36th BASE
七回裏、一点でも挙げれば勝利となる羽共の攻撃は、一番の一柳から始まる。
「やなさん、もう一本だけ頼みます。塁に出てください!」
羽共ベンチからは美久瑠がサヨナラ勝ちを後押しするべく声を飛ばす。初球、内角低めのツーシームを一柳は果敢に打っていく。
「ファール」
バットの下で引っ掛けたゴロが羽共ベンチの前を転々と通過する。まずはファールで亀ヶ崎バッテリーがストライクを一つ稼ぐ。
(追い付かれたことで消極的になっても不思議じゃないところだけど、何の躊躇もなく初球から振ってきた。オレスが打った後も内野は声を出てたし、思ってるほど気落ちしてなさそうだな。ならこっちも緊張感を切らさずプレーしないと)
菜々花は細心の注意を払って配球を組み立てる。二球目は外角の若干外れたコースにストレートを要求し、一柳の打ち気を逆手に取ろうとする。
「ボール」
しかし一柳は手を出さない。積極性を持ちつつも、ボールを見極める冷静さは保てているようだ。
(この感じだと追い込むまではストライクゾーンで勝負しないと駄目だな。なら思い切ってせめていこう)
三球目、インコースに構えられた菜々花のミットを目掛け、真裕がストレートを投げ込む。詰まらせようとするバッテリーに対し、一柳は脇を締めてコンパクトなスイングで打ち返す。
「ピッチャー!」
痛烈なライナーが真裕の顔面を襲う。咄嗟に彼女がグラブを差し出すも、打球はそれを掻い潜るようにしてセンターへと抜けていく。
「おっしゃー! 先頭出た!」
美久瑠が両手を挙げてチームメイトと喜ぶ中、一柳は一塁へと達する。彼女の猛打賞となるセンター前ヒットで、羽共はノーアウトからサヨナラのランナーを出す。
「真裕、切り替えて。まずは一つアウトを取ろう」
外野からの返球を受けた京子が、真裕へとボールを投げ渡す際に一言声を掛ける。真裕は頷いて応えたものの、その眉間には仄かに皺を寄せていた。インコースに投げ切りながら一柳を差し込めなかったことが堪えているようだ。
七イニング目のマウンドとなる真裕だが、球威の衰えはほとんど無い。それでも羽共打線が四巡目に入り、力で押すことは難しくなってくる。一柳以降の打者に対しても気を付けなければならない。
《二番サード、原延さん》
羽共は如何にして一柳をホームまで迎え入れるのか。次打者の原延はベンチのサインを確認してから打席に立ったが、バントの構えは見せない。
(初回はバスターでチャンスを広げられてる。その時とは状況か違うけど、普通に打ってきたって何らおかしくないな。ここは少し意表を突いてみよう)
一球目、菜々花はカーブを要求する。無難にアウトコースでカウントを稼ごうとするのではなく、原延の肩口から曲げてインコースへと捩じ込む。
「ストライク」
原延はヒッティングの体勢で見送った。菜々花としては彼女に打つ気があるかどうかを確かめたかったが、この一球だけでは判断が付かない。
(送ってこないのか……。出方はちょっと分からなかったけど、今のがストライクになったのは大きい。追い込めれば相手の動きを封じられる)
二球目、菜々花は外角低めのツーシームを選択する。真裕はコースよりも高さに気を配って投球を行う。
原延にバントの素振りは無し。真ん中外寄りから沈むツーシームを打って出る。
「サード!」
三塁線沿いにゴロが転がる。一柳の打球のような勢いこそ無いものの、オレスは三遊間寄りに守っていたため追い付くのが遅れる。
「くっ……。ふん!」
オレスは逆シングルでグラブの先に打球を引っ掛け、既のところで捕球する。それから二塁を伺うことなく一塁へと投げた。
原延の足とオレスの送球、どちらが早いかは際どいタイミングとなる。ところが嵐が送球を捕った後も一塁塁審は判定を下さない。
「ファール、ファール」
その代わりに球審が両手を広げてファールを宣告していた。三塁ベースの手前で打球がファールゾーンに出ていたのだ。
一柳が一塁に戻され、原延の打席は仕切り直しとなる。カウントはツーストライク。羽共に策を講じさせることなくバッテリーが追い込んだ。
(これでもうバントは無い。可能ならゲッツーが取りたいところだけど、欲張って裏目に出たら取り返しが付かない。ここは確実に三振を奪いにいこう)
(分かった。私もそれが良いと思う)
菜々花からスライダーのサインが出る。真裕は迷うことなく首を縦に動かした。セットポジションに入った彼女は足を上げ、原延への三球目を投じようとする。
「走った!」
「え?」
ここで一塁ランナーの一柳がスタートを切った。予想外の仕掛けに声が漏れる真裕だったが、モーションを起こした以上どうすることもできない。彼女は自身の為すべきことに集中し、右腕を振り抜く。
投球は真ん中低めから鋭く曲がる。スライダーが来ると察していた原延だったが、その切れ味に体の反応を抑えられない。彼女のバットは虚しく空を切る。
しかしまだプレーは終わらない。一柳が二塁に向けて走り続けている。菜々花は逸早く送球へと移りたかったが、投球がショートバウンドになったため体勢を立て直すのに時間が掛かってしまう。
(このタイミングだと投げても間に合わないか……。……いや!)
諦めかけた菜々花だったが、ふと何かを閃いた。彼女は半ば強引に二塁へ向けて送球を行う。
次の瞬間、球場に金属音が響く。菜々花の送球が原延のバットに当たってしまったのだ。
「タイム、タイム。バッターアウト。一塁ランナー、アウト」
「え、私も?」
すかさず球審がプレーを止め、原延と一柳のそれぞれにアウトを宣告する。二塁へと達していた一柳は自身を指差して困惑するが、判定は覆らない。これに関して球審はバックネット裏からマイクを持ち出して説明を行う。
「ただいまのプレーについて説明いたします。まずは打者がスリーストライクでアウト。その後バッターボックスから体が出た打者のバットに捕手の送球が当たりましたので、守備妨害を適用し、一塁ランナーをアウトといたします」
球審は原延が菜々花の送球を妨げたと判断を下した。本来ペナルティの対象となる打者の原延は既に三振を喫していたため、代わりにランナーの一柳がアウトとなったのだ。
「おお、まじかよ。付いてねえ……」
三塁側ベンチでは羽共の選手が頭を抱える。一柳の盗塁が成功しそうだっただけに彼らにとっては不運なようにも思えるが、菜々花と同じ捕手である乃亜の見解は違っていた。
「……付いてないんじゃないです。キャッチャーは態とやったんですよ」
「え、そうなの?」
「はい、おそらく」
乃亜の考えた通り、菜々花は意図して原延のバットに送球を当てた。空振りの反動で原延が打席の外に出たのを見て咄嗟に機転を利かせたのである。
(原延さんにそういう意思が無くても、球審としては守備妨害を取らざるを得ないよな。私が言うのもなんだけど中々狡猾なプレーをするじゃん。それぐらいできないと亀ヶ崎の正捕手は務まらないか)
羽共ナインも亀ヶ崎ナインも、ここまで来たらどんな手段を使ってでも勝ち切りたい。その思いが現れた菜々花のプレーだった。
(キャッチャーとして東地に負けっ放しじゃ終われない。できることは何でもしてやる)
これでツーアウトとなった上、ランナーもいなくなった。苦しい状況から脱した真裕は、続く三番の吉原に対してツーボールツーストライクのカウントを作る。こうなれば彼女を打てる者はほとんどいない。
「スイング、バッターアウト!」
「よし!」
最後は伝家の宝刀を使い、吉原を空振り三振に仕留める。絶対に点を取られてはならないイニングを無失点で切り抜け、真裕は思わずガッツポーズを見せた。
See you next base……




