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【なめたけ亭】にて



 【なめたけ亭】


 彼は新しい店が出来ると知ってから数ヵ月。その予定地の前を通る度にワクワクしながら待ち続けたが、その名前を読んで首を捻った。


 (……なんだか変な名前だな)


 キノコ料理専門店のような店名だが、しかし亭と付く店なら洋食の気配がする。パスタなのか、グリルなのか釈然としないまま、開店の日を迎えた。しかし、当日は仕事が忙しく、昼間は近づく事すら出来なかった。



 結局それから一ヶ月が過ぎ、その店の前に再び立った時。既に開店祝いの花輪ものぼりも見当たらず、新規開店を示すものは何も残されていない。いや、それどころか金曜の夕刻過ぎにも関わらず、店内の明かりは灯されず薄暗いままなのだ。まさか、もう閉店してしまったのか? そう思いながらサッシ製の格子ガラス戸に触れると、どうやら鍵は掛かっていないようだ。


 「……こんばんは、やってます?」


 ガララと馴染み深い陰気な音と共にサッシを開け、中の様子を窺うと、奥の厨房に淡い光が灯っている。無人で無い事を察しホッとしながら身体を店内に押し込むが、やはり誰も居ない。そのまま暫く思案していたが、厨房を見ると確かに明かりは点いている。なら、丁重に声を掛けてみるしかない。


 「すいませーん、お店は営業してますかー?」


 明かりは見えるが反応は無い。鍵も掛けないなんて不用心にも程が有る、そう思いながら店の中に足を踏み入れようとしたその時、


 「…あっ、お客さんっ!!」


 何と背後から女性に声をかけられて振り向くと、長い髪を丁重に結い上げて纏め、薄化粧の良く似合った美人が手に持った買い物袋を抱えたまま立っていた。




 「そうだったんですか…」

 「ええ、お恥ずかしい話ですが…何分にも素人のままお店を開けてしまって…」


 見惚れてしまう程の彼女は、やはり【なめたけ亭】の店主だったのだが…その開店の経緯を聞いた彼は若干混乱していた。


 まず店主の女性は、飲食店の経験が全く無かった。いやいや流石に店を構えるとなれば、調理師免許とまでは言わないがそれなりの技術指南を受けて当然なのに、


 「この店が空き家だったので、オーナーさんに直談判して貸してもらったんです!」


 と、あっけらかんと答える彼女の表情に一切の迷いはなかった。どちらかと言えば本人も若干の間違いだったと気付くべきにも関わらず、


 「オーナーさんが【寄る年波に勝てず閉店したものの意欲有る方に使って貰えれば貸しましょう】って感じでした!」 


 感じでした! では無い。そんな感じで【食中毒出した感じでした!】と保健所にお世話にならない内に、新しい調理担当者を見つけた方が絶対良いと彼は思い、つい口を滑らせてしまった。


 「いや、その意気込みは良いと思いますが…せめて調理経験者を雇った方が良いんじゃないですか?」

 「…ですよねぇ。何処かにそんな方居ないでしょうか…」


 なんとまぁ潔い程の見切り発車なヒトだな、と妙な感心をしながら、彼は自分の身の上を思い返して少しだけ羨ましくなってしまった。何度か転職を繰り返し、郷里から次第に遠ざかりながらキャリアを重ねる内に調理師免許を所得し、雇われ店長なんてつまらない仕事で人生の半分を擦り減らした結果、体調を崩して養生の今である。もし、彼女ともう少し早く出会っていたら…また、違った人生を歩んでいたかもしれない。そう思うと自然と口から言葉が漏れていた。


 「…あの、実は自分…今は療養中ですが、調理の仕事に従事して…」

 「療養中なんですか? それはそれは…えっ?」


 言ってからしまったと気付いたが既に遅し、である。彼女の表情は見る間に明るくなり、朗らかに微笑みながら彼の手を両手で包み込むように握り締めた。


 「それでしたら是非! うちで働いてくれませんか!?」


 話の流れから見れば当然の展開に、まだ退職してないんだけど、と言うタイミングを逃した彼は、


 「ま、まぁ…少しだけなら、何とか…」


 と、そう言うのがやっとだった。






 店構えから見て、和食のメニューが中心かと思いながら、傍らに置かれていたお品書きを手に取ると、


 【 お任せコース 3000円 】


 たった一行だけ。ただそれだけの字がガッチリ書き込まれていた。いや、だから何を任せればどんな料理が出てくるの? と首を傾げたくなりながら向き合う形で立つ彼女に話し掛ける。


 「そう言えばまだ、自己紹介してませんでしたね」

 「…あ、そうでした! 私はここの店主、三倉みくらと申します!」

 「三倉さんですね、自分は飯田いいだです。宜しくお願いします」


 やや堅苦しい挨拶だな、と思いながら返答すると、三倉は突然彼に顔を近付けると小声になり、


 「…それで実は、まだお伝えしていなかった事がありまして…」


 と、急に言葉を詰まらせながら、彼に向かって説明口調になる。


 「えぇと…その、食材に関してなんですが…」



 「…沢山有り過ぎて、困ってるんです」





 (…沢山有り過ぎる? 仕入れを間違えたからかな?)


 そう心の中で呟きながら、飯田は三倉の後を付いて厨房の奧へと入って行く。両開きの大きな冷蔵庫の前を通り、食器が置かれた棚の脇を抜け、やがて下に降りる階段へ辿り着く。いや、ちょっと待ってくれ。何故地下室がある? しかも結構な深さじゃないか。しかも冷蔵庫も冷凍庫も素通りしたって事は…


 「…この先にあるんですが、その…」



 「…何を見ても、()()()()()()()()()


 はいー、来ました! 見ちゃいけない奴ー! これ見たらもう戻れない展開じゃないですかー!!


 …と、やや怖くなりながら彼は頭の中で先に何が有っても驚くまい、いやしかしそうは言っても人間のアレやコレが有ったらどうしようスマホ電波届くかな届かないあら困った三倉さんが不思議そうな顔で振り向くとつい慌ててスマホ仕舞ってアハハと愛想笑いしてから不自然極まりないなヤバい変な汗出てきた…。



 ガチャリ、とやけに響く扉の開く音に、心拍数が高まる。さっきまでの高揚感はさざ波が引くように消え失せ、しっとりと湿度が有りながら、それでいてじんわりと纏い付くような冷気を帯びた空気が漏れ出る先に視線を向ける。


 …ごくり、と思わず固唾を飲んで見詰めるその先には、なんの変哲もない棚が広がっていた。


 「…なんですか、これ」


 飯田はつい声を漏らしてしまい、そして三倉さんもばつの悪そうな表情を浮かべながら、


 「ええ…キノコの自家栽培なんです」


 そう言って恥ずかしそうにうつむいた。





 キノコを育てるのが好きなのか、キノコ好きが高じて生計を立てたくなったのかは判らないが、とにかく三倉という女性は、地下室でキノコを栽培していた。


 「ほら見てください! 立派なベニテングタケですよ!!」

 「それ、毒キノコなんじゃないですか」

 「茹でて塩漬けで二ヶ月待てば、毒は消えるらしいですよ?」

 「うーん、試したくないなぁ…」


 彼はそう言いながら三倉の手に収まっている鮮やかなオレンジ色のベニテングタケを眺め、スマホを操作して毒抜き法を検索してみる。おおむね彼女の言う通りらしいが、問題は含まれている毒が強力な旨味成分だという事なのだ。


 「まあ、ベニテングタケはまた今度にしよう。それよりも他はどんなのがあるんだい?」


 ベニテングタケから話を逸らしたくなった飯田は、三倉に向かって聞いてみる。


 「そうですね…食べ頃の大きさはチタケとススタケ、あとはアミガサタケも採れますよ」

 「アミガサタケか…いいね。で、チタケとススタケってのは?」

 「チタケは栃木で人気のキノコで、ススタケは房総半島に生えるキノコです」

 「うーん、そうなんだ…」


 飯田の聞いた事のないキノコもあるが、一先ず味見くらいはしておくべきか。そう思った彼はそれらを取ると一階に戻り、厨房へ。




 「調理器具は一通り有るか」


 ミキサーやピーラー、それに包丁等を手に取りながらどう調理するか考える。一応、冷蔵庫にあった他の食材も使えるようだが、味見ならシンプルな方がいいだろう。早速、ブラウンマッシュルーム(これは冷蔵庫に有った)とエノキを細かく刻み、ミキサーに少量の水と共に入れて撹拌する。そして大判のシイタケの軸を外し、ひっくり返して受け皿にしてペースト状のキノコを流し込む。


 「あっ! もう作り始めてたんですね?」


 一旦奥に入った三倉がそう言いながら戻り、飯田の横からグリルで加熱されていくシイタケを眺める。一見すると茶色い表面がふつふつと泡立つ様子はハンバーグに見えなくも無いが、立ち上る甘く香ばしい薫りは間違いなくキノコである。


 横に並んだ三倉に声を掛けようとした飯田だが、彼女の持って生まれた健康的な美しさと、若さ故にはち切れんばかりの容姿を改めて間近に感じ、つい言葉を掛け損ねてしまう。だが、彼も良い年のオッサンである。今は仕事だと割り切って焼きシイタケを皿に載せ、三倉に手渡した。


 「えっ? 私から食べていいんですか?」

 「そりゃオーナーが先からに決まってますよ。それに自分は味見だけなら済んでますから」


 そう切り返してはみたものの、逆に言えばまだ味見程度にしか口にしていない。けれど彼女を驚かせるだけの出来になっている自信はあった。


 「では…いただきます!」


 三倉が先ず一口目を、掌大の大ぶりなシイタケを箸で掴んで噛み付く。


 「……っ!?」


 思わずほふっ、と熱さにたじろぎつつ口の中に転がり込んだシイタケに目を白黒させるが、直ぐに鼻腔まで突き抜けるキノコ特有の薫風に圧倒され、彼女は思わず飯田の顔を見てしまう。すると彼は、掌を上に向けてどうぞ続きをと頷きながらうながした。


 「…んっ、ふぅ…♪」


 口の中の熱さも次第に和らぎ、徐々に落ち着きを取り戻すと同時に三倉の味蕾(舌に備わる味覚の器官)は、シイタケの力強い滋味の陰からじわじわと現れるマッシュルームの個性的な旨味、そして僅かに残るエノキの歯応えを感じ、その様々な違いを明確さに感じて心が(おど)る。例えるなら、同じ部類の打楽器のティンパニとドラム並みの違い、と言うべきか。そうした軽妙さと重厚さが交互に触れ合いながら、彼女の口中で巧妙なハーモニーを奏でるのだ。


 「はふっ、ふっ…!!」


 しかし、やがて熱さは鳴りを潜め、落ち着きを取り戻した三倉は今まで味わった事の無い味わいを発見する。それはぼんやりと舌の上に居座り、その存在に気付くとなかなか無視出来ない代物であった。


 「…?」


 これは何か、そう注視した瞬間。


 「…っ!!?」


 じゅわっ、と周辺の味蕾が一気に沸騰し、過去に経験した事のない猛烈な旨味が蹂躙していく。もう、それはまるで小さな穴からじわじわと水が漏れ、遂にダムが決壊するような勢いで。


 「んむぅ~っ!!」


 「あ、それはたぶんベニテングタケですよ」


 「…んむぅ~っ!?」


 落ち着き払って答えた飯田曰く、ベニテングタケの毒自体が旨味成分そのものなのだが、過剰に摂取すれば強い酩酊や腹痛、吐き気や動悸の高まりで酷い時には昏倒してしまうそうだ。


 「…全く、私を殺す気ですか!?」

 「いや、少しだけなら心配は要らない筈ですよ。一本丸々食べなければ、中毒症状に至らないと…」

 「…飯田さんは食べたんですか?」

 「…ちょっとだけ」


 そう言って指先で、小さく摘まむ仕草をする飯田に三倉は頬を膨らませつつ訴える。


 「もう…次からはキチンと説明してから出してください!」


 けれどそう言いつつ彼女は直ぐにニコリと笑い、直ぐに続けて問い掛けた。


 「で、飯田さんはこれからココで働いてくれますよね?」


 その彼女の仕草と言葉に胸の内を鷲掴みにされた飯田は、


 「…まあ、ええ…こちらこそ宜しくお願いします」


 と、気分と裏腹に物静かを装い、どうにか答えるのが精一杯だった。



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― 新着の感想 ―
[良い点] ちょっとなら食べられるんですか、ベニテングダケ! 初めて聞きました(@@;ほえ~ 栽培こそしてませんがウチもきのこ大好きで、エリンギやシメジ、エノキなど何かしらいつも常備しています( *´…
[良い点] 「ぺこりんグルメ祭」企画から拝読させていただきました。 まさに出会いですね。 飯田さん、これからも三倉さんに振り回されながら、楽しく調理していくのでしょうね。 ベニテングタケ、調べたらグル…
[良い点] 薬膳料理にもなりそいですね。 飯田さんがいなければ開業は無理だったようで、奇跡的な出会いでした。
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