28th BASE
七回表、ツーアウトランナー一塁。打席のゆりはワンボールツーストライクからの五球目、インローへと曲がってきたカーブに体勢を崩されてしまう。
「ぐぬぬ……」
ゆりは右足に力を込めて後ろに体重を残し、何とか踏ん張ってバットに当てる。弱いゴロが三塁線沿いを転々とする。
「うわ、やばっ!」
打った後にバランスを崩してスタートの遅れたゆりは、それを取り返そうと死の物狂いで全力疾走する。しかし打球はサードの原延が危なげなく捌き、ゆりよりも早く一塁に送球を届ける。
「ファール、ファール」
試合終了かと思われたが、球審がファールを宣告していた。原延のグラブに収まる寸前で打球は三塁線を割っていたのだ。
「危な……。心臓止まるかと思った……」
九死に一生を得たゆりは、青ざめた顔をしながらも胸を撫で下ろす。荒くなった息を整えて本塁に戻ると、乃亜がバットを拾って渡してくれた。
「どうぞ」
「あ、どうも」
ゆりは軽く会釈をしてバットを受け取り、打席に入り直す前に何度か素振りをする。その姿を乃亜は、何か思うことがあるかのような眼差しでマスク越しからじっと見つめる。
(タイミングも狙い球も外しているのに、空振りを取れない。そして凡打にもならない。大して勝負を重ねてないから断定はできないけど、何となく美玖留とは相性が良いのかも。こればかりどうしようもないし、余計な心配をして振り回されるのも馬鹿らしい。万が一ここで一発を打たれても追い付かれるわけじゃない。あまり深く考えず、私は自分が最善だと思うリードをしよう)
六球目のツーシームがファールとなった後の七球目、サインを出した乃亜はミットで地面を叩いた。要求したのはフォークだ。
真ん中低めへの投球に、ゆりはバットを出し掛ける。だがすぐに落ちる変化に気付いてバットを止めた。
「ボールツー」
「振った振った!」
乃亜が一塁塁審にスイングを主張するも認められず。カウントはツーボールツーストライクとなる。
今の一球でゆりは美玖留の持ち球をほぼ全て見ることができた。これで気持ちに少し余裕が生まれる。
(良いコースのフォークだったけど、見極めるのはそんなに難しくなかったな。ただゾーンは広げたままにしておかないと。見送るのははっきりしたボール球だけで、それ以外はバットを出していこう)
羽共は優勝まであと一球と迫りながら、ゆりに四球粘られている。マウンドの美玖留は地面のロジンバッグを手に取り、珍しく一旦間を空ける。
(柳瀬さんはファールを打って粘ろうとしてるのが分かりやすかったから気にならなかったけど、西江さんの場合はそういうつもりがなさそうなのに決着が付かないんだよね。アウトになりそうでならない感じが続くのは嫌だなあ)
美玖留はゆりに対して仄かな苦手意識を覚えていた。真裕の時はいつか彼女がアウトになると思っていたが、今はそれができず、勝負が果てしなく続くのではないかとすら思える。ゆりの型破りな打撃スタイルは、羽共バッテリーが最も相手にし辛いのかもしれない。
それでも美久瑠たちが栄光を手にしかけているのは事実。八球目のサインを決めた彼女はこの一球で試合を締めるべく、迸る汗と共に左腕を振る。
ストレートがゆりの鳩尾を突き刺すと言わんばかりにインコースへと進む。打ちに出たゆりは詰まらされながらも強引に体を回転させ、歯を食いしばってバットを振り抜く。
「くわっ!」
三遊間にゴロが転がる。打球速度はそれほど出ていないが、飛んだコースにちょうど野手がいない。
「ショート!」
「オーライ!」
ショートの馬目が外野に抜ける寸前で打球に追い付き、正面に回り込んで捕球する。その流れのまま二塁に投げようとするも、一塁ランナーの京子の位置を見てアウトにできないと判断。咄嗟に一塁への送球に転換する。
送球は勢いがやや弱く、最後はゴロに近い状態で一塁まで届く。ファーストの一柳が巧みなグラブ捌きで捕球した一方、ゆりも懸命に走ってベースを駆け抜ける。
「セーフ! セーフ!」
判定はセーフ。間一髪でゆりの足が勝った。
「おっしゃ、ナイスラン!」
「ゆり、よく走ったぞ!」
京子のヒットの時に続いて一塁側ベンチが沸き上がる。希望の火はまだ消えない。
「うーん……、セーフかあ。惜しい」
美玖留は判定が下された瞬間、結んだ唇を僅かに歪めて残念がる。だがすぐに左拳でグラブを叩き、気持ちを切り替えた。彼女にとってすっきりしない安打が続いたものの、あとアウト一つで勝利を収められる状況に変わりは無い。点差も点差だけに、焦って自分を見失いさえしなければ抑えられる自信はある。
(流石は亀ヶ崎。簡単には勝たせてくれないね。確か去年も今年も今みたいな瀬戸際からひっくり返す試合があったはず。だから私たちもそういう雰囲気になっても良いよう、色々と手は打ってきたんだ)
二人のランナーを塁上に置き、亀ヶ崎はホームランが出れば同点という展開まで持ってきた。ここで迎えるは三番の紗愛蘭。チーム内で、それに留まらず今大会で最も優れていると言っても良い打者に回る。
《三番ライト、踽々莉さん》
ネクストバッターズサークルの紗愛蘭が打席に向かおうとすると、一塁側スタンドから大歓声が起こる。今日の彼女はここまで無安打。更に二打席連続でチャンスを潰している。それでも掛かる期待は変わらない。寧ろ雪辱を期す分だけ高まっている。
「踽々莉打てよ! ここで鬱憤を晴らせ!」
「紗愛蘭ちゃんなら打てるよ! 日和らずどんどんバット振っていこう!」
もちろん丈も暁も絶えず声援を飛ばす。更には彼らの他にも、紗愛蘭の力になりたいと球場に駆け付けた者たちがいた。
「……はあ、やっと着いた。めっちゃ長旅だったよお……」
「いやいや千恵、それあんたが言う?」
一塁側スタンドのとある入口から、今し方球場に到着した三人の少女が現れる。宮下小春、中園千恵、そして林篤乃。彼らも亀ヶ崎高校の生徒であり、紗愛蘭とは中学時代からの親友である。
「え? ちょっと待って! もうツーアウトじゃん!」
スタンドに入るや否や慌てふためく千恵の言葉に、小春と篤乃の二人も電光掲示板を見て目を丸くする。ネットの速報で試合展開は概ね把握していたが、流石にここまで土俵際に追い詰められていては驚かずにいられない。
「ほんとじゃん! やばっ! しかもバッターは紗愛蘭だし」
そう言って小春が咄嗟にグラウンドへと視線を移す。打席には紗愛蘭が入っており、今まさにバットを構えようとしている。
「これはまた凄いタイミングね……。とりあえず、他の人の邪魔にならない場所に行こ」
篤乃が二人を連れてその場から移動する。亀ヶ崎応援団の輪からは少し遠ざかってしまったものの、ひとまずスタンド上部の席を確保することができた。
See you next base……




