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ベース⚾ガール!!!!  作者: ドラらん
31/56

30th BASE

 七回表、ツーアウト。追い込まれた紗愛蘭はインコースのストレートに手が出ない。僅かにボールとなったものの、彼女も一瞬肝を冷やした。


(来るんじゃないかとは思ってたけど、体の反応が追い付かなかった……。バットを振ってたら確実に空振りしてただろうし、何とかそこは止められたのだけが救いだな。この場面でこんな弱音を吐いたら駄目だけど、正直あんまりボールが見えてない。もっと集中しなきゃ。私が打てなきゃ、皆の夏が終わっちゃう……)


 紗愛蘭は一旦打席を外す。チームで誰も孤立しないようにと努めてきた彼女だが、その中で誰よりも孤立させたくなかった人物がいる。それは他でもない、紗愛蘭自身だった。


 中学時代に味わった苦しみを二度と繰り返したくない。そのためには主将として、一選手として、突き詰めれば一人の人間として、皆の模範となる存在でいなければならない。紗愛蘭はそう常に自分に言い聞かせ、結果を残し続けてきた。


 だが今、紗愛蘭は崖っぷちに立たされている。ここでもし凡退すればチャンスを潰すのは今日だけで三度目。自身が最大の敗因と見なされても何ら不思議ではない。チームメイトは表にこそ出さないだろうが、心の中では自分に対して相当な不満を抱き、最後は見放されてしまうかもしれない。それこそ紗愛蘭にとって最大の恐怖であり、虐めによって植え付けられたトラウマなのだ。


「タイム」


 ふと、一塁側からタイムが掛かる。何かと思ってそちらに振り向いた紗愛蘭を、ネクストバッターズサークルにいたオレスが乱雑な手招きをして呼び寄せる。


「へ? ああ……」


 紗愛蘭は困惑しながらオレスの元に駆け寄った。オレスは相も変わらずぶっきらぼうな口ぶりで紗愛蘭に言う。


「背中、丸まってる」

「背中?」

「そう。こっから見てて凄くかっこ悪い。どういうつもり? まさかアウトになるのが怖いとか言わないよね?」

「そ、そんなことは……」


 オレスの指摘を、紗愛蘭は強く否定することができない。アウトになること以上に、その先の末路に怯えているのは事実だ。


「え、ほんとに怖いの? 情けない……」


 呆れた様子でオレスが鼻息を漏らす。俯いてしまった紗愛蘭に対し、彼女はほんの少しだけ口調を柔らかくして話す。


「私は貴方がアウトになるとは微塵も思ってない。貴方の力なら、こういうところでだって打てるはずでしょ」


 普段はほとんど人を褒めないオレスとしては稀有な発言だった。それだけ紗愛蘭の実力を認めているということだろう。


「そ……、そうかな」


 しかし紗愛蘭は下を向いたまま。必死に口角を持ち上げようとするも思うように動かない。オレスの激励も、今の彼女には鉛の如く重たく伸し掛るだけだ。


 ただしオレスの言葉に続きがあった。その続きにこそ、彼女が本当に伝えたいことが込められている。


「……けどもし、万が一、……億が一、貴方が凡退して試合が終わったとしても、誰も貴方を責めないから。しょうもない心配するのは止めなさい」

「……え?」


 紗愛蘭の顔が上がる。するとオレスは彼女の右手を掴み、自身の両手で強く握り締める。


「……お、お?」


 全く予期しないオレスの行動に紗愛蘭は当然の如く混乱する。オレスはオレスで少しでも間ができて冷静になってしまうのを避けるため、間髪入れず言葉を連ねる。


「この打席だけじゃない。これまでのチャンスで打ててないことも気にしてるんだとしたら、そんなの一切必要無いから。私たちはその程度でどうこう言う集団じゃないでしょ。だって貴方がそういうチームを築いてきたんじゃないの!」


 急速にオレスの語気が熱を帯びていく。その熱は握った手を介して紗愛蘭の身体に伝導する。オレスは更に続けた。


「貴方がいなかったら、このチームはここまで来られてない! 私だって、……こ、この場に立っていられなかっただろうし……」


 突如オレスは言葉に詰まり、恥ずかしそうに紗愛蘭から目を逸らす。思えば彼女こそ、紗愛蘭に一番救われた人間と言っても良い。


 イギリスからの留学生であるオレスは、以前に通っていた日本の学校で人間関係に悩み、深い傷を負ってしまった。そのため亀ヶ崎に編入してきた当初はナインに対して不躾で距離を置くような態度を取り、不信を買うことも少なくなかった。それでも紗愛蘭は手を差し伸べ続け、オレスの側に立って話を聞く中で彼女の心を開いたのだ。今オレスがチームに馴染み、四番打者として輝きを放っているのは、紗愛蘭がいなければ有り得なかった。


「……と、とにかく、あんたが打てなかったのなら皆も仕方無いって思うだろうって話! だからもっと堂々としていなさいよ。アウトになるにしても腰抜けに当てにいくくらいなら、フルスイングして空振りした方がまだ良いわ!」


 オレスが紗愛蘭の手を振り解く。不意に我に返った彼女は、自分の行いに気色悪さを感じて居た堪れない気持ちになる。


「……そ、そういうことだから。分かったらさっさと戻って」

「オレス……。ふふっ……」


 一瞬唖然とした紗愛蘭だったが、真っ赤になったオレスの顔を見て無意識に笑みが零れる。彼女の心と体を固く縛り上げていたものが瞬時に解れ、跡形もなく消えていく。


「何笑ってるのよ気持ち悪い。早く行けって言ってるでしょ」

「ああ、ごめんごめん。……ありがとう」


 紗愛蘭をオレスに感謝を述べて微笑み掛け、その場から去る。彼女が自らに背を向けた瞬間、オレスは複雑そうに目を細めた。


(それでも私は、貴方がアウトになるところを見たくない。だからお願い紗愛蘭、……打って。私に繋いで。そしたら私も絶対に打つから!)


 オレスの祈りは届くのか。打席に戻った紗愛蘭は改めて球審にお辞儀をする。


「長々とすみませんでした。よろしくお願いします」


 紗愛蘭は入念に足場を固め、少し時間を使ってバットを構える。その所作を凝視していた乃亜は、彼女が構え終わってからもすぐにはサインを出さない。


(……構えが柔らかくなった。顔付きも凛々しくなったし、随分とリラックスしたみたいだな。珍しくネイマートルが熱くなってたように見えたけど、彼女の言葉が効いたのか。この期に及んで余計なことするなよ……)


 今の紗愛蘭は、先ほどまで乃亜たちが心血を注いで苦しめてきた人物とは全くの別人と言っても良い。配球もほぼ無の状態から練る必要がありそうだ。


(あと一球のストライクで私たちの勝ち。されどその一球を取る前に厄介なことになったな。けど勝負の世界なんだからこういうことは当たり前のように起こり得る。それを乗り越えた先に全国制覇が待ってるんだ)


 乃亜がサインを出す。美久瑠も紗愛蘭の様子が変わったことを察したのか、若干眉を顰めながら頷く。


(もしかして踽々莉さん、立ち直った? チームメイトにちょっと言われたくらいで何とかなるものじゃなかったでしょ……)


 四球目、美久瑠は一球目よりも低いゾーンにスローカーブを投じる。紗愛蘭は腰の入った力強いスイングで応戦。厳しいコースだったため捉えることができずファールとなるも、感触は悪くなった。フォロースルーまで終えた彼女は小刻みに首を縦に揺らす。


(今日初めてちゃんとバットを振れたかも。体の動き方もしっくり来てる。……それにしても、まさかオレスにあんなこと言われるなんてね。でも言われたのがあの子だからすんなり受け入れられるというか、疑うことなくそうなんだ思える)


 オレスの言葉は紗愛蘭に大きな安心感を与えた。もちろん他の仲間を信用していないわけではないが、オレスのこれまでの境遇を考えると、彼女が最も説得力を持っていることは間違いない。


 五球目、紗愛蘭は膝元のツーシームをバットに当てる。一塁線の外をゴロが転がり、これまたファールとなる。


「おお……、ファールか。ほんと冷や冷やするよ……」


 一塁側スタンドでは打球の行方を確認した小春が、両肩を摩って束の間の安堵感を露わにする。先ほどから固唾を飲んで見守っていた篤乃も思わず息を吐いた。彼女たちだけでなく、全ての観客、そしてグラウンドの選手たちも一球毎に緊張感を高まらせて紗愛蘭の打席を熟視する。丈や暁の声も途切れない。


「踽々莉、スイング良くなってきてるぞ! その感じその感じ!」

「ここからが大事だよ紗愛蘭ちゃん! 焦らず丁寧に行こう!」


 六球目の投球も五球目と同様のコースに行く。そこから落ちるフォークだった。


「ボール」


 だが紗愛蘭は釣られない。ほんの僅かにバットを動かしただけで止まり、乃亜にハーフスイングを主張する余地すら与えず見極める。


(さっきまでと比べてボールの見え方が全然違う。追い込まれてる以上は全部のボールを打ちにいかなきゃいけないけど、この感じならどれも対応できそう。あんなこと言ってくれたオレスのためにも、皆のためにも……、そうじゃない。誰のためでもないんだ。私がこのチームで日本一になりたいから、それを叶えるために打つんだ!)


 亀ヶ崎で全国制覇をしたい。これは真裕や他のチームメイトに唆されたわけではなく、紗愛蘭が紗愛蘭の意思で抱いた願いである。だからこそチームメイトは彼女に付いていき、篤乃たちは道を(たが)っても背中を押し、暁はどんな苦境でも応援しようと思えるのだ。


 けれども勝負には相手がいる。その相手となる美久瑠たちも、全国制覇への想いは譲れない。


(踽々莉さんは完全に復活したな……。いや、トラウマを克服して更に強くなったと言うべきか。もうこの人に付け入る隙は無い。真っ向勝負するしかないか。幸い追い込めてはいるし、投げたいコースに投げたいボールを投げられれば、きっと抑えられる!)


 美久瑠が七球目のサインを決め、セットポジションに就いた。額から流れてきた雫が右の目尻に引っ掛かる。しかし彼女は構わず足を上げ、投球を行う。


 投じられたコースは三球連続で内角低めだった。だが少なくともフォークの球筋ではなく、紗愛蘭ははっきりとしたボールにはならないと判断して打ちに出る。


 刹那、投球がブレーキを掛けて沈み出す。チェンジアップだ。


 だが紗愛蘭は動じない。オレスに忠告された通り、空振りを恐れずフルスイングを貫く。


「おりゃあああああ!」


 これまで聞いたことないほど凄まじい紗愛蘭の雄叫びと、猛々しく振り抜かれたバットの奏でる金属音が、甲子園球場を震わす。



See you next base……

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