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エレメント・アクティビティ  作者: 志島井 水馬
第二部: 第十章 テレサとイノリ  
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07‐ 結晶のエレメンタリスト

 イノリの顔から表情が抜け落ちた。常にイノリの身辺に付き添うアンジェラ達には明確な表情の変化だった。激怒だ。これがクラリッサだったらテレサの顔面にランチャーの弾頭部を押し付けてとっくに発射している。それほどの怒りだった。



「知っていたんですね? 貴女は最初から全てを知りながらアイリーが勝利のない戦いに突き落とされる様を傍観していたんですね?」



「悪虐無道に堕ちる覚悟を固めたネイルソンを訪ねて“ボクは事情を知ってます。まあ提案を聞いてください”と声を掛ければ手を止めて話を聞いてくれると思ったの? ネイルソンにとってアイリーを育てる事は免罪符のためのオマケ。彼には彼の事情があって戦争を決めたのよ? 戦場で戦力をもって立ちふさがる以外に彼を止める手立てはないわ」



 イノリの激怒を正面に受けながらフィギュアロイドは平然と微笑んでいる。



「大規模災害が発生した現場に識別救急トリアージの経験がない者を送り込んでも何もできない。体験を伴わない知識など何の役にも立たない。アイリーが本当の実力を発揮する為には多くの前哨戦を経験する必要がある。 ……分かるでしょう?」



 驚くべきことにイノリはテレサの面前でテーブルを蹴り上げた。テレサの背後に立っていたドロシアが飛んできたテーブルを片手で薙ぎ払う。イノリは両脚を広げて立ち上がり肩を怒らせてテレサを見下ろす。なんの怯えもみせずに嬉々とした笑顔をあらためて浮かべたテレサと目があった。



「ハッシュバベルの罪をアイリー一人に被せるつもり…… 私が見抜けないと思ったか!!」



 護衛についているアンジェラ達でさえ予想もしなかったイノリの激昂だった。握りしめた拳を自分の肩の位置まで弓を弾く様に引きながらテレサへと大きく踏み出した。フィギュアロイドは映像アトラクションを楽しむ幼女の表情のままでイノリを見つめ返している。



 その細い首に背後からドロシアの爪が食い込んだ。イノリを押しのけたクラリッサがテレサの眉間に大口径の銃口を押し付ける。アンジェラがイノリの前に回り込んでバランスを崩した彼女を抱きとめた。



「あら…… 無防備の私に対して随分な対応ね? 侵蝕部隊?」



「イノリの推理力の精度と怒りの正当性は常に信頼できる。イノリが我を忘れるほどに激怒したのだとしたら、悪いのはあんたの方だ。その判断にあたし等は疑いを持たない」



 クラリッサが最初にそう宣言した。テレサは愉しそうな笑顔を崩さずにいる。



「えええ…… 私イノリの護衛に回るわよって話で来たのに……」



「アイリーに経験を積ませるために偶発的に起こった戦争に関わらせる。それだけならば理解できる話です。ですがイノリはハッシュバベルの罪をアイリーに被せると言った。その真意を私達はこの場で知る必要があります」



 イノリを抱き庇いながらテレサへと振り返ったアンジェラも冷えた声音でそう言った。テレサが満面の笑みを浮かべる。



「本気の喧嘩が出来るくらい仲良くなれた事が嬉しいわ、イノリ。これはお互いに詫びる必要のない些末な行き違いだと受け止めます。話の続きをしましょう。ちなみに…… アイリーはエイミーと共同戦線を張り東ブリアでネイルソンと決着をつけるつもりの様ですよ」



 もはや一刻の猶予もない。イノリは深く息を吸い込み、大きく吐き出した。落ち着いている訳がない。ただ失態を晒したとも思っていない。殴らなかっただけ感謝して欲しいものだとさえ思っている。テレサが朗らかに笑った。



「イノリがアイリーの為に必死になっているのと同じく、私達もアイリーの育成に必死なだけです。いま死なれては困る。このままでいてもらっても困る。レストランコート襲撃事件の時の様に20人死んだ程度で毎回入院されてはアンチクライストに近寄る事すらできない。わかるでしょう?」



「西方マディナ守護者連邦首都に暮らす民はネイルソンの能力で既に認知機能障害を負わされている。戦争が終結した後も以前と同じ日常を送る事は出来ないでしょう。その事実を隠蔽するにはカイマナイナによる命の刈り取りが不可欠になる。刈り取りの前にその事実を知らされたらアイリーは民を見殺しにする罪の意識を自ら背負うことになる」



 イノリの言葉に対してもテレサの表情が変わる事はなかった。



「大胆な仮説ね。イノリ。これまでのネイルソンを見て、どうして彼が守護者連邦の民に認知機能障害を負わせたと考えついたのか。とても興味があるお話だわ」」



 イノリの仮説をテレサは否定しなかった。全ての答えを知った上で否定しなかったという事は守護者連邦の首都は既にネイルソンの能力による攻撃を受けており救援は既に手遅れだという事になる。



イノリの傍らに立つアンジェラにはイノリが奥歯を強く噛みしめる音が聴こえた。奥歯が傷むわ、と心配になる。無論、指摘できる話の流れではない。



「イノリ。あんたの推理はアイリーが正しい選択をするため絶対に必要だ。何が分かったのかをあたし達にも教えてくれよ」



 クラリッサがソファへとイノリをエスコートしながら問いかけた。拒まずにソファへと深く腰を下ろす。撥ね退けられたテーブルは脇に倒されたままとなっているが直す者はいなかった。



「……まずネイルソンの能力とこの後の戦況展開をアイリーに伝えて、クラリッサ。回答は最初から私達の目の前に提示されていた」



「触れた物を金属に変換する…… だろ?」



 クラリッサの反問にイノリは首を横に振った。



「ネイルソンは先のアンチクライスト戦で最初から切り札として前ハリストスに招かれていた。触れたものを金属に変える能力がアンチクライスト戦の切り札とは考えにくい。2代前のアンチクライスト戦では複数のエレメンタリストがハリストス側からアンチクライスト側へと寝返ったとイークスタブが証言していた。切り札は裏切りの抑止が期待できるものであったはず」



「絶対的正義…… 大義…… いえ…… 抑止というのならもっと強制的な効果が見込めるもの?」



 アンジェラの呟きにイノリは確信をもって頷いて見せた。



「ネイルソンは68年前にペク族の村で生まれ変わりを自称する少女の自我が消失するのを目撃しているわ。その場に招いたのはカイマナイナ。前アンチクライスト戦が始まる1年前よ。この時にネイルソンは人の思念と行動に干渉できる石の存在を知った。その正体が解明されていない事は問題ではないわ。“人を操る物質を作り出す”というアイデアを得たネイルソンにはこの世界に存在しない金属を作り出す能力があった、という点に着目して」



 テレサは黙ってイノリの話を聞いている。イノリの推測は続く。



「ネイルソンの能力の本領は物質の変換ではないわ。衝突エネルギーや熱エネルギー、波動さえ金属に変換できる能力こそがその本領…… 当然、変換されたエネルギーは本来の力を消失する。衝突や熱は“なかった事”になる。そしてエネルギー変換はネイルソンが生成した金属を媒体としてネイルソン本人がいない場所でも有効であり続ける」



「ドロシアが対ラウラ戦で実際に体験した事だ。ありゃあ…… 使い方次第では手ごわい武器になるよな」



 クラリッサの感想をドロシアも頷く事で肯定した。イノリは何を想定したのか。



「……人間の脳の特定部位に電気信号を金属化させる触媒を埋め込む事ができたら特定の判断が阻害される様になるはずよ。例えば…… 疑う事。恐れる事。疑念も恐怖も消失した人間に命令を与えれば複雑な訓練を経ずに洗脳は完了する」



「大脳基底核と側坐核の間よ。信号を阻害するのではなくドーパミン作動性ニューロンという細胞そのものを結晶化させ無用の異物に変換する。安直に言えばネイルソンは人の記憶と感情を結晶化させ消失させる能力を持っているわ」



 生徒が示した模範解答にさらに解説を加える教師の様な口調でテレサがそう補完した。

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