26th BASE
尚もランナーを二、三塁に残して打者は狭山というところだったが、ここは真裕が踏ん張る。ストレートで詰まらせ、セカンドフライに打ち取る。
「アウト。チェンジ」
このピッチングが美久瑠にできていれば……。後悔先に立たず。真裕は申し訳無さそうな表情でベンチへと戻っていく。チームメイトから労いの言葉を掛けられるも、生返事しか返せなかった。
「美久瑠、よくやった!」
「まじで凄いよ! ナイスバッティング!」
対照的に羽共ベンチはお祭り騒ぎで美久瑠を出迎える。彼女には失礼だがほとんどの者が得点できないと半ば諦めていたため、ここまで興奮するのも無理は無い。
「思い切ってバットを振ったら打てちゃいました! ……さあ最終回です。油断せず守り切りましょう!」
「おー!」
次を最後の守備とするべく、羽共ナインが颯爽と各々のポジションへと駆けていく。乃亜は防具を身に付け、美久瑠の支度が整うのを待つ。
「美久瑠、そろそろ行けそう?」
「大丈夫! ……けどちょっと顔が熱い気がする」
そう言った美久瑠の頬はほんのりと赤く、まだタイムリーを打った熱りが完全には冷めていないように見える。乃亜は彼女の背中を摩ってクールダウンさせる。
「じゃあ一旦深呼吸しようか」
「分かった。……すう、はあ……」
「……どう? 少しは落ち着いた?」
「うん。ありがとう」
美久瑠は微笑みながら乃亜に礼を言う。頬の赤みは大分和らいでおり、これまで通りの心持ちでマウンドに上がれそうだ。
「どういたしまして。それじゃあ行こうか。この回を抑えて日本一になろう!」
「うん!」
乃亜の差し出したミットに美久瑠が左手を重ねる。いざ栄冠を掴みに。二人は一緒にベンチを出て守備位置へと向かった。
遂に試合は最終回まで来た。七回表の三つのアウトが灯る前に亀ヶ崎が二点以上奪えなければ、彼らの敗戦が決まる。六回裏の失点が重く圧しかかる中、ナインは何とか自分たちを奮い立たせて攻撃に臨む。
「セカン」
「オーライ」
しかし美久瑠の投球も冴え渡る。先頭打者は三球目のフォークを引っ掛けさせてセカンドゴロに打ち取った。亀ヶ崎に残されたアウトが、二つに減る。
《九番ピッチャー、柳瀬さん》
ワンナウトランナー無しで打順は真裕に回る。今日は序盤なら三点を失い、大事な最終盤で致命的とも言える追加点を許すなど、苦しい投球を強いられた。もちろん彼女一人だけの責任ではないが、自身の失点が試合展開に直結しているだけに、このままで終われない気持ちは人一倍強い。
(私が出て、京子ちゃんかゆりちゃんが繋げば紗愛蘭ちゃんに回る。紗愛蘭ちゃんなら四打席ともなれば必ず打ってくれるはずだ。更にその次はオレスちゃんだし、そこまで行けば試合は分からなくなる)
紗愛蘭らクリーンナップまで回すためには真裕の出塁が鍵を握る。その初球、彼女は内角に入ってきたカーブに手を出すも、空振りを喫する。
「良いぞ真裕! ストライクはどんどん振ってけ!」
「空振り怖がって引いたら負けだよ! 攻めろ攻めろ!」
一縷の望みを胸に、亀ヶ崎ナインは声を枯らす。だがマウンドの美久瑠はその圧にも動じることなく、自らのリズムで淡々と投球を行う。
二球目もカーブが続いた。今度は真裕がバットに当てたものの、捉えることはできない。
「ファール」
打球は三塁線の外側を転がっていく。真裕はあっさり追い込まれてしまった。
(渡さんは決め球が無い分、ツーストライクからでも色んな球種を使ってくる。ただどれもバットには当てられるから、そこまで恐れる必要は無い。次の球でいきなり打とうと思わないで、まずはどうにか並行カウントまで持っていくことに徹しよう)
真裕はボールを増やしてカウントを整えようとする。ところが美久瑠はボール球を挟まず、立て続けにストライクゾーンへと投げ込んでくる。
「……ファール!」
三球目は外角低め、四球目は内角高め付近へとそれぞれストレートが来た。真裕は思い切ったスイングができないながらも共にカットして逃れる。
(このカウントからでも簡単にストライクを集めてくるな。おそらく私の考えが読まれてる、或いは誘導されてるんだろうけど、別にそれでも構わない。下手に打ちに出たらそれこそ相手の思う壷だ。とにかく今は根気強く体勢を立て直そう)
五球目、六球目、更に七球目もファールが続いた。真裕はいずれ自分に流れが傾くと信じ、ひたすらに粘る。
一方の美久瑠もストライクを投じ続けている。特筆すべきはその全てを打ち返し辛いコースに投げ分けていることだ。最終回まで来ても自慢の制球力は落ちていない。寧ろ一層研ぎ澄まされているようにすら思える。
(柳瀬さんもしぶといね。だけどその戦法は私には通じないよ。おそらく私の集中力が切れる前に、そっちが限界を迎えるんじゃないかな)
真裕の粘り強さも美久瑠は諸共しない。七球目のファールの後、球審から新しいボールを貰った彼女は素早く乃亜とサインを交わし、八球目を投じる。
投球は真ん中へ。一見ボール球だが、真裕は変化球の可能性があるとしてすぐ見切りを付けないようにする。
案の定、美久瑠が投じたのはチェンジアップだった。真裕は減速するタイミングに合わせてスイングし、逆方向へと打ち返す。
打球は一塁側ベンチの奥に高々と上がり、スタンドの方へと流れていく。真裕は再びファールで粘る。
……と思われたが、セカンドの吉原は追うのを止めなかった。そして彼女は打球よりも早くフェンスまで到達する。
「吉原、捕れるぞ!」
共に追ってきた一柳が見守る中、吉原はフェンスに張り付きながら左手を目一杯伸ばしてジャンプする。すると打球は魔法が掛かったかの如く失速し、彼女のグラブに吸い込まれていく。
吉原が打球を掴む。フェンスに背中を預けて尻餅を付くように着地した彼女だが、咄嗟にグラブを抱きかかえてボールを離さない。
「アウト!」
「おお! ナイスキャッチ!」
すかさず一柳が駆け寄り、吉原の腕を引いて起き上がらせる。無理かと思われた打球に対しても最後の最後まで諦めず追いかけた執念のキャッチに、観客からは拍手喝采が送られる。
「吉原さん、ありがとうございます! 最高です!」
美久瑠も帽子を脱ぎ、最敬礼で吉原に感謝の意を表する。真裕との勝負がもう少し長引くと覚悟していたので、これでアウトにできたと思うと喜ばしいことこの上無い。
「そんな……」
対する真裕は唖然としながら打席を後にする。ツーストライクを取られた後も必死に食らい付いたが、最後は吉原のファインプレーに屈した。
これでツーアウトランナー無し。亀ヶ崎、万事休す。
See you next base……




