37th BASE
七回裏、先頭の一柳に出塁を許した真裕だったが、菜々花の助けもあって無失点に抑える。
「ナイスピッチ! よく踏ん張った!」
「菜々花ちゃんが助けてくれたからだよ。ありがとう!」
真裕は仄かな安堵感を漂わせながら菜々花とマウンドを降りていく。一塁側スタンドも死と隣り合わせの緊張感からひとまず解放され、その反動からか拍手も大きくなる。
試合はグラウンド整備を挟んで延長戦に突入する。この決勝戦に関しては八、九回と通常通りランナー無しの状態で始まり、それまでに決着が付かなければ十回以降からタイブレークが導入される。
「美久瑠ごめん。もうちょっとだけ踏ん張ってくれ」
「任せてください! まだまだ甲子園の舞台で投げられるんだから、寧ろご褒美ですよ」
一柳がサヨナラ勝ちできなかったことを美久瑠に詫びる。美久瑠は何も気にしていないかのように笑顔で応え、勢い良くベンチを出てマウンドへと駆ける。
(……私はまだ投げられる。次の攻撃に繋がるよう、リズム良く抑えるぞ)
美久瑠は自らに言い聞かせた通り、八回表もストライク先行のピッチングを心掛ける。先頭打者を二球で追い込むと、続く三球目のスローカーブで腰砕けのスイングをさせる。
「ピッチャー!」
「オーライ」
バントをしたかのようなゴロがマウンド前方に転がる。これを美久瑠は落ち着いて処理し、危なげなくワンナウト目を取る。
「ナイピッチ。ボールも良かったよ!」
乃亜がミットを叩いて讃える。ほとんど未知の領域となる八回のマウンドだが、美久瑠は七回までと変わらぬ投球ができている。
(変化球の切れも落ちてない。コントロールも安定してる。下位打線ってのもあるし、油断しなければこの回も美久瑠で乗り切れるだろうな)
打席には七番の菜々花が入る。七回裏は彼女の賢明なプレーが無失点の要因となった。その流れに乗ってチャンスメイクをしたい。
(四点は取られたけど、真裕の調子は悪くない。リードする展開になればまた投げやすくなるだろうし、一点でもこっちが取れれば守り切るのは難しくないはずだ)
流石にもう羽共バッテリーも、敢えてヒットを許したり四死球を与えたりすることは考えない。ランナーを一人でも出さないようにしてくる。菜々花としては乃亜の配球を読んで上回りたい。
(バッテリーに焦りは見られない。それでも可能な限り一球目はストライクが欲しいと思うもの。真っ直ぐに絞って打ちにいくぞ)
初球、菜々花の予想通りストレートが来た。内角を抉る厳しい球ではあるが、菜々花は打って出る。
「ファースト」
高々と上がった飛球が一塁側ベンチ付近を舞う。一柳が追い掛けるも、打球は観客席上部に張られたネットに引っ掛かってファールとなる。
(詰まらされたな……。インコースに関してはもう一呼吸早めにスイングしないといけないか。ただ私たちの打線も四巡目に入ってるし、同じ球を無闇に続けてくる可能性は低い。となれば次は外角の変化球かな)
二球目、美久瑠の投球はアウトコースに放たれる。一見ストレートの軌道で進んでいたが、徐々に低めへと落ちていく。フォークだ。
(……やっぱり。これくらいなら打てる!)
菜々花は左足を強く踏み込み、掬い上げるスイングで反対方向へと打ち返す。打球は一球目と同じようなフライとなるも、今度は飛距離が出ている。
「ライト!」
ライトの千石が半身の体勢で背走する。彼女の頭上を打球が越えれば長打は必至。亀ヶ崎にチャンスが訪れる。
「オーライ!」
しかし千石はグラブの付いていない手を挙げ、走る速度を緩める。最後まで足が止まることはなかったものの、ある程度余裕を持って打球を掴んだ。
「アウト」
「ああ……、惜しい」
ベンチから身を乗り出していた亀ヶ崎ナインが、背中を反らして悔しがる。菜々花の打球はもう一伸び足りなかった。その一伸びをさせなかったのが美久瑠の制球力である。
(北本さんは外角の変化球を読んでたみたいだね。でもそれはこっちも分かってた。だからあの高さにフォークを落としたんだ)
菜々花の打った一球は厳密に言うと低めに外れていた。狙いが当たっていてもボール球を安打にすることは難しい。乃亜はそれを踏まえたリードを行っており、結果的に菜々花は彼女の思惑に引っ掛かってしまった。
(自分の感覚としては打てると思ったから打ったんだけど、ちょっと強引だったな。またしても東地にやられたわけか……)
一塁を回ったところで千石の捕球を見届けた菜々花は、苦虫を噛み潰したように表情を歪める。彼女も倒れて亀ヶ崎はあっという間にツーアウトを取られる。
《八番セカンド、木艮尾さん》
このまま美久瑠に三者凡退で抑えられてしまうのか。打席には八番の木艮尾昴が入る。二年生ながら紗愛蘭にも引けを取らぬ才能が光る左の巧打者だが、今日は快音を響かせられていない。
「昴、こっからチャンスを作れ! 上位に回すぞ!」
上級生から昴に激が飛ぶ。彼女は逆境を打破する活躍も多く、この場面でも自然と期待は高まる。
初球は内角を落ちる縦のカーブ。昴は小柄な体を目一杯に使ってフルスイングしたものの、バットには当てられない。
「昴、スイング大きいぞ! もっとコンパクトに!」
長打が出るに越したことはないが、今の昴の使命はどんな形でも出塁することにある。大振りすれば美久瑠も躱しやすくなるため、分が悪くなる一方だろう。
二球目もインコースが続く。昴は一球目の反省を踏まえて少しスイングを小さくして打ちにいく。しかし球種がストレートだったこともあり差し込まれてしまった。
「サード!」
詰まったゴロが原延の元へと転がる。彼女が体の正面で捕球するも、その時点で打球はフェアゾーンを割っていた。ファールで一時的に昴は生き延びる。
ただこれでツーストライクとなった。打席に戻った昴は悩まし気に足場を均す。
(くそっ……。完全に相手バッテリーの術中に嵌っちゃってる。ここからは何とか食らいつくしかない)
昴はバットの握りを若干余して構え直す。これを乃亜は見逃さず、配球の参考とする。
三球目、美久瑠が投じたのはスローカーブだった。真ん中高めから外へと流れるように昴から遠ざかっていく。
(……届け!)
打つしかない昴は投球を手元まで引き付け、胸が開かないよう注意してスイングする。その甲斐あってバットが届き、上面に乗せて弾き返すことができた。
「サード!」
流し打ちの手本を見せるかの如く、三遊間に低い飛球が上がる。打球はサードの原延とショートの馬目の間を真っ二つに割いて外野へと抜ける。
「おお!」
待望のランナーに亀ヶ崎ナインが湧く中、昴は一塁をオーバーランして止まった。四打席目にして美久瑠から初安打を記録する。
「美久瑠、気にするな。単打ならオッケーだからね!」
すかさず乃亜が美久瑠を宥める。三人で抑え切りたかったが、全てが全て上手くいくわけではないことは承知の上。昴のヒットも仕方無いと捉えれば良い。ところがマスクを被り直した乃亜の顔は、薄らと曇っている。
(……大丈夫だ。これくらいで不安になってたらキリが無いだろ)
打順は九番の真裕に回る。長打で外野の間を抜けば昴の長駆ホームインも有り得るが、まずは後ろに繋ぐことを考えたい。
「柳瀬、打て! 一番に返すぞ!」
スタンドからは丈が一段と大きな声を上げる。投手のバッティングはチームに一段と大きな刺激を齎す。エースの座に就く者同士、二人は共にそのことを肝に銘じている。
(次は京子ちゃんだ。回せば得点できる!)
真裕がチャンスを広げるか。美久瑠が凌ぐか。両エースが火花を散らす。
See you next base……