04‐ 反撃
※悪役はワルいヤツなので言葉が汚いです。
※15歳以下の方には理解して欲しくない表現が含まれます。
英語ではなかった。合衆国で生活する中では聞く機会がほとんどない異国の言葉。だが日常的に国際テロ組織を相手にしていたアンジェラには問題にもならない。
多国語同時翻訳機能は捜査官の基本スキルの一つだ。アンジェラは男と同じ、アルジェリアの一地方で使われている言語で答えた。
「この家は市警の特殊部隊によって包囲されています。貴方が粗暴な犯罪者なら部隊が突入し武力で制圧します。組織を背後に持つ革命家ならば私達連邦捜査局は対話をする用意があります。その為の交渉人です」
“そんな訳ないけどね”
心の中で別の事を言いながらアンジェラは男の視線解析を試みた。
自分の両腿のあたりに男の視線が絡みついている。
“あらあら……。 チャンスあったら即ヤっちゃうタイプね? それでヒューマノイドと人間の区別がついていない……。 この場で欲望を満たすつもり。その後の私の生死はまだ検討さえしていない……。 刹那的ねえ……”
“残された白骨体に銃弾による損傷はなかった……。 この男は銃しか装備していない上に銃の優位を確信している……。 白骨体になる殺し方をしたのは、この男ではない……。 うふふふふ。好みの展開だわ。久しぶりの恋の予感がするわ”
‟まだ見ぬ私のスイート・パイ。あなたはもう逃げた後なのね? 目の前にいるのは捜査を攪乱させるための囮ね? きっと真実は何も知らされていない”
アンジェラが湧き上がる期待感と興奮を隠さずに表情に出した。
‟そして今は、この男の視覚を通してわたしを監視しているのね? あなたを追う私の能力を測ろうとしているのね? 慎重な純粋主義者。私の好みだわ。今日の事件は当たりの予感がするわ”
恐怖も見せないアンジェラの表情を見た男が眼に軽蔑を浮かべる。
「連邦捜査局と言ったな」
「言ったわ」
「聞いていた話と違う。合衆国というのは考えの甘い国だな。銃を持つ相手に丸腰で声を掛けてくるとは。女がまるで対等な立場である様に男に声を掛けてくるとは」
銃口が火を噴いた。アンジェラの足元の床に思いがけず大きな穴が開く。
消音器も付けていない銃の発砲音は室内に反響を呼んだ。
堪らずアンジェラが肩を竦ませ、身を強張らせて両手で顔を覆いかける。
隠しきれずに浮かべてしまった怯えの表情を男は見逃さなかった。
「跪け。両手と額を床につけて尻を高く上げろ。男が許すまで目を合わせようとするな。先ずは礼儀と世界の絶対律を教えてやる。力こそが序列だと」
「……。 分かったわ!! お願い、乱暴は止めて下さい。貴方の事は何て呼んだらいいですか?」
掌を見せ両手で顔を守る様な仕草をしながらアンジェラが微かに震えた声で尋ねる。
下瞼が見開かれて上目遣いの表情となる。首をすくめる事で肩幅が狭く見え女性の非力さが一層強調される。唇を引き結ぶ事も忘れたのか白い歯の間から舌の光沢が覗く。
ヒューマノイド制作会社が自信をもって世に送り出した美貌だ。男の目に情欲が湧く。
「名前は既に捨てた……。 人類が迎える新しい支配者に仕える、青の魔道近衛兵と呼べ」
「…へーえ」
面倒なので最後の一文字だけ復唱してみた。
映画撮影でカットの声がかかった女優の様にアンジェラが怯えの表情を消して笑顔を見せた。両腕をゆるやかに組んで下から自分の胸を押し上げて見せる。
自分の美しさに絶対の自信を持つ者が好んで見せる仕草だった。
「力が序列と知っているなら先ず自らが従いなさい、アーヒル・ダッサーム・アブドハッジ・アル=ハズラジ君」
不意に本名を呼ばれた男が手にした銃を取り落としかける程の驚きを見せた。
そのアクシデントが却って男に銃の存在を強く意識させたのだろう。
男はアンジェラの胸に向かって、落とさずに持ち直した銃を発砲した。
銃弾の軌跡を目で追う事はできない。だがアンジェラは柔らかな笑顔を浮かべたまま、そして大きく盛り上がった二つの胸には何の傷もつかないまま、アンジェラの背後から跳弾の音が聞こえた。
事態が理解できない男、アーヒルが続けて銃を撃つ。アンジェラの背後で着弾、あるいは跳弾の音だけが聞こえる。
「銃が!? お前も我が支配者と同じ能力者か!? 何故俺の名を!?」
「不勉強ね。これは科学の力よアーヒル君。国際テロリストを目指すのなら合衆国流の英語を身に着けた方がいいわ。母国語しか話せない様では出身地と素性を自分で宣伝して回る様なものよ。少数言語を母国語に持っているのなら特にね」
アンジェラの声が自分のすぐ耳元から囁かれる様に聞こえてきてアーヒルは肩をすくめ背を丸めた。
「怖がりね。貴方が見ていたのは無色光をスクリーンにしたホログラフよ」
アーヒルが声の方を向く。誰もいない。アンジェラ自身が迷彩を発動している為だ。
力関係において立場が一瞬で逆転したとアーヒルが悟る。
「青の魔道近衛兵……。 アーヒル君? 貴方の言う支配者は貴方がその呼び名を明かす事を許していたの?」
アーヒルの手の甲を見えない手がすっと触った。振り払おうとするが何にも触れる事ができない。
アーヒルの鼓動が早まる。
「貴方が話す言葉はアマジク語……。 タマジクト族が使う少数民族言語ね? 青はタマジクト族の神聖色……。 その神聖さに敬意をはらって周辺諸族は青の衣の着用を控える程と言われているわね」
アーヒルの頸動脈に柔らかな指が触れる。もしこれが刃だったら……。
アーヒルの全身から汗が噴き出した。眼前でホログラフのアンジェラが艶然と微笑んでいる。裸眼で視る限り本物の女が目の前にいるとしか思えない。
だが本当のアンジェラはすぐ側にいる。アーヒルからは触れる事も見る事も出来ない。
「合衆国での近衛兵は身辺警護を専門にするシークレットサービスの性格が強いけれど、タマジクト族が暮らす北アフリカはフランス文化圏の影響を残している……。 近衛兵は支配者直属の精鋭部隊という性格があり当然に遠征も行う」
瞼を見えない指でなぞられる。
「殺された警官にも既にあった死体にも銃痕がない。そして謎の遺体損壊がある。貴方は銃以外に反撃手段を持っていないようね……。 これはどういう事かしら?」
口の中に指をいれられ体が引き倒される勢いで横に引かれた上に足を払われた。
アーヒルがうつ伏せの姿勢で床に倒され悲鳴を上げて体をまるめた。
「その怯え様……。 襲撃者本人じゃないわね? 魔道という言葉は時代錯誤が過ぎるけれど本当の襲撃者はエレメンタリスト……。 殺害手段の副産物として遺体の白骨化が起こってしまうのかしら?」
うずくまるアーヒルの頸部に強い圧力がかかった。
足で首の付け根を踏みつけられている。アーヒルはうつ伏せ状態で頸部を抑えられているため反撃の姿勢さえ取る事ができない。




