53rd BASE
九月に入って半ばを過ぎた。厳しい残暑が続いているものの、夏真っ盛りの時期に比べれば随分と過ごしやすくなってきている。
今日は池友野さんが再び学校へと来訪する。私の返答を聞くためだ。池友野さん側はもう少し後でも構わないと言ってくれたが、私の気持ちがこれ以上揺れない内に返事を伝えたいと思い、こちらから呼び寄せた。つまり、私は自らの進路について決断を下したのだ。
放課後。車で訪れた池友野さんを、私と監督が出迎える。今回は事前に連絡を取れていたので、私たちは正門前で待機していた。
「こんにちは」
「こんにちは。久しぶりだね。……柳瀬さん、何だかちょっと雰囲気明るくなった?」
「そうですかね? ふふっ……」
私は池友野さんに小さく笑ってみせる。確かに以前会った時よりも心は軽い。それが表に出ていたのかもしれない。
池友野さんに連れ添い、私たちは職員室の接客スペースへと移動した。前回同様、互いに机を介し向かい合って座る。
「それじゃあ早速、柳瀬さんの返事を聞かせてもらおうかな」
「はい」
私は一度唾を飲み込んで口内を潤す。私自身はそれほど緊張していなかったが、場には張り詰めた空気が流れる。池友野さんと監督が静かに見守る中、私は改めて口を開いた。
「……ドラゴンズに、お世話になろうと思います。よろしくお願いします」
そう言った私は座ったまま深くお辞儀をする。これが私の出した答え。ドラゴンズに入り、プロの道に進むことを選んだのだ。
「おお……。ありがとう! こちらこそよろしくお願いします」
顔を上げると、池友野さんは安堵と喜びが合わさったような優しい笑みを浮かべていた。それだけ私をチームに入れたかったということか。だとすれば心から嬉しい。
「因みにだけど、決め手とかあったら教えてもらっても良いかな?」
「決め手ですか……。……一番は自分がプロで野球をやりたいって気持ちですかね」
池友野さんの問いに、私は少々しんみりした面持ちで答える。こうして言葉にしてしまえば単純な理由であり、あれだけ悩んだ末の回答としては味気無い印象を受けるかもしれない。けれども私にとしては深く意味のあるものだと思っている。
京子ちゃんと話してから、私は進路について考え方を改めた。これまでの自分を振り返りつつ、今後どうしていきたいかを軸にし、一から再考してみたのだ。
そこで一番に浮かんだのは、世界大会で優勝すること。これは小さい頃からの夢であり、野球を始めたきっかけでもあるので、最初に上がってくるのは当然と言えば当然だろう。
では次に浮かんだことは何か。それが、より高いレベルで野球をしたいということだった。プロの舞台で、万里香ちゃんや舞泉ちゃん、更にはまだ見ぬ強打者たちと対戦してみたい。
もちろん自分の力が通用するのか、大学に通いながら相応のプレーができるのか、不安はある。誰かに唆されるような形でプロ入りを決めても良いのかという疑問もある。だがそれでも私はプロで勝負したい。純粋な自らの思い従うことにしたのだ。私はこれまで、そうやって野球を続けてきたのだから。
「そうかそうか。まあ僕が言うのも烏滸がましいけど、最後は自分がどうしたいかっていう気持ちを第一に考えるのが良いと思う。だから柳瀬さんは今の時点で最高の選択をしたんだよ。不安はあるだろうけど、胸を張ってドラゴンズに入ってほしい」
「はい。ありがとうございます」
私は口元を仄かに緩める。こうした決断ができたのも、京子ちゃんやお兄ちゃんを筆頭に多くの人からアドバイスを貰えたおかげだ。
その後は今後の流れや入団に際しての説明などを軽く受けた。正式に契約を結ぶのは高校卒業後となるので、今はまず志望大学に合格できるよう勉学に励んでほしいと池友野さんから告げられた。
「……とりあえず、今日こちらから話したいことは以上かな。柳瀬さんから聞きたいことはある?」
「今のところは大丈夫です。また何かあったら連絡しても良いですか?」
「もちろん。遠慮無く聞いてね。では柳瀬さん、これからドラゴンズの一員として、よろしく頼むよ」
「はい!」
私と池友野さんは最後に立ち上がって握手を交わす。池友野さんの手は私よりも一回り大きく、分厚くて硬い皮をしている。現役時代の努力で何度も何度も豆を潰した証拠だろう。引退した選手ですらこうなのだから、現役の選手がどれほどの努力を積んでいるのかなど想像も付かない。
しかし私はそういう人たちに勝っていかなければならない。プロ野球として活躍し続けた先に、日本代表に選ばれて世界大会で優勝するという夢が叶えられるのだから。これが私の覚悟だ。
かくして私の進む道は定まった。そして月日は流れ――。
See you next base……