45th BASE
亀ヶ崎ナインが球場を出ると、時刻は夜の八時を回っていた。それでも待っていてくれた保護者や応援団に感謝と優勝報告を兼ねた短い挨拶をし、彼女たちは帰途に着く支度を整える。
「紗愛蘭ちゃん、ほんとにおめでとう! また後で連絡するよ」
「うん! 暁くんも気を付けて帰ってね」
紗愛蘭は暁と一言二言を交わし、彼と別れて帰宿用のバスに乗り込もうとする。ところがその直前で彼女を呼ぶ声が聞こえてきた。
「……あ、待って! 踽々莉さん!」
「え?」
咄嗟に振り返った紗愛蘭の視線の先には、今日の対戦相手である美久瑠と乃亜が立っていた。どうやら彼女と話をしたいようだ。
「渡さんに東地さん、どうしたの?」
紗愛蘭は背負っていた荷物をバスに預け、美久瑠たちの元へと駆け寄る。すると二人は揃って彼女に頭を下げる。
「あの、今日はありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
「へ? ああ……、こ、こちらこそありがとうございました。……けどどうして? 態々改めて挨拶してくれるなんて」
咄嗟に礼を返した紗愛蘭。しかし思わぬ二人の行動に戸惑いを隠せない。
「どうしてって……、別に深い意味は無いですよ。ちゃんと挨拶しておかないといけないと思っただけです」
二人は頭を上げ、紗愛蘭の質問に美久瑠が答える。その面持ちは真剣そのものであり、本心で発言していると見て間違いなさそうだ。
「試合中は勝つためとはいえ、色々と無礼を働きました。それもきちんと謝っておこうと思いまして。本当に申し訳ありません」
乃亜が謝罪を述べ、二人が再び頭を下げる。試合が終われば、どんな選手もただの一人の人間に戻る。グラウンドの外では共にプレーした相手に対して礼節を持って接する。それが彼らの流儀だ。
「そんなそんな、別に謝らなくたって良いのに。それだけ勝つことに貪欲になれてた証拠だし、それは大事なことだよ。二人のそういう姿勢があったから、羽共はここまで勝ち進めたんだと思う」
紗愛蘭は二人の行いを批判せず、寧ろその心意気を称える。彼女の懐の大きさに、美久瑠の心は瞬く間に絆される。
「ありがとうございます……。踽々莉さんって、選手としても人としても素晴らしい方なんですね」
「いやいや、そんなことないよ。私なんて全然。けど……」
「けど?」
美久瑠が首を傾げる。紗愛蘭は薄らと微笑み、美久瑠と真っ直ぐ目を合わせて言う。
「他のチームの人から見てそう思われるのは素直に嬉しいし、誇りに思うよ。支えてくれる人たち、ここまで頑張ってきた自分自身に感謝だね」
紗愛蘭は先ほどのミーティングでチームメイトに伝えた通り、自らへの賞賛も忘れなかった。
それを聞いた美久瑠と乃亜の瞳が円になる。だが彼女たちはその後すぐに頷いた。七回表の打席で紗愛蘭が息を吹き返した理由に気付いたからだ。
「でも二人だって手強かったよ。こっちが何かもう一つでもミスしてたら負けてた。これで二年生って言うんだから、末恐ろしいよ」
「ほんとですか? 踽々莉さんからそう言ってもらえるなんて光栄です。けどやっぱり負けた以上は悔しさしか残らないので、来年は絶対にリベンジします!」
美久瑠が堂々と宣戦布告する。紗愛蘭にはその姿が一年前の自分たちと重なって見える。
「……そうだね。でもこっちだって連覇する予定でいるから。そう上手くはいかないよ」
負けじと紗愛蘭も言い返す。美久瑠たちの実力は認めつつも、昴ら後輩たちが劣っているとも思っていない。
「分かってます。だからこの一年で自分たちの野球を磨き抜いて、どんなチームにも負けない力を付けてみせます。踽々莉さんたちがしてきたように」
美久瑠だって一歩も引くことはない。次の大会に向けての戦いは既に始まっている。
「美久瑠、そろそろ行こう。これ以上遅くなると亀ヶ崎の人はもちろんだし、こっちのメンバーにも迷惑を掛けちゃう」
「そうだね」
乃亜の進言もあり、美久瑠は仲間たちの元にと戻ることにする。二人は最後に紗愛蘭と固く握手を交わす。
「踽々莉さん、今日は本当にありがとうございました。また機会があったらゆっくり話したいです」
「うん、ぜひ! こちらこそありがとう」
「では失礼します」
美久瑠と乃亜が駆け足で引き揚げていく。紗愛蘭は彼らの後ろ姿を見守りつつ、唇を強く噛み締めた。
(渡さん、東地さん、二人が最後の相手で良かった。羽共に勝って優勝できたこと、心から誇りに思うよ)
空には満月が輝き、長く熱い一日の終わりを告げている。だがそれだけではない。新たな一日が始まる兆しでもある――。
See you next base……