形勢一変
「鈴。また会いにきてやったぞ」
「あら、ありがとうございます。距離が近いです、離れてください」
「相変わらずつれないな」
「お褒めいただき光栄です」
今日もまたやってきたその男に、精一杯の皮肉で返す。
なんだかどんどん遠慮がなくなってきている自覚はあるのだが、やめ時を見失ってしまったのだから仕方ない。
「だが、そんなところが可愛らしい」
「まあ、変わったご趣味ですのね」
黎に目線でストップと言われているのが見えた。
分かっているわよ。やりすぎておかあさんに言いつけられたらまずいし、これ以上は黙った方が賢明よね。
さくらさんは私の事情を理解してくれたみたいだし——というか、なんだかとても仲良くなってしまったし、私のことを両親に言いつけたりしないと約束もしてくれている。
さあ、あとは、私がこの男に嫌われることさえ出来たら破滅回避間違いなし。
どうやったら大事にならずに、円満に嫌われることができるのだろう。
「そういえば」
そんなことを考えていたら、朱雀が何やら思い出したらしい。
「どうなさいましたの?」
「私には婚約者がいるんだが」
ええ、存じておりますとも! とは言わずに、
「そうですか」
と返す。
「美しいだけで他に取り柄もない女なのだが」
失礼な! さくらさんが美しいことには全力で同意するが、彼女はそれ以外にもたくさん取り柄がある。
やっぱり、さくらさんのような素敵な女性の良さが分からないこの男が彼女の婚約者なんて、受け入れたくないと少し思ってしまう。
「早く結婚しろと彼女の父親がうるさくてな。私としてはもっと気ままな生活を長く続けたいのだが、とりあえず会うだけでよいからと何度も屋敷に招待されて困っている」
「まあ、大変ですね。でも、いつかは結婚なさらないといけないのですから、婚約者さんと仲良くなるために、お屋敷へ訪ねてみてはいかがでしょう? 案外いろいろな取り柄のある素敵なお嬢さんかもしれませんし」
そしてそのまま恋におちて私のことなど忘れてしまえ。
「ひどいな、この私が婚約者の話をしているのに、拗ねてもくれないのか」
拗ねるわけがない。
「御冗談を。とにかく、一度会ってみれば良いと思います」
「まあ、それもそうだな。鈴の言う通り、否応なしにいつかは結婚しなくてはならないのだから」
「その意気です! 夫婦仲良くやっていけるに越したことはありませんもの」
「さっきから、やけに乗り気ではないか?」
「気のせいです、きっと」
「それに、そのいつかも現実的なものになってきてしまったしな」
「……え?」
「彼女の父親に、遅くとも三か月後までには結婚してもらう、と言われた」
「嘘でしょう?……そんな」
早すぎる。どうしよう、さくらさんには、朱雀と結婚するまでに、この現状をなんとかすると約束してしまっている。
「ああ、どんなに動揺しないでくれ。大丈夫だ。私は、結婚したあとも、決して鈴のことを忘れないと誓う」
「……どうしよう。このままだと、まずいことになる」
「鈴? 顔が真っ青だ。そんなに私が結婚するのが気がかりか」
「いえ、その、……黎を」
「は?」
「どうか、黎を呼んでください。少し、体調が悪いみたい」
◇
「鈴? 大丈夫? すぐに気が付かなくてごめん」
朱雀に呼ばれた黎は、お座敷が終わるよりも先に、私を置屋へ連れて帰ってくれた。
黎が居間の座布団に私を座らせたところで、私は思わず声を荒げてしまう。
「どうしよう、どうしたら良いの、私」
「何? 一体何があったの? 落ち着いて」
「朱雀が、遅くとも三か月後までには結婚するって」
しばらくの沈黙のあと、彼は、
「大分早いね」
と言った。
「あの人、私のこと嫌いになりそうもないわ。それどころか、結婚した後も私のことは忘れないなんて言うんだもの」
「鈴……これはあくまで僕の推測なんだけど」
彼は確信が持てないといった表情ながら、自分の考えを話しだした。
「多分、さくらさんとの約束、破ることになっても、さくらさんは鈴のことご両親に言いつけないんじゃないかな?」
「どうして? 約束は約束じゃない」
「だって、鈴は何も悪くないもの。あのときはさくらさんも少しは疑いの気持ちがあったかもしれないけど、もう十分分かっていると思うよ。二人とも予想以上に仲良くなってしまったし、友人の状況が悪くなるような行動をとるかな」
「じゃあ、私はこれからもずっと朱雀さまに好かれたままなの? 確かに彼女は両親に言わないでいてくれるかもしれない。でも私だって友人を裏切るような行動とれないわ。友人の夫婦仲を壊す原因になんて、なりたくないもの」
「だったら、朱雀さまに言う? 迷惑だから、会いに来ないでって」
「……やっぱり、それしかないの? わざと朱雀さまの機嫌を悪くするような行動をとったら、この街から追放だわ。私、ずっと芸者さん続けたいのに。この街が大好きで、置屋の皆が大好きなのに。それに、おばあちゃんと母さんと父さんが——私の家族が、この街にいるのに。これだけたくさんの大切なもの、全部失わなければならない」
友人を裏切るか、それとも今までの私の努力と、私を愛してくれていた人たちを、裏切るか。……どちらも、選びたくない。
「……その全部と引き換えで、僕ではだめ?」
突然、彼が意を決したように、私に向き直って言った。
「どういうこと?」
「鈴のこと一人では行かせないから。鈴は全部を失うことはない。僕はどこまでだって一緒に行くよ」
「私、黎の人生めちゃくちゃにできない」
「ならないよ、めちゃくちゃになんて。僕は鈴さえいれば、あとはどうだって良いんだから」
黎の相変わらずの鈴中心的な考えに、少し唖然とする。
しばらくすると、なんだか可笑しく思えてきて、少しだけ笑うことができた。
「ふふ……もう、相変わらずね。でも、ありがとう。おかげで、ちょっと落ち着いたわ。……それに、冗談でも嬉しい」
「笑わないでよ。冗談じゃないから」
彼が呟く。
いつもなら胸が苦しくなる彼の言い分も、今回ばかりは愛おしい。
「前向きに考えることにする、二人が結婚するまで、全力で嫌われるように頑張るわ」
「具体的には?」
黎の質問に私は朱雀に嫌われるために実践している数々のことを伝える。
「これまで通り、とにかく彼の話には興味がないように振舞うわ。返事もできるだけそっけなくして、そうだ、これからは、話しかけられた時に半分くらいの確率で気づかなかったことにしてスルーしてしまおう」
「……なんか、鈴のやってること全部が逆効果な気がしてきた」
「どういうこと?」
「朱雀さま、冷たくされると燃える性格なのでは?」
「と思うじゃない? 物は試しと思って、逆に好かれる行動をとってみたこともあるのよ」
「どうだった? 反応悪かったんじゃない?」
黎の期待を込めたまなざしに、引きつった笑顔で返す。
「「甘えてくるのも可愛らしいな」って言われた」
「あぁ……」
「全然ダメ。その日は最後までとってもベタベタされたし、もうたくさん。嫌われようとしても、好かれようとしても、結局好かれるんだもの。どうしたものかしら」
押しても引いてもダメとなれば、ため息くらいつきたくなってしまう。
「頼みの綱はさくらさんしかいないのでは?」
私が最近気づいた考えに、黎も行き着いたようだった。
「やっぱり、黎もそう思う?」
「だってそうでしょ。元々のゲームではそうだったんだから」
「そうよね。さくらさんが朱雀と会うことで、朱雀がさくらさんのことを好きになって、私のことを忘れてくれたら、それが一番良いのよね。……なんだか他人頼みな気がして、気分としてはあまりよくないけれど」
「頼れるものは頼っても良いんじゃない? 本来はそれが正しい形だったわけだし」
「まあ、そうなんだけど」
これは私の勝手な思いだけど、私は個人的にはさくらさんと朱雀に結婚してほしくないのだ。
別に朱雀のことが好きだから、とかそういう話ではなくて、単純にさくらさんが朱雀と結婚したら苦労するであろう場面が容易に想像できてしまって、なんだか、もっと良い人が他にいるのでは、という気分になってしまうというだけの話なのだが。
「とりあえず、今度さくらさんに会ったときに、今日のこと話して相談してみるわ」
「……思ったんだけど、さくらさんにも、鈴の前世の記憶のこと、話してみたら?」
黎が思いもよらない提案をする。
「僕だって知っているから、色々と対策がとれるわけで、さくらさんだって事情が分かれば、今よりもっと具体的に色々協力してくれるようになるんじゃない?」
「確かにそうかもしれないけど、巻き込みたくないのよ。それに多分信じてもらえないわ」
誰だって自分が今まで生きてきた世界がゲームの世界で、空想のものでした、なんて言われたら信じられないし、仮に信じるしかなかったとしても良い気はしないと思う。
「そう? きちんと話せば分かってもらえるんじゃない?」
「こんなに簡単に信じてくれるのなんて黎くらいよ」
——というか、私、実を言うと結構後悔してるのよ
当時の私は、まだ幼くて、先のことまで考えが及ばなかった。
だから、今まで普通に生きてきて、これからだってそうであったであろう人のことを、軽い気持ちで壊せてしまえたのだ。
◇
数日後、私はいつものように踊りのお稽古から戻り、お座敷までの僅かな休息を過ごしていた。
「こんにちは」
数日待ち望んでいた声が裏口から響く。
「さくらさん! 会いたくて待っていたのよ。お話したいことがあるんです」
「……わたしも、お話しなければならないことがあります」
いつもと違う暗い表情に、なんだか胸がざわつく。
「顔色が悪いですよ。大丈夫ですか?」
私はさくらさんを客間に通すと、お茶を入れて、彼女に持っていく。
「あの……どうしましょう。お父さまが、鈴さんのこととても怒っていらして」
震えた声で話を切り出す彼女に、私の中で推測をしていく。
彼女の父親が、私のことを——
「話したの? 私のこと」
「いいえ、違うんです! 決してわざとじゃなくて」
「話したのね……どうしよう」
「本当にごめんなさい。約束したのに。本当に、裏切るつもりなんてなくて」
「いいえ、最初からおかしな約束だったもの。裏切られたなんてちっとも思わないわ。大丈夫よ、大丈夫……」
必死に自分を落ち着かせようとするけれど、どうしたって最悪の結末ばかりが目に浮かぶ。
やっぱりダメだったのか。自分の人生は自分で決められるなんてとんでもない幻想で、私は自分の末路を受け入れるしかないのか。
「言い訳をしたいわけではないのですが、どういう事情でお父さまがこのことを知ることになったのか、お話しさせていただけませんか」
「……ええ、聞かせてください」
「最近、今までわたしのことなんて全く興味もなさそうだった朱雀さまが、時々屋敷に訪ねてくるようになったんです」
それは、きっと私がそうしてみたら良いと朱雀に言ったからだ。
「相変わらずわたしには興味がなさそうだったのですが、どうもお父さまと趣味が合ったのか、色々と話し込むようになってしまっていて」
彼女はそこまで言うと、ただでさえ暗かった表情をさらに暗くした。
「昨日のことなんです、お父さまと朱雀さまは、お酒を飲んでいたらしく、わたしはお父さまに追加のお酒を持ってくるように言われたんです。お酒を取りに行ってお部屋に入ったときに、物凄い剣幕でお父さまが朱雀さまに怒鳴っているものですから、どうしたのだろうと思って……そしたら、そしたら朱雀さまが、「好きでもない女と結婚してやると言っているのだから、それ位別に良いだろう」って言っていらして」
ということは、つまり、
「朱雀だって好き好んで愛人の存在を婚約者の父親になんて言わないだろう、と思っていた私が甘かったのね」
さくらさんは首をふると、思い切ったように言う。
「わたしのせいです! わたしとっても驚いてしまって、すぐに誤魔化せたらよかったのに、固まっちゃって」
「さくらさんは何も悪くないわ。……もともと、こうなる運命だったんです。わざわざ伝えに来てくれてありがとうございます」
「本当に申し訳ないです。わたし、どうしたら良いのか」
分かっていて彼女と友人になったのだ。
私との約束を違えたということに、これだけ心を痛めてくれる、優しい人。
「大丈夫です。本当に。さくらさんのお父さまは、これから私のことをどうするとお考えでしょう」
「……「そんな女この街から追放してやる」って言ってるんです」
『晦の夢見草』で何度も聞いた台詞だ。なるほど、本当に『強制力』はあるものなのね。
少しだけずれた世界戦を歩んでいるつもりだったけれど、結末はやっぱり元通りになってしまうのだろうか。
「わたし……朱雀さまのことを説得します。お父さまにきちんと謝っていただいて、鈴さんに迷惑がかからないようにします。私はまだ諦めません」
「そんな、無理だわ、きっと。……でも、ありがとう。そう思ってくれるだけでも嬉しい。私は、さくらさんと友人になれて良かったです」
「いいえ、説得してみせます。鈴さんは、わたしの唯一のお友達なんです。私のことを『一族を立て直す希望』としてではなく、ただのさくらとして見てくれる大切な存在なんです。私が変わることができたのは、鈴さんのおかげです。その恩は、絶対に返します」
「ありがとう。でも、どうか無理はしないで」
最初から終わることが決まっていた私と、望まれていたあなたとでは、あなたの方がこの世界にとって重要な存在に違いない。
ゲーム通りに進むのなら、彼女の父親は、私の存在を知った二日後に置屋に乗り込んでくるはず。そして、そのまま私を——
私は明日までに、自分で終わりを選ばないといけない。




