16th BASE
四回裏、羽共は先頭の乃亜がツーストライクと追い込まれながらも、その後しぶとく四球を選ぶ。
続く六番の馬目に出されたサインはバント。エンドランなども考えられるが、手堅くランナーを進めてきた。
「ピッチャー」
馬目は二球目を一塁側に転がす。真裕が処理するも二塁には投げられず、送りバント成功となる。
《七番レフト、吉田さん》
乃亜を二塁に置いて迎える打者は吉田。第一打席ではストレートに差し込まれてショートフライに倒れている。その再現ができればと、真裕は初球に内角高めへのストレートを投じる。
「ふん!」
吉田は鼻息が漏れるほどの荒々しいスイングで打ちに出る。バットに当たらず空振りとなるも、その姿は非常に清々しい。同じワンナウトランナー二塁のシチュエーションでも、表の亀ヶ崎ナインにはこうしたフルスイングがほとんど見られなかった。
リードしている羽共からすれば、仮にこのチャンスを潰したとしても致命傷にはならない。極論を言うと今の点差を維持すれば勝てるからだ。
反対に追い掛ける亀ヶ崎としては一つ一つのチャンスを着実に活かしていかなければ、いずれ敗北が待ち受けている。このプレッシャーから打者はどうしても慎重にならざるを得ない。こうして気持ちにゆとりを持てる戦況かどうかが、両チームのバッティングに差異を生じさせている。
フルスイングを見せられたバッテリーは、それだけで警戒心を強めるもの。二球目はストレートから低めのツーシームに切り替える。
「ボール」
初球とは一転、吉田は悠然と見送った。低めに来たと分かった時点で見切りを付けたのだ。ここから菜々花は吉田の狙いを読み解く。
(吉田は高いゾーンに絞って、低めはストライクでも手を出さないようにしてる。だったら低めの球でさっさと追い込んでしまおう)
菜々花はアウトローのストレートを要求。真裕は二塁ランナーを目で牽制した後、彼女のミットに視線を移して三球目を投じる。だが投球は狙いよりも若干高くなってしまった。
吉田は外角の球ながら引っ張り込んで打ち返す。鈍い音を発して転がったゴロが三遊間を襲う。
「ショート!」
打球は跳び込む京子のグラブの先を通過し、外野へと抜けていく。二塁ランナーの乃亜は亀ヶ崎の外野陣が予め前進していたこともあり三塁で止まる。
これでワンナウトランナー一、三塁。羽共がチャンスを大きく広げる。
「ごめん、菜々花ちゃん」
真裕は本塁のカバーからマウンドへと戻る際、菜々花に一言詫びる。サイン通り低めに投げられていれば吉田は打ってこなかった、打ってきたとしても野手の守備範囲に打球が収まっていたかもしれない。この一球に関しては紛れもない失投と言える。
「謝らないで。そういうことだってあるさ。切り替えて後続を断つよ」
菜々花はそう言って真裕に奮起を促す。如何に真裕でも一試合を通せば投げミスは当然ある。その時にどう軌道修正するかが捕手の腕の見せどころだ。
《八番ピッチャー、渡さん》
打席には美久瑠が入る。亀ヶ崎の内野陣はセカンドもショートも前に出るバックホーム体勢を敷く。打者が美久瑠ということも雖も、こうした前進守備はヒットゾーンが広がるためリスクを伴う。これが今の羽共なら前で守らずダブルプレーを狙う選択もできるが、これ以上点差を離されたくない亀ヶ崎にはそれができない。
(ここのバッターが渡で良かった。一打席目を見る限り、真裕の球なら奇を衒わない配球でも三振を取れる。打球が前に飛ばなければ前進守備も気にしなくて良い)
バッテリーの狙いは三振。初球はアウトコースのカーブから入る。果敢にバットを振る美久瑠だったが、タイミングが全く合わず空振りを喫する。
(今のはカーブか。場面が場面だけに私にも変化球を使ってくるんだね。けどとりあえず追い込まれるまでは真っ直ぐ一本狙いだ。フルスイングしてバットに当たれば、内野の頭くらいは越せるはず)
美久瑠はストレートにタイミングを合わせている。それはバッテリーも見透かしていた。真裕は二球目も同じコースにカーブを投じ、再び空振りを奪う。
あっという間にツーストライク。乃亜の時と違い、バッテリーは空振り二つで美久瑠を追い込んだ。彼女の考えもある程度分かったため、この後の組み立ても考えやすい。
(渡も三振だけはしたくないと思うはず。おそらく追い込まれたことで引っ張る意識を捨てて、引き付けて打とうとしてくる。次の球でそれを探ってみよう)
菜々花が三球連続となるカーブのサインを出す。ただし今度は低めのバットの届かないところに外す。真裕もそれに従って三球目を投げる。
「ボール」
ワンバウンド投球となり、美久瑠に見極められた。だがバッテリーとしてはこれで良い。美久瑠の意識が二球目までと比べて変わったことが確かめられたからだ。
(もしかしたら三振覚悟で思い切りバットを振ってくるかと思ったけど、そこまで無謀な賭けには出ないか。だったらこの球で決めてしまおう)
(分かった)
真裕が菜々花のサインに頷く。四球目、彼女は菜々花が構えたミットに、寸分の狂い無くストレートを投げ込む。
投球は美久瑠の脇腹を突き刺すような勢いで直進。外のカーブからコースもスピードも急激に変化していたため、美久瑠は思わず腰を引いて見送る。
(あ、やば……)
捕球した菜々花のミットの位置を見て、美久瑠は肝を冷やす。だが時はもう戻らない。彼女には球審の判定は泣く泣く受け入れるしかなかった。
「ストライクスリー、バッターアウト」
「うわ……」
美久瑠は力無く腕を下ろして空を仰ぐ。これ以上のボールなど無いと言えるほど素晴らしい内角のストレートで、真裕が美久瑠を見逃し三振に仕留める。これには菜々花もミットを叩いて賛辞を送る。
「ナイピッチ! ツーアウト」
「うん、ツーアウト」
真裕は右の人差し指と小指を立てて菜々花に呼応する。ツーアウトと変わってバックホームの必要が無くなり、亀ヶ崎としては楽に守れるようになった。
See you next base……