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エレメント・アクティビティ  作者: 志島井 水馬
第二部: 第十二章 新しいハリストス
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01‐ 対峙

 聞いた覚えもない少女の声が自分を罵倒してきた事よりも脳への攻撃を受けたはずのアイリーが復活を果たした事の方がネイルソンにとっては大きな驚きだった。



 脳細胞への干渉を受けてもエレメンタリストであれば損傷は一時的なものであり時間と共に回復し記憶や感情も復元する。さきのアンチクライスト戦でもっとも回復に時間がかかったエレメンタリストも終息後2日で失われた感情を完全に復活させる事ができた。



 人間はそうはならない。細胞の結晶化を抑える術はなく消失した脳細胞が回復する事はない。守護者連邦の首都に仕掛けた攻撃では120万人が干渉を受けネイルソンの支配から抜け出た者はいない。



 ネイルソンの目が笑いの形に細まった。想定外の状況を怒りや焦りで俯瞰できなくなる狭量さとは無縁だった。面白い。と感じる。一抹の寂寞とした思いと共に。



“世界が認めた新しいハリストスならば。この程度の危機は乗り越えて当然なのだろう”



 ネイルソンもアイリーの情報は把握している。そして仮に自分が同じ場所で同じ状況に陥っていたら、と想像もした。



 レストランコート襲撃事件。当時のニナの能力はまだまだ未熟なものだった。ネイルソンならばニナの能力発動を察知し結晶化させ事件を未然に防げただろう。病院襲撃事件の時ならニナの逃亡を許したりはしなかった。当然、セントタラゴナ市での虐殺は回避できていただろう。



 だがネイルソンがアイリーに代わってその場に臨んでいたとしても…… 世界がネイルソンを現代のハリストスとして再任し破格の待遇をネイルソンに差し出したりはしなかっただろう。事件の解決や悲劇の回避という実績を示したとしても世界が彼を再注目する事はなかっただろう。



 不可能を覆した人間、という評価がアイリーをして世界に新ハリストスと認めさせたのだ。



「現実とは事実と結果で評価されるものではないのか。なんという不公平だ」



 ネイルソンのつぶやきに諦めに侵された怒りが籠りはじめた。自分でも同じ事ができた。自分ならもっと上手く出来た。それが客観的な比較を積み上げた事実であったとしても世界は未熟で非力な新人の将来性を評価する。先行きの見えた古兵の訴えは遠吠えとして聞き流される。



 年若い新人が生来与えられた才能で呼び寄せたチャンスを生かし、常人には及ばぬ力を手に入れる。生まれた時に何も与えられなかった者には望むことさえ虚しい力を当然の様に使い、自らの願いを実現させつづけていく。何という傲慢な人生だ。何という不公平な世界だ。



 ネイルソンの顔に浮かんだ笑いは深いものとなっていく。自分を客観視する度量は持ち合わせている男だ。



“エレメンタリストとして生まれ、祖国の発展を願いながら足掻き続けた僕も貧困地帯で生まれその日その日を生き延びるために人生を消費し続ける者から見れば同じ様に不公平に見えるのだろうな”



 貧困地帯に生まれた者はネイルソンを指して不公平だと憎み、ネイルソンはアイリーを目の前にして不公平だと恨む。



“指摘を待つまでもなく…… 怨霊と化した僕の姿は僕の本性そのものだった訳だ”



「……非力なまま、たったひとりで戦場に戻って来て何をするつもりなんだい? 新しいハリストス?」



 笑顔のままでネイルソンがそう尋ねた。その葛藤を知らないアイリーにはネイルソンの笑顔は強者の余裕と映っている。



「暴力で奪い取った他人の幸福を子供に分け与えたとして…… その子が本当に幸福になると思うのか? ネイルソン?」



 アイリーの問いかけにネイルソンは噴き出した。こんな初歩的な滑稽な問いを投げかけられるとは思わなかった。



「はははは。ははは!! 本当に!! 君は恵まれた人間だな、アイリー君! それだけの観察力、推理力を持ちながら何も見えていない。哀れにさえ感じるよ、アイリー君」



 笑いを収めてネイルソンが吐き出した言葉は体の中で病み爛れ膿んだ傷口からにじみ出た血の匂いが混じったものだった。



「……僕が分け与えたかったのは幸福じゃない。生存権だ。強者の善意に縋りつかなければ食糧を手にする事も許されない貧困。生活を自立させるための活動に対する世界経済からの排斥と拒絶。僕達は人道という名の動物園で飼育される見世物の動物ではない」



「他に…… 他に手段はなかったのか?」



「あったら提案してくれ給えよ。自分で何も思いつかないのに批判だけするつもりかい? ハリストス?」



 アイリーの顔に悔悟の表情が浮かぶとネイルソンは予想していた。反論の余地などないからだ。だがアイリーは立ち上がりネイルソンへと歩み寄った。顔に浮かんだのは激怒の表情だった。



「ある訳がないだろう!! 俺は人道支援家じゃない。貴方の国の状況がどんなだったかなど知らずに生きてきた。だが貴方は違う。50年もかけて辿りついた結論がそれか!? それは貴方に命を奪われた人たちが納得できる話か!?」



 ネイルソンが歩み寄ってきたアイリーの胸倉を掴んだ。応える声が大きくなる。



「他人の納得を得られなければ主張できない生存権などあるか!! こっちはとっくに死にかけているんだ!! 16世紀まで遡り1000年!! この地で生まれた事を諦めるしかない檻の中での暮らしを強いられて来たんだ!! 25世紀、お前と同じ時代に生まれた子供らに1000年前と同じ理由で全てを諦めろと強いるつもりか、アイリー!?」



 咄嗟に反論できないアイリーに代わって耳元のインカムから少女の怒声が返ってきた。



「暴力のゴリ押しじゃ結局失敗するから1000年同じ事が繰り返されたんだろ!? 頭たりねー!! バーカ!! バーーカっ!! っっバーーーっっカ!!!」



 この少女は一体誰だ? ネイルソンの好奇心が強く刺激される。激昂した様に見えてネイルソンはまだ冷静だった。彼にしてみればこの応酬は新旧のハリストス交代劇の核心にあたる部分だった。ネイルソン自身は祖国をもってアフリカ大陸を制圧し一大強国を作り上げるつもりなどない。世界征服など夢想した事もない。暴力は外交の途中に挿し挟まれる経過にすぎず落着は政治によるものだ。



 力をどの場面で、どこまで用いるのか。アンチクライスト戦でも主題となるそれは根本的な問いだった。アイリーは世界から託された力をどの様に、どこまで使うつもりなのか。



 ネイルソンがアイリーの胸を突き放す。体勢を崩したアイリーは腰から倒れ込んでしまう。



「……カイマナイナがエイミーとの交戦を隠れ蓑として能力を発動し、守護者連邦の首都はすでに屍が山を築く死の街となっている。戦争はもう終わったんだよ、アイリー。君の事も色々と調べた。レストランコート襲撃事件では護衛に一般人を射殺させ、病院襲撃事件では自らが乗り込んで被害を拡大させた上に犯人を取り逃がした。結果、セントタラゴナ市が犯人の報復攻撃を受けて壊滅した」



「ちが……」



「僕ならば違う結果を得られただろう。君の判断が遅かったせいでペク族は全滅した。君が唯一人保護した女性も絶望して自らの命を絶った。自らが歩んできた道を振り返った事はあるかい? 僕には君が力を出し惜しんだせいで命を落とした者たちの屍が累累と横たわっている様に見えるが?」



 尻もちをついて片手を地に突いていた姿勢からアイリーがネイルソンへと飛び掛かった。自責の念も後悔も諦めも瞬時に蒸散してしまう程の激怒がアイリーの意識を焼き切る。



「ネイルソン!!」



 両脚を広く開いて大地を踏みしめ、膝を落とし腰から背を自然体で伸ばし両肩を背中側に強く開いた姿勢でアイリーがネイルソンへと殴りかかった。左手で突き上げる拳がネイルソンの腹を強打する。堪らず前かがみの姿勢になったネイルソンの後頭部に右拳を上から振り下ろす。



 強烈な痛みがネイルソンを襲う。だがエレメンタリストの体に打撃でダメージを与える事など出来ない。痛みを忌々し気な舌打ちで打ち消したネイルソンがアイリーの顔を正面から殴り返した。反撃への備えはおろか格闘経験すらないアイリーが体を伸ばしたまま後方へと倒れ込んだ。



「……なんだ。君も僕を納得させられないとなったら暴力に訴えるんだね。それでは力のせめぎ合いで結論を出そうじゃないか。アイリー君」



 そう言ってネイルソンがアイリーへと一歩を踏み出した。



「ああ。いい感じの話の流れだな。お前の方からそれを言い出してくれたのが、すごくいい」



 背後から掛けられた声にネイルソンが立ち止まる。振り向かずとも声で分かる。



「……シャオホン」



「弱い奴ほど自分の戦力を過大評価する。うちの大将があんたを炸裂蜂で襲わせた時、あんたは何が爆発したのか振り返って確認するべきだった。自分の防御は完璧だと過信せずにな。大将がアンジェラに狙わせたのは俺とシャオホンの全身爆破だったんだよ、大統領」



「……水のエレメンタリスト……」



 振り返ろうとしたネイルソンの視界に白い光が煌めいて見えた。両肩に激痛が走る。大量の血液が噴き出す感覚。自分の両腕が地に落ちる音。首を回さずとも視界が捉えた。ネイルソンでも実物をみた事がない、実用化自体が馬鹿馬鹿しいと思える程高額な長尺の超振動ブレードを手にしたジャージ姿の黒髪の女性が背後から回り込んできた。



 誰何しようとしたが声が出なかった。頸動脈から声帯まで鋭い爪が肉を切り裂いてめり込んできた感触。一瞬の間をおいて冷気を伴った激痛がネイルソンの脳に届く。



「アイリーさんの身辺を護る絶対の盾。その矜持に傷をつけた者を私達は許しません。残りの生涯を恐怖で塗りつぶすほどの痛みを味わってもらいます」



 ネイルソンは明るいブロンドの髪を持つ美しい女性がアイリーを抱き上げているのを見た。



「中手骨頸部が折れているわ。貴方は慣れないことをしたら駄目よ? 可愛いハニー。鎮痛剤を打っておくわね」



「雷撃のおっさんに東フィリピン海洋自治国まで迎えに来てもらったんさ。豊富な予算があればあたしらもエレメンタリスト並みに不死身なんだぜ? 替えの筐体はまだたっぷりあるからなあ」



 そう言って笑いながら黒髪の女性がネイルソンへと白刃を煌めかせた。両目に眩しさにも似た痛みが走りネイルソンの視界は断たれた。

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