54th BASE
年を跨いで迎えた三月。卒業の日がやってきた。私たち三年生は式に出席した後、部での送別会に参加する。
「三年生の皆さん、ご卒業おめでとうございます!」
紗愛蘭ちゃんの後に主将となった昴ちゃんら下級生から、私たちの門出を祝って花束と記念品が贈られる。私に渡すのは同じ投手の後輩である沓沢春歌ちゃんだ。
「真裕先輩、卒業おめでとうございます。次の夏大で真裕先輩より良いピッチングをするので、見ていてください」
相変わらず春歌ちゃんは私に対抗心剥き出しで接してくる。しかしそれでこそ彼女だ。この負けん気があれば、エースとして十分にやっていける。
この後、私たち三年生は後輩たちに向けて一人ずつ最後の挨拶を述べていく。紗愛蘭ちゃんから始まり、京子ちゃんや菜々花ちゃんが順々に前へと出る。今後の進路について、部での思い出についてなど、話す内容は様々。自分は何を話そうかも考えつつ、私は皆の話を聞く。
「……それでは最後は真裕先輩、お願いします!」
「はい」
私の番は最後の最後に回ってきた。教壇に立ってチームメイトの顔を見た途端、緊張感と共に喉奥を締め付けるような寂寥感に見舞われる。話そうと思っていた内容が頭の中から抜け落ちてしまいそうだ。私は深く呼吸をして心を鎮め、ある程度落ち着きを取り戻してから話を始める。
「……この三年間、日本一をなることを目標に、毎日のように練習を重ねてきました。一年目、二年目と手が届かず挫けそうな時もありましたが、最終学年にして夏大で優勝することができました。最後の最後で達成できて本当に良かったと思います」
高校生活を振り返って最初に思い浮かぶのは、やはり全国制覇をしたことだろう。当然だが私一人の力ではない。ここにいるチームメイトや監督、森繁先生はもちろん、卒業してしまった先輩や家族など、たくさんの人の支えが無くては成し得なかった。それに対する感謝は持ち続けていたい。
「ただ、全国制覇がゴールではありません。私たち三年生には、それぞれの道は違えど次の舞台が待っています。亀高の野球部で学んだ勝利に対する執着心や粘り強さ、そして常に頭を使って考えながらプレーすることを忘れず、自分の夢に向かって歩み続けようと思います」
私は悩み抜いた末、プロに挑戦する道を選んだ。大学については第一志望の合格発表はまだだが、ひとまず受かっているところはあるので、四月からも文武両道に励むことが確定している。
「このチームで、ここにいる皆と野球ができて幸せでした。また機会があれば一緒にプレーしたいです。ありがとうございました」
私が話し終えて一礼すると、仲間たちから拍手が起こる。自分は本当に恵まれた環境の中で野球ができていたのだと改めて実感し、その幸福を噛み締めるのだった。
送別会が終わると、私はグラウンド付近にある手洗い場に向かった。そこで待っていたのは……。
「お待たせ椎葉君。遅くなってごめんね」
「お、おう柳瀬。大丈夫、俺も今来たところだから」
私の呼び掛けに、先に来て待っていた椎葉君が応える。男子野球部でも送別会があったそうで、彼は花束や寄書きの入った紙バッグを右手から提げていた。最近は連絡を取り合ったり学校で顔を合わせたりすることはあったものの、私が受験勉強に励んでいたこともあって夏休みの時のように二人で会って出掛けることなどはしていなかった。
「今日で卒業か……。三年間色々あったけど、あっという間だったな」
そう言った椎葉君はグラウンドの方を見やる。今日は午後から女子野球部の練習があるが、昼食を摂る時間ともあって今のところは誰の姿も見られない。
「そうだねえ。過ぎてみれば一瞬だったよ」
私は沁み沁みとしながら言葉を返す。この手洗い場は、一年生の時に私たちが初めて話した場所だ。ここで交わした誓いを、私たちは互いに三年掛かりながらも達成した。椎葉君の存在があったから、私は何度負けても挑戦し続けようと思えたのだ。
「今思うとさ、よく椎葉君も甲子園に行くなんて宣言できたよね。それで本当に行っちゃうなんて……。凄いよ」
「それは柳瀬も同じだろ。全国制覇するって言って、ほんと日本一になったんだから。しかも甲子園で投げたんだもんな」
「あれはラッキーだったよ。椎葉君と同じマウンドで投げると思うと心が躍ったなあ」
夏大の決勝戦、私は確かにあの甲子園球場のマウンドに立っていた。今振り返るともう少し楽しんで投げられたら良かったのだが、勝ちたいと思うとそんな余裕は無かった。なので後悔はしていない。
「そ、そうか。……俺も、嬉しかった」
椎葉君の声が仄かに上擦る。彼も喜んでくれていたのは私としても嬉しい。
「けどこれからも同じ舞台に立てるんだよ。まさか椎葉君も一緒のチームになるなんて」
そう、椎葉君は十月のドラフト会議で、ドラゴンズから指名を受けたのだ。しかも順位は何と一位。球団から最大限の評価を受けたのだ。志望してもプロ入りを果たせない選手も多い中、これがどれだけ凄いことかは言うまでもない。
「ほんとだよ。柳瀬もプロに行くことは不思議じゃなかったけど、その先がドラゴンズとはな。まじでびっくりした。ふふっ……」
椎葉君が柔らかな笑い声を漏らす。それが耳に入り、私も釣られて笑みを零す。
「……なあ、柳瀬。ちょっとこっち向いて」
「え?」
私は椎葉君に言われるがまま振り向く。すると椎葉君は神妙な面持ちで目を据えて私を見つめている。穏やかだった空気が一変する。
流石の私も椎葉君が何をしようとしているのかは一瞬で分かった。そもそもこうして呼び出された時点で、何が起こるのかは誰しもが察するだろう。
「あのさ……」
三月にも関わらず、冬を思わせる冷たい風が吹き抜ける。しかしその冷気を感じられないくらいに私の胸が急激に熱くなり、息が詰まる。……そして椎葉君は、一度唾を飲み込んだ後、覚悟を決めたように私に告げる。
「……柳瀬真裕さん。好きです。俺と付き合ってください」
捻りの無い、真っ直ぐな告白。奇を衒った言葉選びや私たちらしく野球に例えた言い回しの方がドラマチックなのかもしれないが、今の私にはそんなこと必要無い。寧ろこのシンプルな一言が一番聞きたかった。高まっていた緊張感がゆったりと静まり、私は満面の笑みで答える。
「……はい。よろしくお願いします!」
「ま、まじ? ……やった! こちらこそよろしくお願いします」
椎葉君の表情が幼気に緩まる。普段の彼からは想像し難いこの可愛らしさを、できることならこれからずっと独り占めしたい。
私たちの足元で、無数のクローバーが愉快気に揺れる。だが一つだけ四つの葉を付けたものは、勇ましく不動を貫いている。




