01‐ 裏切者
眼前に投影される大画面をアイリーは黙然と見つめている。その横にはリッカが付き添っている。アイリーの顔に表情は現れていない。何も感じていないのではなく、押し殺しているのだ。
人体発火のエレメンタリスト、アレハンドロに対する拷問とネイルソンの心を挫く為に行われた拷問を思い出す。熾烈を究め見る者の酸鼻を極めた拷問ではあったが本来ならばエレメンタリストと侵蝕部隊の間には覆しようの無い戦闘力の差があった。
圧倒的弱者による強者への拷問は一瞬の油断が立場の逆転を生むという緊張感があった。アイリーにとっては不利を覆した戦闘行為でもあった。
だが今目の前で行われているのは戦闘経験もない市民に対する常軌を逸した加虐行為だ。
『結末は確定していてネイルソンも予め了承している儀式よ。辛かったら無理に見る必要はないわ、ベイビー』
アイリーを挟んでリッカとは反対側に立っているアンジェラが思考通信でそう伝えてきた。誰の目と耳があるかも分からない。音声での会話は危険だった。
『……最終的には最善の結果を手繰り寄せる。そう判断したのは俺だ。俺には見届ける義務がある』
『最終的には全員が報われる。提案してきたイノリの知略には驚かされるわ。ネイルソンでさえ承知せずにはいられなかった』
『……全員とは、誰と誰と誰だ?』
アイリーの声に自己嫌悪が混じる。アンジェラが掌でアイリーの髪を優しく撫でた。
『ネイルソンの復興案には非力な者のリスクが放置されたままになっていた。イノリのプランはこのリスクに強力な保険をかける事が出来る。ジブリールには完全な治療体制が最初から用意されている。彼女が最終的に得るのは世界が彼女を無視できなくなる程の経験値よ。そして私達にはまたとない癒しとなる』
アイリーがアンジェラへと顔を向けた。表情は押し殺したままだ。アンジェラもまたアイリーを正面から見つめる。
『護衛対象の貴方に死の危険を突き付けた。ネイルソンに対しては蜂の巣にした後に挽き潰した肉片を泥の中に捨ててやりたいほどの報復衝動を私達全員が覚えているわ。イノリもよ。ネイルソンの体が不死ならば、その心に癒えぬ傷を与えたい。その願いが叶う事は得難い癒しよ』
『俺とネイルソンの間にある懸案に…… 本質的にジブリールは関係していない』
『知った事じゃないわ。アイリーに手を出した者は家族や友人さえ報復の標的となると世界に知れ渡る事が貴方を守る事にもつながる』
アンジェラの言葉は残酷なものだったが声音は優しさに溢れていた。
『ベイビー、アイリー。この考え方を貴方が嫌うと知っているけれど、これが私達侵蝕部隊の本質よ。侵蝕部隊は弱者の救済部隊じゃない。合衆国の秩序を維持する部隊なのよ。貴方とは相容れない考え方を持っているとしても互いに尊重しあわなければ信頼関係は成り立たない』
『わたしの意見も聞けよ!!』
リッカが話に割り込んできた。アイリーは答えない。リッカは構わずにアンジェラに話を始める。
『アイリーも納得しているよ、アンジェラ。ただ今までの自分の主義と正反対の納得だからムカムカしてるだけ。ほっとけばいいよ。ネイルソンはアイリーに“殺しはしない。けど無傷で帰すつもりもない。命さえあれば利用価値は残る。その程度の存在だ”と言った。ネイルソンは自分の言葉が自分の身に返ってきているだけだよ』
アイリーは答えない。リッカが問いかけた。
『同じことを言ってイノリを攻撃する者が現れたとして、アイリーは相手が弱かったら弱いことを理由に許しを与えるつもり? 弱いっていう事は相手の悪辣さの免罪符になるの?』
アイリーは深くため息をついた。
『もっと良い解決策を思いつけない自分を不甲斐なく感じているだけだ。俺はジブリールが傷つけられているのを見ても癒しと思えない』
『傲慢ね、ベイビー。それはイノリのプランを不甲斐ないと切り捨てているのと同じよ? 神話にある天使と悪魔の最終決戦の場で悪魔を相手に“貴方は神を信じますか?”と聖書を手にしながら布教して廻った天使がいたという描写はないわ。力に勝敗を委ねたのなら全力を尽くす事こそがルールよ』
「……鶏鳴の試練、か……」
初めてアイリーは口に出してそう呟いた。アンジェラの言葉には答えず大画面に映されているジブリールの受難を見つめ始める。
画面の中ではジブリールの悲鳴だけが聞こえている。英雄誕生を記録するために予め配備された撮影ドローンがジブリールの表情を大きくズームアップしている。
だがアイリーにはドローンが拾えていない囁く様な会話が聞こえている。ジブリールを襲撃しているクラリッサとドロシアがアイリーに送ってきているものだ。
「泣き喚くだけなら出血多量でやがて死ぬ。判断を間違えたらあたし達がこの場で殺す。英雄嬢ちゃんが計画した国の再興プランは世界が苦笑いするほど滑稽なものだった。最貧国育ちに勝手なことをされたら迷惑なんだよ」
「貴女には予定通り、ネイルソンの怨霊を討ち斃して再興の中心人物になってもらいます。その点で計画に変更はありません。ただし私達の指示には従ってもらいます」
激痛に翻弄されるだけだったジブリールの表情に怒りが滲み始めた。クラリッサとアンジェラが言わんとしている事を理解したのだろう。
「……世界が私達を裏切ったというのか? お父様が黙っていないぞ」
「おう、言いたいことはちゃんと言える。その精神力は合格点だ、英雄嬢ちゃん。だが考えが甘いね。お父様はたった今、あんたが殺されかけているのを黙ってみているじゃねえか。裏切ったのは世界じゃない。こうした方がいいんじぇねえの? という提案に汚ねえ尻尾を振ったのはお父様本人だよ」
「世界がネイルソンに失望したのは事実です。貴女には世界が注目する中でネイルソンを罵倒し、彼を討ち斃す事で生きながらえるチャンスを与えてあげましょう。美しいだけの英雄さん」
血に塗れた姿で奇跡的に倒れずに立った姿勢を保っているジブリールの両脇に人影が現れた。フード付きの野戦マントを纏った大柄な人物と小柄な人物。顔にはこの地方で精霊と呼ばれている存在を象徴する仮面を被っている。
「私達が用意したエレメンタリストです。貴方に代わりネイルソンを討ち斃します。ネイルソンは芝居と信じている様ですが、甘い判断のつけは自らの身で支払う事になるでしょう。貴女はどうしますか? 敗北する者にすがってここで一緒に死にますか?」
「お前達の言葉など…… 」
「面倒くさくなってきたよ。国の復興なんて誰を椅子に座らせてもなんとかなるだろ? こっちで用意すりゃいいじゃん。引き上げようぜ? 相棒?」
ジブリールの両肩から新たな血が噴き出した。光学迷彩で姿を隠しながらジブリールの体を支えているクラリッサが背後から銃で撃ったのだ。
巨大な怨霊は動かない。仮面はジブリールの方を向いている。ジブリールの窮地を目の当たりにしながらネイルソンの怨霊は救護の動きを見せなかった。
「チャンスを見極める判断力がないという事は世界を相手にする資格をそもそも持っていなかったという事ですね。さようなら、美しいだけの英雄さん」
ドロシアの憐れむ様な言葉にジブリールの絶叫が重なった。
「裏切ったな!? 裏切ったんだな!? 力に溺れ、策に溺れて敗北したんだな!? 世界に尻尾を振って、自らの安全だけを約束させたのか!! 失望したぞ、ネイルソン!! 薄汚い犬の魂を持つ穢れた奴隷!! 死んで地獄へ落ちろ!!」
ジブリールの両脇に現れた二人のエレメンタリストがそれぞれに片手をネイルソンへと向けた。それは能力発動の合図だったのだろう。
天から瀑布の様な雷撃がネイルソンを襲い、大地から噴火そのものの様な火焔の柱がネイルソンを包んだ。ジブリールがもう一度絶叫する。
「地獄へ落ちろ!! 裏切者!!」




