07‐ 庭園での昼食
フィリピン海の水平線が一望できる位置に建てられた円柱形のガーデンテラスでアイリーは黙々と巨大なステーキを食べている。左右にはアンジェラとクラリッサ。テーブルを挟んだ向かい側には東洋人の若い女が座っている。
アイリーに供されているステーキは元々は2ポンド近くあったのだろう。一人分とは思えない巨大な肉の塊だ。アイリーは肉を薄く削いで口に運んでいる。厚さが5センチ以上ある肉だ。分厚く切っても口には入りきらない。
チョコレートケーキにも似た色に強く焼き付けられた外側とロブスターの外殻にも熟れた果肉にも似た肉の赤色が調理の完成度を語っている。アイリーは黙々と肉を食べ続けている。
「大した精神力だ。防御手段がない攻撃を受けている最中の者の食欲とは思えないな」
テーブルに頬杖をつきながら対面に座る若い女性が笑いを含ませながらそう言った。アイリーが肉の塊から女性へと視線を移す。
「防ぎようがないというのなら俺は車に跳ねられただけでも数分首を絞められただけでも死んでしまう脆弱の身だ。大事なのは原因の排除だ。これは冷静な判断力が必要になる。冷静さを保つには、まず体が満足するだけのものを喰っておく事だ」
アンジェラとクラリッサは目を伏せたままでいるがその表情はアイリーの意見に同意を示している。
「襲撃者は俺を追撃せず、戦力を削ぐための襲撃だと宣言していた。ならば俺が戦力を増強し続ける限り俺自身への直接攻撃はない。俺への攻撃は俺が丸腰、丸裸になってからだろう。迎え撃つ罠は完成している」
「あたしかい」
改めて背もたれに体を預けて上体を逸らしながら若い女…… シャオホンが笑った。
「カイマナイナさえ太刀打ちできなかった未知の相手というのは興味がある。待ち時間の退屈を堪えるだけの報酬も提示されている。ミサキの件もあたしが何とかしなきゃいけないだろうしな」
襲撃から3日。異変は続いていた。カイマナイナとネイルソン、ミサキの復活がない。死亡した可能性さえ疑われるがアイリーを護る物理攻撃無効化のアクティビティとラウラの半身半蟲の筐体へのネイルソンのアクティビティ供給は途切れずに続いていた。
「本人が意識しなくとも命ある限り供給が続く、あたしが“置き型”と呼んでいる能力発動が途切れていないと言う事はカイマナイナもネイルソンも死んではいない証になる。ただ、体が復活していない理由は不明だ」
「観測衛星で監視を続けているが…… エイミーが起こした砂嵐は未だに消えず、ゆっくりと移動も始めている。1日あたり120kmほどの速度だが停滞せずに東南方向へと進んでいる。ミサキ達は砂嵐に囚われたままになっているのか? 砂嵐の中では何が起こっていると思う?」
アイリーの問いにシャオホンが微かに顔をしかめた。憶測でものを言うことを嫌う性格を曲げて会話を続ける苦痛を感じているようだ。
「……エイミーにあんな能力があるとは知らなかった。アイツは二刀流の刀使いに特化したエレメンタリストだと思っていたからな。砂嵐が消えずに移動を続けているのはアイツが能力を発動させたまま徒歩で移動を続けているからだろう…… 理由は分からない。本当に分からない」
一瞬だけアイリーが傍らに立つクラリッサへと注意を振り向けた。この手の話題には必ず参加してくるのが常だ。だがクラリッサは沈黙を続けている。もう3日も生返事しか返してこない。
「……ねえ、ベイ…… アイリー? 私達の中に襲撃者と内通している者がいるってどうして考えたの?」
不意にアンジェラがそう尋ねてきた。シャオホンとの会話に関係のない話題で割り込んできた形だがシャオホンはそれを咎めようとしなかった。アイリーの顔に微笑が浮かぶ。
「……リッカに聞いたか。ようやく、俺と話をしてくれる気分になったか? クラリッサもか?」
「……勘弁してくれ。アイリーを護れなかったのに今も傍らで無力な警護を晒しているんだ。気まずくて言葉が出てこなかった。悪かったよ、相棒」
クラリッサの声音が言い訳に湿っている。珍しい事だった。アイリーが吐息を揺らして笑う。
「俺は生きている。それに……これまでの戦いはセントタラゴナ市、……ペク族の村、東ブリア…… 一般市民が攻撃されていた。今回は違う。標的は俺だ。……随分と気楽に感じているよ。この安心感はクラリッサ達の警護とシャオホンの支援あってこそだ。相手の正体も真意もまだ分からないが…… 引き続き俺を護ってくれ」
そう言ってアイリーは上体を捩じって傍らに立つアンジェラにも顔を向けた。
「俺は普段通りの関係を最優先したい。自分の身を守るために最適の形だからだ。俺から言うべき事ではないし…… 言うのは恥ずかしいから一度しか言わないが…… 今さら俺との距離をおくな。いつも通りに俺をベイビーと呼んでくれ、アンジェラ」
アンジェラが微笑を浮かべる。
「愛の告白? イノリに対して重大な秘密を抱えてしまったわ、ベイビー」
アイリーが笑う。言葉では応えずにシャオホンへと向き直った。
「シャオホン。俺に敵対する者にとって最大の悪手は…… 俺の前にその姿を晒す事だ」
シャオホンが小さく目を見開いた。
「……大した自信だ。それで…… それがどうした?」
アイリーが大きく頷いて見せた。アンジェラとクラリッサの顔に納得の色はない。アイリーは何に頷いてみせたのか。
「この台詞…… 俺は自分が信頼する仲間の前でしか口にしたことはない。敵対者にこの言葉が事前に伝わる事はない。だが俺を襲撃してきた女は一言一句違えずにこの言葉を口にした。どこで知った?」
“最大の悪手はアイリーの目の前に自分の姿を晒すこと…… だっけ。自分の用事を済ませて…… 帰る”
アンジェラとクラリッサが記憶を再生させる。確かに、襲撃者はそう口にした。あの場で、その一言で、アイリーは襲撃者が彼の情報をどこまで把握しているのかに気付いたのか。
「不必要な警戒をするな、アンジェラ。俺の情報が筒抜けになっている。これは俺にとっても都合がいい事だ。俺を探して、誘い出そうとして、関係のない人々が攻撃に晒されるリスクが減少する。迎撃の準備を整えながら俺の戦場で待ち続ければ、向こうから勝手に現れてくれる。こんな好都合な話はない。甘えさせてもらおう」
シャオホンが天を仰いだ。
「あたしは罠の中に放たれた猟犬役か。護衛じゃねえじゃんか」
「提示した報酬額は護衛に払うものではないレベルだと思っている」
「強気な餌だぜ」
憎まれ口に応えず、アイリーは再び肉を口へと運んだ。誰もいない方角へと黙って目を向ける。
護りを固めるばかりで攻め手に欠ける現状に強い焦りも覚えている。死の恐怖がない訳ではない。クラリッサの視覚記録からミサキが変身したアイリーが首を斬り落とされ上体を袈裟懸けに両断されて地に倒れた姿も視た。自分の姿で死をつきつけられた経験はない。
嗚咽がこみあげる様な閉塞感に心が支配されかけた。だからこの庭で食事を採っている。
『自らの誇りと使命感で死の恐怖を克服した、俺の戦友。見守っていてほしい。俺に勇気を分け与えて欲しい。俺が冷静でいられる様に俺の弱い心を支えて欲しい』
アイリーの視線の先には白い花に包まれ海の青を背に眩しいばかりの陽光を浴びているオリビアの墓標があった。




