46th BASE
私、柳瀬真裕の夢は、女子野球で世界一になることだ。夢を叶えるにはまだ道半ば。それでも遂に、一つの悲願であった高校野球での日本一になることができた。
試合終了の瞬間、三振で締めた私の元にキャッチャーの菜々花ちゃんが走ってくる光景は鮮明に覚えている。ところがそれ以後のことはほとんど記憶に無い。マウンド上で皆と喜びあったことも、勝利を祝して校歌斉唱したことも、表彰式でインタビューを受けたり優勝メダルを掛けられたりしたことも、全くと言って良いほど思い出せないのだ。興奮していたからなのか、延長まで投げ抜いた疲労感からなのか、それすらも分からない。
宿泊先に帰って少し落ち着いたものの、夜が遅かったため細やかな祝勝会すら行えず、優勝の喜びに浸る間も無く眠りに就いてしまった。何人かは夜更かしして楽しんでいたらしいが、私にそんな体力は残っていなかった。
翌朝、カーテンの隙間から差し込む光が、私の眼下を突き刺す。その熱と眩しさに私の目は覚める。
「うーん……」
私は寝転がったまま背伸びをする。それから不意に笑みを漏らした。昨晩ぐっすり眠れたためか寝起きでも頭が冴えており、ようやく全国制覇した実感が沸いてきたのだ。
「えへ、えへへへ……」
途端に若気笑いが止まらなくなる。ここまで本当に長かった。もう駄目かと思うことだって何度もあった。昨日の試合なんて特にである。だけど私たちは間違いなく、夏の大会で優勝したのだ。
私はベッドに包まりながら、もう少しだけ一人で心を躍らせる。今回の宿泊が一人部屋で良かった。ちょっとこの姿は他の人に見せられない。
今日の女子野球部は夕方頃に亀高へと戻る予定で、それまでは自由行動となっている。どこにも行かず休む者、せっかくだからと観光を楽しむ者と過ごし方は様々だ。
私はと言うと、再び甲子園球場に足を運んだ。ただし選手としてではない。椎葉君たち男子野球部の応援にやってきたのだ。
「抜けろ! ……おし!」
先日の二回戦を突破した男子野球部はベスト八入りを目指して福岡県代表の筑後商業と対戦している。
試合は六回表まで進み、一対二と亀高がビハインドの状況にある。しかし今ワンナウトからヒットでランナーが出塁する。
《六番ピッチャー、椎葉君》
迎える打者は椎葉君。彼はプロも注目する投手でありながら、打撃面での成績も非常に良い。この打席でも何かやってくれるかもしれない。
その期待に応えるように、椎葉君は二球目を捉えた。痛烈に引っ張った打球が三塁線を抜けていく。
「おお! 回れ回れ!」
一塁ランナーは二塁を蹴って三塁へ進む。更にはレフトがフェンスに跳ね返った打球の処理に手間取っているのを見て一気に三塁も回る。
外野からの返球は中継で止められ、バックホームはされない。椎葉君のタイムリーツーベースで試合は振り出しに戻る。
「やったやった! 椎葉君、ナイスバッティング!」
私は一緒に応援していた紗愛蘭ちゃんたちとハイタッチを交わして喜ぶ。私や彼女の他にも、こうして応援に来た女子野球部員は何人かいる。試合開始時刻は十時頃であり、観戦に訪れるにはちょうど良い時間帯だった。よほどのことが無い限り試合終了まで見ていけるだろうし、終わってから球場付近で買い物する時間もありそうだ。
自ら同点打を放った椎葉君は直後の六回裏、ここが踏ん張りどころと言わんばかりに投球のギアを上げる。先頭打者に対して一五〇キロを超えるストレートを連発し、バットに掠らせもしない。
「おお!」
一球一球バックスクリーンに球速が表示され、その度に球場が響めく。私たちの試合と比べて観客は二、三倍ほど多く、それだけ歓声も大きくなる。これは男子野球と女子野球の人気の差だけではない。今大会屈指の実力を持つ椎葉君が投げているというのもあるはずだ。
一年生の頃から椎葉君は相当な実力者ではあったが、ここまで注目されるようになるとは……。普段学校で当たり前のように接している彼とは全くの別人のようで、何だか遥か遠くの存在に思えて寂しくなる。
……いやいや、私の寂しい気持ちなんてどうでも良い。椎葉君は甲子園に出場し、プロ野球選手を目指して頑張ってきた。私はその姿を間近で見て自身への活力ともしてきた。彼の目標が叶ったにも等しいこの状況は喜んで然るべきだろう。
椎葉君は後続の打者もあっさりと打ち取る。良い流れ更に加速させる圧巻の投球は、正しくエースの名に相応しい。
だが相手も険しい地区大会を勝ち抜いてきた強豪校。こちらに勝ち越し点を与えない。一進一退の攻防が続き、スコアボードに数字のゼロが並んでいく。
そのまま試合は九回裏に突入。椎葉君は危なげなくワンナウトを取ると、その後の打者もテンポ良く追い込んだ。ストレートは依然として一五〇キロを超える球もあり、まだまだ余力は残っているようだ。
「バッターアウト!」
最後はボールになる変化球を振らせ、椎葉君は空振り三振に仕留める。これだけ速いストレートに切れのある変化球が組み合わされば、高校生レベルではほとんどの打者が付いていけない。
この回が終われば延長戦となるが、まだ椎葉君はマウンドに上がるのだろうか。本人としては投げたいと言うに違いない。きっと私でもそうする。ただこうして傍から見る立場にいると、投げ過ぎて故障に繋がらないかという心配が先に来る。
そう私が憂慮していた矢先、球場に快音が響く。次打者が初球を打ち返したのだ。
「あ……」
レフトに大きなフライが上がる。私があんぐりと口を開けて行方を追う中、打球はそのままスタンドへと着弾。何とサヨナラホームランが飛び出し、一瞬にして試合が決まってしまった。
「おお!」
「ああ……」
歓声と悲鳴が入り交じる。まさか過ぎる幕切れに私は付いていけず、半信半疑の様子でダイヤモンドを一周する打者の姿を見て昨日も自分もあんな感じだったのだろうかなどと、試合とは全く関係の無いことを考えてしまう。
「……負けちゃった」
次第に状況を理解した私は、すぐさまマウンドの椎葉君を案ずる。しかし彼は打球が消えたレフトスタンドを見つめ、解放感の漂う笑みを浮かべている。私はそれを見て安堵すると共に、大きな拍手で健闘を讃えるのだった。
See you next base……




