約束するよ 君の笑顔を守るために
頭が痛い
雪の降るこの季節になると何故か頭が痛くなることが多くなる
寒さのせいで血管が縮んでしまってそうさせているのか、はたまた人肌恋しいこの季節に彼女の1人や2人いない自分に頭が痛くなるほど呆れているのか、そこのところはよくわかっていない
特に恋人がいないことに劣等感を抱いたことはないのだが…
友人からは強がりだとよく言われてしまうが
とりわけそういうわけでもなく、ただ興味が持てない、というよりも俺なんかが興味を持っていいのかという思考が頭の片隅に存在し、それが俺の好奇心やらなんやらを邪魔してくるのだ
好奇心があるのならばやはり、一緒にケーキでも食べる相手が欲しいと思っているのかなどと、無駄で無意味な思考が結果俺の頭の血管が縮ませてしまっているのかもしれない
だから考えないようにしているし、他人のそれにも羨むこともしない
恋人なんて自分には無縁のものだと考えるようにしている
それなのに頭が痛い、ここ数年間、この寒い季節だけ
耐えられないものではないが、じわじわと気力を蝕んでいくこの痛み
一体何が原因なのだろうか
ただ一つだけ、思い当たる節が俺の中には存在する
それは、冬が嫌いだという事だ
寒いから、彼女がいないから、そういった理由ではない
好きになれない、という表現が正しいだろうか
好きな要因なら挙げていけばいくらでもあるのに、何故か好きになれない
好きになってはいけない、どこからともなくそんな気持ちに陥ってしまう
好きになれるはずなのに好きになれない、この葛藤が今年の冬も始まる
忘れてはいけないよと、そんなことを言ってるかのように頭痛も起こり始める
日が沈んだ後の学校というものは、世間一般的には気味が悪いという印象を持たれがちだが俺は違った
日中の校舎には何百人もの人間がいて、活気に満ちているからか空気は寒くてもなんだか温かな雰囲気を醸し出している
対して今の時間はシンとした寒さだけが残っていて物音はというと、3階に上がってきて少し切れた自分の息と足音だけが校舎内に響き渡っているだけだ。この差異が良いのだ。
遅くまで練習している硬式野球部も、あちこちから音色が聴こえてくる吹奏楽部も今は学校にいない
3-Aと書かれた鍵を握りしめてひとりぼっちの俺が夜の教室に向かっているのは、そんな温度差を感じるために来た変わり者でもロマンティストでもない
単純な話だ、ノートを忘れてしまったのだ
今晩急ぎで使う予定のないこのノートだか、一晩たりとも離れ離れになることは出来ない
理由を聞かれれば上手くは答えられないが、赤ちゃんで言うおしゃぶりのような、若者でいうスマホのような、そんなところだ
無ければ不安になる
帰宅してからそいつが無いことに気づき、わざわざ取りに来たのだから大人しくあってくれよと、気持ち早歩きで廊下を駆け抜け、一番奥の部屋まで最短ルートで到着した
外からの月明かりがなければ見えなかったであろう鍵穴に鍵を差し込み、何故か恐る恐る反時計回りに回していく
ロックが外れドアを開いていくのだが、
数センチ開いたところでひっかけた指先に異常な寒さを感じた
この冷たさと隙間風、ドアを完全に開く前に日直が窓を閉め忘れたのだという名推理が浮かんだのだが、開き切った時それは間違いだと瞬時に判断することができた
そこには女の子がいたのだ
窓際の前から3番目の席の机の上に女の子が座っている
こちらに気づいていないわけはないのだが、見向きもされない
ただぼーっと寒空を見上げているのだ
そんな不思議な様子にも、何故鍵が掛かっていたのに教室にいるのかということにもその時には気にならなかった
見覚えのあるその制服に思考のすべてを支配されて、他の情報はすべて遮断されてしまっていたのだ
うちのものではないが、どこかで見たことのある、けれども遠すぎないこの感覚は一体、、、
どうしても思い出せない、あとほんの少しで引きずり出せそうなのに
実際はほんの数秒のはずだが数十分悩んだくらいの疲労感に見舞われたので考えることをやめた
と同時に女の子と初めて目が合う
金色の腰まで届きそうなキレイな長い髪
一見外国人のように見えるが、瞳は真っ黒で顔立ちは日本人っぽい、ハーフなのか?
こんなに寒いのに膝上くらいまで上げたスカートから雪のように白い脚がすらっと伸びている
年は同い年かちょっと上、身長は…
さっきまで制服に気を取られていたからか、目に入った情報が一気に頭の中に流れ込んできてショート寸前までなった
(それに何故ここにいる⁉︎)
一番不可解に思わないといけない点が結局最後に伝達されてきてしまった
しかし、そんなことは聞かないし第一声がそれではなんだかスマートではない
こんな時、なんと声をかければいいのか…そうだ
「月がキレイですね」
最近どこかで聞いたこの言葉が妙に頭に残っていたので、使い所は今宵しかないと思い、躊躇いもせずに発したのがこれだ
後日この言葉に隠されている意味を理解した時に赤面していたことは言うまでもない
何はともあれ、第一声という難題をお洒落な一言で乗り越えたことに深く酔いしれていた自分に、女の子からもすかさず返事が返ってくる
「私はお星様の方が好きだなー」
予想外の返答に、一気に言葉が詰まる
予想の範疇ではイエスかノー、この投げ掛けではノーはほぼ有り得ないという憶測からイエス、その後の話題を考えていたのに、まさかのカウンターを食らわされて顔だけでなく体も硬直してしまう
この冷え込みの中、自分の愚かさゆえに脂汗まで出てきた
「ね、あなたはお星様好き?」
女の子から穏やかに、問いかけるように質問がくる
こちらが強張っていることを気にも留めずにまっすぐこちらを見て、ただ返事を待っているように見えた
「星は…好きな方だと思う。よく分かんないけど」
そう答えると彼女は白い歯を見せて静かに微笑んだ
その屈託のない笑顔に俺の緊張は少しは和らいだ気がする
「お星様はね、キラキラ輝いているように見え
て実は燃えてるらしいよ?核融合…だっけな?
太陽は近くにいるけど、お星様は遠くにいるから分かりづらいけど…」
机からひょいと飛び降り、身振り手振りをしながらこちらに近づいてくる
真っ直ぐに、ではなく教卓を経由し、他の生徒の机を一周、二周してわざわざ遠回りしながら…
自分を星に見立て、表現しているように見える
本当に星空が好きなのだろうなと、数分前に初めて会ったのにそう思わせるのは彼女の表情を見れば誰にでも伝わる
その瞳は、まるで小宇宙の中に無数の星々が散りばめられたような輝きを放ち、こちらを見惚れさせてしまうほどキレイだったのだ
それを見ているとなんだかこちらも気分が乗り、楽しくなってきたので勢いで聞いてみる
「君はどうしてここで星を見てたの?」
彼女の歩みがピタッと止まり、瞬間に表情が曇る
と同時に左下を見つめ何か考えている様子だ
慎重に言葉を選んでいるようにも見える
この空白の時間が生まれたことに俺はひどく後悔した、何かいけないことを聞いたのかと反省し、何よりも彼女の輝きを一瞬にして消したことに罪悪感すら芽生えたのだ
謝ろうと口元を開いた瞬間に彼女の方も動き出した
「あのお星様たちは、期間限定なの。私たちと一緒。だから私はそれに全力で応えたいんだ」
彼女の言葉から熱量は伝わったものの、上手く理解することができなかった
期間限定、全力で応える、、要するにこの場所でなきゃいけない理由があったのだろう
直接確かめる勇気はなかったので、自分の中でそう解釈することにした
「そっか、そうだよね」
言葉を飲み込み、そう答える
ふと外に目をやると本当にいつも以上に星空が輝いて見えた
「たしかにここからみる星はキレイだなあ」
自然と口から溢れたその言葉に彼女は弾むような笑顔で相槌をうち、先ほどの輝きを取り戻したように見えた
「この時間になると校舎も周りの明かりなんかも消えてきて鮮明に見えるんだよ」
「学校も高いところにあるし、それでかもな」
たわいもない会話が続き、時間が過ぎてゆく
じっとしていられない寒さのはずなのに、何故か温かい
この時間がずっと長く続けばいいのに、そう考え出した時に本来の目的を思い出す
ノートだ!
そう言って一目散に自分の机に向かう俺を見て彼女も呆然としている
あってくれよと願いながら机の中を覗くと、そいつは当然のようにそこにいた
ほっと安堵の息を漏らすと、急に踊った心臓が徐々に落ち着いてきた
「それは?」
彼女が聞く。当然だろう、あんなに慌てていたのだから
「これは、、なんだろう、決意表明みたいなもんかな?」
「決意表明?」
「そう、昔に書いたやつみたいだけどあんまり覚えてない」
「覚えていないって中見たら分かるんじゃないの?」
「そうなんだけど、字が汚くって読めないんだよね」
「ふーん、そうなんだ。なんかいいね、そういうの。将来の夢ってやつ?」
「まー、そんな感じ!なんか俺ちっさい頃から医者になりたかったみたい」
そう言うと彼女はほんの一瞬驚いた顔を見せたが、すぐにあの温かな表情に戻る
「すごいね、叶えてね、その夢」
それ以上は深く聞いてこなかった
応援されているような気分になり、嬉しくなったがすこし照れ臭い
医者になると言って馬鹿にされなかった事が初めてでそれがとても嬉しくなった
頑張るよとだけ伝え、俺は教室を後にする事にした
彼女はまだ残ると言うので、鍵を託す
遅くならないように、風邪を引かないようにとまるで親心のような気持ちでそれを伝えると、案の定母親かと言うツッコミがきて、それが楽しくて帰りたくなくなった
気持ちを抑え、無理やりに自分の体を捻り彼女に背を向けると、彼女は何かを言っていたが振り向けばまた遅くなると思ったので、手を振って教室を後にした