致命的な失敗
「鈴。お前は本当に美しいな」
「ありがとうございます。……少し離れてくださいませんか」
「相変わらずつれないな。もっと素直になればよいものを」
素直になって良いのなら、「もう会いに来ないでください」と言いたいのだけれど。
あの最悪な出会いから二週間。
この男は残念なことに本当に私に会いに花街にやってきた。それも一度や二度のことではない。
たった二週間の間に、私はもう八回もこの男に会っている。あまりの頻度に若干引いてしまいそうだ。
◇
「私を呼ぶのそんなに安くないと思うんだけど、破産しないのかしら。……しないんだろうな。あの人の実家、お金あるもの」
「鈴、かわいそうに。最近愚痴の頻度が多いね。……あれ? かわいそうなのは、その愚痴を毎回聞かされ続ける僕もなのでは……? 」
お座敷からの帰り道、黎と一緒に歩きながらお互いに愚痴をこぼす。
「これだけ短期間に通いつめるのはもちろん怖いけど、それに加えて距離感近いのも怖いのよ。……というか、ヒロインがかわいそうよ。そういえば、そろそろ朱雀の花街通いに気が付くイベントが起きるころなのではないかしら。はやく弁解しにいきたいわ」
「もう説明じゃなくて弁解って認めちゃってるし……でも、距離感近すぎるのは確かにちょっと困るよね。おかあさんにも気を付けて見ておいてあげなさいって何度も言われたよ」
「なるほど、だから最近私のお座敷にばかりついてきていたのね。やっぱり黎がいると私も心強いわ。でも我慢しすぎないでよ。私の世話ばかりしていなくて良いのよ」
「いや、我慢はしていないけど」
本当だろうか。これで実は恨まれていたなんてなったら目も当てられない。
私たちは良い意味でお互いに気を使わずに軽口をたたく間柄だけど、もしかしたらそう思っているのは私だけで、黎の方はストレスになっているのではないだろうか。
「本当の本当に大丈夫? ……なんなら私のこと嫌ってくれても良いのよ。後から恨まれて売り飛ばされるくらいなら、今のうちに悪口いわれたり意地悪されたりする方が全然ましだし」
「恨んでないし、売り飛ばしたりなんてするわけないでしょ。というか、本気? それはさすがに酷すぎると思わない?」
「いろいろと我慢させてるんじゃないかと思うと心配なのよ。言い訳のように聞こえるかもしれないけど、別に私は自分の末路だけを心配しているわけではないわよ。もちろんそれも心配だけど、黎が苦しんでいたら、私も苦しいもの。嫌なことがあったら、なんでも相談して」
私が最初は自分の悲惨な末路を回避するために黎と仲良くしていたからといって、今もそうかと言われたら決してそんなことはない。
黎は本当に素直で純粋で、とにかく良い子だったのだ。こんな良い子がゲームの本編では鈴のせいで、あんな状態になるのだと考えると、幼少期の私は保身ではなく、本心から彼と仲良くなりたいと思うようになっていった。
「相談ね……」
黎は立ち止まると、私の着物の袖を引く。
「ちょっとだけ羨ましい、かな」
「羨ましい? 何が羨ましいの?」
「朱雀さまのことが、少しだけ、羨ましい」
「朱雀が? どうして?」
思いもよらないことを言われて、私は首を傾げる。
「客なら、鈴に近づいて、触れても、鈴は何も言わないでしょ」
「いや、度を越えたらやんわり止めるけど……なに、そんなことを羨ましいなんて言ったの?」
「いけない? 最近お互いに忙しくて全然休みもないし、二人きりでいる時間がほとんどないから、ちょっと思っただけ」
「でも、私たち、仕事だとしても結局一緒にいることが多いじゃない」
私と黎は置屋で互いに唯一の同い年だということもあって、お座敷や挨拶回りなどの仕事ときでも姐さんやおかあさんがわざと気をまわして一緒にいさせてくれることが多い。
結果的に、顔を見合わせない日はほとんどないくらいだった。
「そうだけど、そうじゃないというか」
黎が小声で懇願するように言うから、なんだか返答に困ってしまう。
しばらくお互いに何も言わずにいたけれど、無音に耐えられなくなってきた私は空気を変えるためにわざと明るく声をかけた。
「黎、疲れているんじゃないの?」
「……ああ、うん。そうだね、そうかも。ごめん、変なこと言った。忘れて」
——嘘だな、と思う。これは私が言わせた言葉で、彼の本心ではない。
二人きりで過ごしたい、か。覚えておかないと。
そうだ、今度の休みはヒロインの家を探しに行くから無理だけど、その次の休みは自分の予定ではなく黎の予定に付き合うことにしたらどうだろう。
きっと黎は誰かにかまってほしいのだ。その相手が私だというのがなんとも皮肉じみているけれど、黎がそれで良いと思うのなら、私もそれで良い。
そんなことを考えていたらなんだかかわいそうに思えてきてしまったから、私は思わず黎に近づいて抱きしめる。
背、伸びたなぁ。いつ頃抜かれたんだっけ。
「いつも頼りにしてるのよ。本当に」
「……うん。ありがとう、鈴」
私の破滅回避計画のもう一つの誤算は、彼だった。
◇
「また呼んでいただけて、嬉しい限りです。でもどうか無理をなさらないでくださいね。二日に一回くらいお会いしているように感じます」
破滅やらヒロインやらとは関係なく、純粋にこうもしょっちゅう会っていると、話すことがなくなってきて、仕事として困ってしまう。
「本当は、もっと長く会っていたいものなのだが」
やめてほしい。
「朱雀さまのご実家は、大変な資産家と聞いております。お仕事だってお忙しいのではありませんか?」
「いや、仕事をしているのは主に父だからな。私はほとんど忙しくはない」
そういえば、そんな設定だった。
——つまり、婚約者をほったらかし、自分の父が稼いだお金を使って女遊びをする攻略対象ということか。どうしよう、今考えると全然攻略したいと思える要素がない。
一応前世では推しだったはずなのに。今となっては良いと思えるのなんて顔くらいだ。
朱雀は、毎回のように自分の遊び仲間も連れてきていて、私以外にも何人か芸者を呼ぶため、お座敷はちょっとした宴会騒ぎだった。
やんわりと拒否したものの全く効かず、朱雀の膝の上に抱きかかえられてしまいながら、私は騒がしい人だかりの中に、黎の姿があることを目の端で捉える。
黎は今回もまたおかあさんに「鈴のこと心配なのよ。見ておいてあげてね」と言われ、私に同行していた。
黎は一応世話役という名目で本来男禁制の置屋に置いてもらっているとはいえ、割となんでも器用にこなせるタイプだった。
お座敷では太鼓などの鳴り物で地方さんたちの手伝いをしていたと思えば、はたまた酔った客や姐さんからの無茶ぶりで踊りまでさせられていたりする。
それに加えて、芸者に対して度を超えた行動をしようとする客をたしなめるためにきちんと見張ってもいるのだから、黎の気苦労を考えると、とても大変そうで思わず同情せずにはいられない。
変な無茶ぶりされていないだろうか、心配になってしまう。
——そして、もし大丈夫なようなら、私のことを助けてほしい。
「朱雀さま、降ろして下さらないと困ります」
「なにを、遠慮はいらない」
遠慮なんてしてないわよ! と言いたいのをなんとか堪える。
「困ります。本当に」
ここまでベタベタしてくるお客さまは初めてだ。私の常連のお客さまたちは、皆良い人が多くて、ほどほどの距離感の付き合い方をしてくれる人たちばかりだったから、姐さんたちが言う面倒な客の意味を今頃になって痛感している。
着物の上を朱雀の手が滑ってゆく。
ちょっと、どこ触ってんのよ!もうだめ、限界!
「困りますと、言っているでしょう!降ろしてください!」
しまった、と思ったときにはもう遅い。場が一瞬で静まり返り、周囲の人たちが私を見つめているのが分かる。
同じ置屋のあやめ姐さんが、なんとも言えない表情をして目を私から目を逸らした。
おかあさんが、朱雀のお座敷に黎を毎回必ず付けていたのは、これが理由だろう。いつか私がきつい言い方をして相手の不興を買うと分かっていたのだ。
黎がいたならうまくその場を収めて、かつ相手をたしなめてくれるだろうから、ということだったに違いない。
「……申し訳ありません。少し驚いて思わず声を上げてしまいました。どうかお気を悪くなさらないでいただけませんか」
ゲームの鈴の末路を考えると嫌われるのは万々歳なのだが、私の芸者人生を考えるとそうは言えない。
金払いの良い上客と置屋トップの芸者、花街は間違いなく前者をとるだろう。
もし朱雀が私の態度が悪かったなんて置屋に報告したら、私はあっけなくクビになる可能性があるのだ。
彼の返答によっては私の芸者人生が終了することになりかねないから、祈るような気持ちで朱雀を見つめる。
朱雀はしばらく俯いていたかと思うと、やがて肩を震わせ出した。
……怒りで肩を震わせているのだったらどうしよう。
「あの、朱雀さま?」
彼は声を上げて笑いだすと、
「……面白い」
と言った。
……ん?面白い?
予想外の返答に私が首をかしげていると、
「ますます気に入ったぞ。こんな気の強い女は初めてだ」
という声と共に、腕を引かれた。
困惑しながらもやめてほしいという意思表示のために、引かれた腕を振りほどこうとしたところ、あろうことか朱雀はそのまま私の腕を自分の口元に寄せて、手首に口づけたのだった。
あまりの衝撃的な光景に目を疑いながらも、朱雀の顔を見つめたら、彼は心から楽しそうに微笑んだ。
そのまま顔を近づけられているのは分かるのに、私は逃げることができずに、そのまま固まっていた。
「朱雀さま、そこまでです」
黎の声だ。
「なんだ、私は客だぞ」
「……皆様こっちを見ていらっしゃいます。こんな状況の中でそのまま口付けたら、鈴さまはきっと恥ずかしくて困ってしまわれますよ」
「……そうか?」
朱雀が首を傾げたので、私は全力でうなずく。
「はい、とても! とても恥ずかしいです! 朱雀さまとの初めての口づけを人に見られるなんて、私、耐えられません……」
私は「ありがとう、黎! 本当に頼りになるわ!」と目線だけで伝えてみるけれど、彼は気づいているのかいないのか一切の反応を示さなかった。
「そんなに言うなら今回はここまでにしておこう。私としても皆に見せびらかすつもりはないしな」
朱雀はそう言うと、やっと私を解放してくれたのだった。
お座敷からの帰り道、私はいつも通り黎と一緒に置屋への道を歩いていた。
「あの、黎。さっきはありがとう。本当に助かったわ」
「……うん」
「それにしても本当にヒヤヒヤしたわ。私の芸者人生終了かと思うとどうしていいか分からなかったの。それもこれも私が相手の気を悪くせずにやんわりかわすのが苦手なせいなのよね。よくおかあさんにも鈴は気が強いと言われるし」
「……そうだね」
返事と共にため息が聞こえたのは気のせいではないはず。
私が気を使っていろいろと話を振ってあげてるのに、黎はどうでもいいような返事ばかりするのだからこっちもだんだん話すのが馬鹿らしくなってきてしまう。
そんなことを考えていたら、黎が呟くような声で、
「鈴は朱雀さまの妾になって囲われたら幸せ? 前世では朱雀さまが『推し』だったんでしょ」
と言った。
「まさか。死ぬよりましってだけよ。私はおばあちゃんみたいな歴史に名を残す伝説の芸者になりたいのよ。そのために今まで努力してきたんだから。妾になって囲われるということは、その夢を捨てなければならないのだから、やっぱり嫌だわ」
私は花街育ちの人間だった。両親と花街の人たちからいかにおばあちゃんが凄い人であったのかを聞かされて育ったのだ。ある意味、私が芸者の道を志したのは必然だったとも言える。
「でも、このまま本当にこの世界がゲーム通りに進んでしまうなら、ヒロインがハッピーエンドに進んでもバッドエンドに進んでも、どっちにせよ私は芸者をやめなきゃならなくなるわね。だからこそヒロインに説明して、分かってもらわないと」
「もし、ゲーム通りに進んでしまうことがあったら、鈴はどうするつもりなの?」
黎の言葉に私は考えを巡らせる。
「私がどんなに頑張っても、どうにもならなかったら、仕方ないのだと思うことにするわ。悔しいけど、それが運命だったと受け入れる。ただ、前世の記憶の存在とゲームのシナリオライターはちょっとだけ恨むかもね」
黎は悲痛な表情で、私を見つめている。
「やだ、大丈夫よ。この世界に『強制力』があるのだとしても、それは絶対のものではないはずだから」
「なんでそんなこと分かるの?」
「黎と出会ってからの九年間で身をもって知っているからよ。……大丈夫。私の人生は私のもの。きっと変えられるわ」
もし本当に『強制力』があるなら、私は自分の意思に反して黎をいじめていただろうし、黎と鈴がこんなに仲良くなることだって、あり得なかったはず。
だから、きっと大丈夫。
「はぁ。それにしても私、本格的に気に入られてしまったわね」
「……だね。鈴があんなこと言ったから嫌われるかと思って見てたんだけど」
「まさかのその逆、ね。困ったわ。私は無意識に致命的な失敗をしたのね。……普通に考えて反抗的な態度を取られて気に入られるってあり得ないと思うんだけど」
いわゆる『おもしれー女』状態に陥っていることは自覚があるのだが、これって回避するのはとても難しい気がする。
嫌われるような反抗的な態度を取れば気に入られ、気に入られるような行動をとってもやっぱり気に入られる。
どっちに転んでも結局気に入られるんじゃない。
「明日は久しぶりに二人ともお休みね」
沈みかけていた思考を放棄して、話を変える。
「うん。いよいよだね。大体の目星はついているんでしょ?」
黎の声も少し明るくなった気がする。
「もちろんよ。花街の外、元々城下町だった辺りにヒロインは住んでいたはずなの」
「へぇ、じゃあヒロインの両親って結構お金持ちなの?」
「そうよ。なんでももともとこの辺りの土地の城主だった家系らしくて」
「ふぅん。どんな子なの? 僕も聞いておいた方が良いでしょ。見た目の特徴とか教えて」
確かに。いろいろ情報を教えておいたら、万が一私がヒロインを見逃しても黎が見つけてくれるかもしれない。
「……ものすっごい美人」
「……ん?」
「本当にかわいいのよ! かわいいし、やさしいし、とっても良い娘なの」
ゲームのスチルでは攻略対象よりもヒロインばかり見ていたことを思い出す。
私はいわゆる『夢女子』ではなく、壁になりたいタイプだったのだ。
壁になって、ヒロインと攻略対象の恋の行方を見届けたい、つまりはカップリングで推すタイプだったといえるだろう。
「性格は聞いてない」
黎の声で変な方向へ進み出していた私の脳内が引き戻された。
「しまった。そうよね、容貌のことよね。……えっとね、腰くらいまである黒髪で、大体桃色の簪でまとめていることが多いわ。着物は赤色とか朱色とかのものを着ていることがほとんで、いいとこのお嬢さんってかんじ。……結構当てはまる人が多そうな条件ね。でも、とにかく美人だから、見れば分かると思う」
「鈴より美人?」
「どうだろ、私は結構きつい顔してるからなぁ。万人受けするのはヒロインの方だと思うけど、見る人の好みによるんじゃない? 方向性が違うだけで、美人度としては同じくらいだと思うけど」
自分で自分のことをヒロインと同等の美人だと言ってしまうのは気が引けるが、事実なのだから仕方ない。
ただ、私はどうあがいてもヒロインのような可愛い系の顔ではなかったから、その点においてはヒロインの圧勝だろう。美人の方向性が大きくかけ離れているのだ。
「鈴と同じくらいか。なら、見ればわかるね。ずば抜けてるということだもの」
「黎に言われると複雑なんだけど」
こうして話しているとしょっちゅう忘れそうになるが、黎も攻略対象の一人だ。
ということは、つまり、例にもれず例も相当顔が整った部類だというわけで。
「昔は姐さんたちによくお下がりの着物着せられて女の子みたいだったじゃない。というか今もやろうと思えばいけるんじゃないの? 美人って性差ないわよね……」
「あはは、やだよ。もう着ない。姐さんたち酔うと本当恐ろしいんだから」
良かった。笑った。
さっきから黎があんまり暗い顔をしているものだから、ちょっと心配だったのよ。
「ふふ、私としてはおかあさんがなぜ止めなかったかの方が気になるんだけど」
「それが、おかあさん、隣で楽しそうに笑って見てたんだよね……」
黎が笑いながら続ける。
「ええ、なにそれ。……おかあさん、疲れてたのかしら」
そんな他愛ない話をしていたら、いつのまにか置屋に着いていた。
「おかあさん、今帰りました」
引き戸を開いて、声をかける。
「あら、お帰りなさい」
まもなく、おかあさんがわざわざ出迎えてくれた。
私は思わず黎と顔を見合わせて笑ってしまう。
「なぁに、どうしたの。そんな笑って」
「いえ、なにも」
黎が笑いながら答える。
「そう? さあ、もう遅いのだから早く上がって。二人は明日はお休みだったかしら?」
「はい。すみません、忙しい時期なのに」
「良いのよ。むしろこっちとしては最近まともに休みをとってあげられなくて申し訳ないくらいだもの。久しぶりの休日、楽しんでね」
おかあさんは、私を含め、自分の置屋にいる子たちを、それこそ本当に自分の娘であるかのように、きちんと見て気にかけてくれるような、本当に良い人だ。
私は、こうして見ていてくれる人たちのためにも、自分の末路を回避しなければならない。
それから私たちは、就寝の挨拶を済ませ、いつも通りそれぞれの自室へと引き上げたのだった。




