それで?何用だ?」
ベルアルの顔を確認すると、三日月に腰を掛けなおし、手を上に伸ばして空にある星を摘んで口に入れる。すると、本当に夜空から星が一つ消えた。
「偉大な母なる女皇、私は、貴女のようになりたい」
ルナティアは星を摘むのをやめ、ベルアルの方を見た。
「数多くの信者が私の富や力、権力を望んだが、ベルアル、お前のような信者は初めてだ」
ベルアルはまっすぐ純粋な眼差しでルナティアを見つめる。ルナティアも同様に、その深い黒瞳でベルアルを見返した。
「また大層な男に惚れこんだものだな、お前も」
ベルアルは一瞬何のことか分からなかったかが、冥月の失われた伝承の中に、ルナティアは他者の深層意識まで読めると言う能力がある事を思い出した。恐らく自分のクロウへの恋慕の気持ちを読まれたのだろう。
「面白い、ならばまずは我々の足元まで登ってくるがよい」
ルナティアは空の星を3つ摘むと、ベルアルの頭、心臓、腹にそれぞれ一つずつ埋め込んだ。そして彼女が握っていた冥月信仰の首飾りをゆっくりと持ち上げると、まるで粘土を捏ねるようにさらさらと両手で粉々にした。その粉末をベルアルの髪に馴染ませるようにゆっくりと練りこんでいくと、ベルアルの髪がゆっくりと長くなり、ルナティアと同じ、暗紫色に変化していった。




