44th BASE
史上初の甲子園球場で決勝戦が行われた夏の大会は、亀ヶ崎高校の初優勝で幕を閉じた。インタビューや表彰式が滞りなく終わり、亀ヶ崎ナインはロッカールームで最後のミーティングを行う。
「皆、優勝おめでとう。苦しい時の方が多かった中、よくここまで辿り着いてくれた。この舞台に立たせてくれて、そして最高の景色を見せてくれて、本当にありがとう」
監督の隆浯が祝福と謝意を述べ、座って話を聞いていた選手たちに頭を下げる。選手たちも彼の指導に敬意を表し、拍手で応える。
「色々言いたいことや伝えたいことはあるが、もう時間も遅いし、その話は学校に戻ってからにしよう。今は俺も興奮し過ぎて、ちゃんとした言葉にできるか分からんしな」
ロッカールームに麗らかな笑い声が響く。隆浯にとっても指導者としての苦悩や後悔を繰り返しながら成し遂げた全国制覇。喜びの大きさは選手たちに負けていない。
「ただせっかくだし、今日のヒーローくらいからは一言ずつもらうとするか。じゃあまずは、オレス」
「はい? 何で私なのよ」
隆浯から指名を受け、オレスは眉を顰める。今日の彼女は四安打を放ち、その内一本は土俵際から同点に追い付くタイムリーという活躍を見せた。
「いやいやいや、ちゃんオレが行かずして誰が行くのさ! ほらほら!」
後ろにいたゆりがオレスの背中を叩く。勢い余って無理矢理押し出されたオレスは彼女を睨む振りをしながらも、前に立って話す。
「……全く。まあ良いわ。とりあえず、日本一になれたのは良かった。編入してきたのがこのチームじゃなかったら、私はこうして野球ができていなかったかもしれない。だからその……、何と言うか……」
突如オレスが言葉に詰まり、仄かに頬を紅潮させる。選手のほとんどは彼女が何を言いたいのかを察したが、敢えて黙って聞き入る。
「……何と言うか、ここにいる皆には、……ありがとう、と言いたいです」
無愛想でたどたどしくも、オレスははっきりと仲間への感謝の想いを口にする。途端にチームメイトから大歓声が起こった。
「イエーイ! こちらこそありがとう!」
「ちゃんオレ最高! 愛してる!」
「……ちょっと、何その変な盛り上がり。相変わらず面倒臭いわね……」
オレスは皆から視線を逸らし、不機嫌そうに口を尖らせる。ただしこれはあくまでも照れ隠し。本当は自身の感謝を快く受け入れてもらえたことに安堵している。
「ふふっ、オレス、ありがとう。今日もそうだし、何度も良い場面で打ってくれて本当に助かった。これからも頼むぞ」
「べ、別に、私は私のするべきことをするだけだから……」
隆浯の言葉にオレスの顔は更に赤くなる。ぶっきらぼうな態度を貫きたい彼女だが、込み上げる嬉しさと恥ずかしさを堪えられそうにない。
「次は真裕。頼んだ」
「はい」
続いて真裕が指名され、オレスに代わって前へと出る。今日の試合は延長八回まで完投しただけでなく、決勝点となるホームランも放った。
「えっと……、何を言えば良いのかな。……今日に関しては、ピッチングの方はとてもじゃないけど良かったとは言えなくて、負けてもおかしくない内容でした。それでも皆が点を取ってくれたおかげで負けを逃れて、最後は偶々自分の一打で勝つことができました。本当にラッキーだったと思います。ここにいる皆と一緒に野球ができて、日本一にもなれて、凄く幸せを感じてます! 本当にありがとうございました!」
オレスとは対照的に、真裕は嬉しい気持ちを前面に出す。投球面では初回に三点を先制され、苦しい時間が続いた。味方の反撃が無ければ負けていたのも事実だ。それもあってラッキーだったという表現を使ったのだろう。
しかし真裕が試合を壊さず、最終回のピンチも凌いだからこそ勝てたのもまた事実。彼女はエースとしての役割を全うしたのだ。それをチームメイトも理解しており、改めて賛辞を送る。
「ナイスピッチングだったよ! 真裕がエースで良かった!」
「あのホームランはまじ抉過ぎでしょ!」
「そ、そうかな? えへへ……」
真裕は思わず締まりなく笑ってしまう。隆浯も皆の言葉に何度も頷いていた。
「皆の言う通りだな。今日だけに限らず、ここまでよく投げ抜いてくれた。……ということで、最後は紗愛蘭、締めてくれ」
「え……? は、はい」
隆浯は最後に紗愛蘭を指名する。彼女は少し戸惑った様子で立ち上がった。今日は一点差に詰め寄るタイムリーを打ったものの、それまでに二度のチャンスで凡退している。本人としてはここで話すには相応しくないと感じていた。
ところがそう思っていたのは紗愛蘭自身のみだった。チームメイトは待っていましたと言わんばかりの眼差しを彼女に向ける。今日の成績がどうだろうと関係無い。皆、最後に話すのは紗愛蘭しかいないと思っていたのだ。
「おお……」
強張っていた紗愛蘭の表情が柔和に解れる。彼女はこの瞬間を記憶に刻み込むかの如く、ゆっくりと一言一言を紡いでいく。
「……まずは今日、こうして皆と日本一になれたことをとっても嬉しく思います。一年前にキャプテンに就任してから、いや、それ以来ずっと、自分がキャプテンとして適任なのか、不安めいたものを持ち続けていました。言い訳はあまり言いたくないですがこういう経験は初めてだったので、上手くできないことやどうしたら良いか分からないことも多くて、皆にもたくさん迷惑を掛けました」
自責の念を語る紗愛蘭に、ナイン全員が首を振る。それを見た彼女の口角が無意識に持ち上がる。
「……それでもなった以上は全うしようと思ったし、自分のできる限りのことやり続けてきました。結果的に、ずっと目標にしてきた全国制覇を達成できた。それはここにいる皆もそうだし、親とか友達とか、周りの人の支えや応援があったからです。それに対する感謝を忘れてはなりません。本当にありがとうございました」
紗愛蘭は打席で見せるような深々としたお辞儀をする。他の選手たちは拍手しようと手を叩きかけたが、顔を上げた彼女の話には続きがあった。
「だけど今日は、今日だけはもう一つ、やっておきたいと思うことがあります。それはここまでやってきた自分を褒めることです」
この一言に、聞いていた者は目を見張る。これまで紗愛蘭は他者への感謝を常々言葉にしていたが、自らを称えることは一切無かった。自分が快くプレーし結果を残せているのは、周囲の環境に恵まれているのが要因だと思い続けていたからだ。
しかし今日の最終打席でオレスから掛けられた言葉によって、気付かされたことがある。野球は一人では勝てないが、個々が力を持っていなくても勝てない。その力を身に付けるため、亀ヶ崎ナインは一人一人が努力を積み上げてきた。その努力があったからこその全国制覇である。
「どれだけたくさんの人に助けられても、どれだけ手厚いサポートがあっても、私たち自身が努力しなければ日本一になれなかった。この優勝は、今ここにいる一人一人の努力があって手に入れた勲章なんです。だから今日くらいは皆で、自分のことを褒めて良いんじゃないかと思います!」
紗愛蘭は最後に力強く言い放つ。主将の重圧、そして過去のトラウマを跳ね除けて掴んだ栄光。それは彼女を、一人の野球人としても大きく成長させた。
「そうだそうだ! ウチらはめっちゃ頑張った!」
「流石紗愛蘭ちゃん! 良いこと言う!」
主将の言葉に皆が賛同の拍手を送る。すると誰かが突拍子も無く、ある提案をする。
「よし、じゃあ皆で紗愛蘭を胴上げしよう!」
「良いねえ! やろうやろう!」
「え? え? ここで?」
「そうそう、良いじゃん良いじゃん!」
選手たちが紗愛蘭を囲う。まさかの事態に彼女は混乱するが、その暇すら与えぬ勢いで胴上げの体勢が整えられる。
「天井あるから、あんまり高く上げ過ぎるなよ。怪我だけはしないようにな」
「はーい! じゃあせーの……」
「わっしょい! わっしょい!」
麗らかな掛け声と共に紗愛蘭の体が宙に舞う。彼女は自身のやってきたことが間違いではなかったと実感し、笑顔を咲かせるのだった。
See you next base……




