14th BASE
四回表、ツーアウトランナー二塁。打席には七番の菜々花が入る。
《七番キャッチャー、北本さん》
菜々花は三回表に先頭打者としてヒットを放ち、一点を返すホームを踏んでいる。その際に美久瑠はほぼストレートしか使っていなかった。今回はランナーがいるため配球も変わってくるだろうが、対応して一打席目の再現をしたい。
(今のところ投げた変化球はほとんどカーブ、それとツーシームが少し。確かもう二つ三つは持ってるはずだけど、そこら辺は三巡目まで取っておくかもしれない。それを考慮した上でどう組み立ててくるかな)
振り返れば初回、菜々花は乃亜に自身のリードを読まれてタイムリーを許した。立場が逆転し、借りを返さなければならない。
初球、インローにストレートが来る。菜々花は打っていくも、差し込まれて一塁側へのファールとなる。
(真っ直ぐから入ってきたか。サウスポー特有の食い込んでくる球だし、インコースに投げ切られると簡単には捉えられないな。次はこの球を活かして外への変化球を挟んでくる。……と思わせておいて同じ球を続けてくる気がするぞ)
二球目、菜々花の予測通り、美久瑠は内角のストレートを投じてきた。しかし投球は菜々花の脇腹付近を通過。彼女が腰を引いて見送り、ボールとなる。
(やっぱり続けたか。予めボールになっても良いと思って投げたかは分かんないけど、これで次に同じ球が来る可能性はほぼ無くなった。おそらく外の変化球になるだろうし、バットの届くところに来たら打ち返す)
三球目、外角にカーブが来る。これまた菜々花の予想が当たった。打ちに出ようと左足を踏み込む彼女だったが、投球の変化が乏しくストライクゾーンまで曲がってこない。
「ボールツー」
四球目もカーブが続く。ただこれもボールも外れた。菜々花が冷静に見極めてカウントはスリーボールワンストライクと変わる。
(ゆりの時もそうだったけど、渡はランナーを背負うとコントロールが悪くなるタイプなのかも。ここはランナーを溜めて良い場面じゃないし、私と勝負してくる。ストライクを欲しがるだろうから甘い球が来るぞ)
ここまで菜々花は乃亜の配球をほぼ読み切っている。それもあって心に余裕ができ、バットを構える姿もリラックスしているように見える。狙った球は確実に捉えられそうだ。
ところが五球目、ストレートがアウトローの際どいコースに決まった。強引に打っても凡打になるだけなので、菜々花は止む無く見逃すしかない。
(狙ったのか偶然か、一転して良いボールが来たな。こればっかりは割り切るしかない。大事なのはここからだ。低い球はファールにしながら、甘くなったボールを捉えよう。こっちとしてはフォアボールだって良い)
フルカウントとなっての六球目、外角のストレートが続く。こちらも非常に厳しいコースだったため菜々花はカットする。
(真っ直ぐが続いた。三球目と四球目を見る限りカーブはコントロールが付いてない。キャッチャーも同じように思ってるのなら、ここは真っ直ぐかツーシームで押し切ろうとしてくるだろうな。万が一変化球が来てもバットには当てられるようにしておこう)
菜々花は速球を右方向へ弾き返すイメージを想起する。引き付ける意識を持っておけば変化球にもある程度対応できるはずだ。
美久瑠が一度二塁ランナーを見やってから七球目を投じる。投球は彼女の左腕を離れた瞬間、菜々花の目線の高さに浮く。
(……ん?)
テイクバックを取っていた菜々花は顔を顰め、一瞬だけ動きが止まる。投球は弧を描くように沈み、徐々に内角高めのストライクゾーンに迫ってくる。
菜々花は判断が付かなくなり、手を出さざるを得なくなる。脇を締めたスイングで必死に打ち返そうとするも、体に近いコースのためタイミングも距離感も測り辛い。僅かな静寂にグラウンドが包まれた後、乃亜のミットの乾いた音が響く。
「バッターアウト。チェンジ」
空振り三振でスリーアウト。二塁ランナーは残塁となる。菜々花はスイングしたバットを持ったまま打席の中で天を仰ぐ。
(くっ……。失投だったからボールになると最初に思ってしまった。偶々ストライクに見えるところに行ったんだろうけど、カットできなきゃ)
最後の球は縦に割れるカーブ。投げ損ないが上手い具合にストライクかボールか分からない高さまで落ち、菜々花に半端なスイングをさせた。
……というのはあくまで打者目線での見解に過ぎない。実際には美久瑠は乃亜の要求に従って投げたのである。
「ナイスピッチ。最初から最後まで完璧だったよ」
「ほんと? 良かった」
マウンドから降りてきた美久瑠を、乃亜が誇らしげに讃える。驚くべきことに、二球目から四球目のボール球も彼女の指示だった。美久瑠がカーブの制球に苦しんでいるように見せかけたのだ。
(北本さんはやっぱり読みが鋭いね。私とも考えが合いそうだ。でもそれ故に私からしても読みやすいんだよ)
この打席、決して菜々花の読みが当たっていたわけではない。彼女が考えていた内容も含めて全ては乃亜の筋書き通り。フルカウントからのカーブは無いと思わせておき、最後の最後で出し抜いた。
三球目と四球目でカーブが変化しなかったのも、美久瑠が勝負球を見据えて故意にしたもの。対して六球目ではしっかりと変化するよう指に掛けて投じ、菜々花に錯覚を起こさせた。
ここで一つ留意しなければならない点がある。美久瑠が球種はもちろん、コースや高低も全球乃亜の要求通りに投げ切ったことだ。
美久瑠はストライクかボールかを問わず投じる球を意のままに操ることができる。この類稀な制球力こそ彼女の真骨頂。試合前に紗愛蘭が抱いていた疑問の答えとなる。
ただしこの事実にはこれまでの対戦相手ですら気付いていない。何故なら羽共バッテリーが細工を施し、美久瑠が時折制球を乱す振りをしているからである。ゆりの四球や菜々花へのボール先行がその一貫だった。
案の定、亀ヶ崎の選手たちも美久瑠のコントロールはそこまで良くないという印象を持っている。この認識を変えられない限り、彼女を攻略することはできないだろう。
See you next base……




