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エレメント・アクティビティ  作者: 志島井 水馬
第二部: 第十章 テレサとイノリ  
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04‐ 避妊しない

 ナビゲーターAIはパートナーが潜在的に渇望する理想的な人格、個性が備わっている事が多い。元々が最適であるはずの助言に強い説得力を後付けさせるためだ。その個性はパートナーが無意識のうちに育てている。



 自由闊達、言いたいことは遠慮もなしに切り込む様に言い放つリッカは真逆の性格を持つアイリーが潜在的に憧れる個性そのものだ。



 イノリの傍らに現れながら背を向けたままイノリの要求を拒否するナビゲーターAI、チーゴもまたイノリが“自分では出来ない”態度を怖れ気もなく実行できる個性を備えていた。



『あんた、アタシの助言きいても気に入った部分しか頭に入らねえだろ? それは助言じゃなくて慰めとか応援って言うんだよ。大丈夫ですよう、アイリーは自分で何とかしますよ、ぴっぴきぴー』



 チーゴの返答を聞いてイノリの思考が瞬時に沸騰する。



『チーゴ。1分1秒が惜しいの。アドバイスを頂戴』



 チーゴは振り向きもしない。



『してるだろ?1分1秒が惜しいのはアイリーで、あんたじゃない。アイリーが必要としていないお届け物をして“お呼びでないね?お呼びでない。こりゃまた失礼しました”なんて言っても誰も笑わねえわ。アイリーが今、この瞬間に求めているのは何だ?』



『……持前の冷静さを取り戻す事、ね。その為に私はアイリーよりもさらに冷静にならなければいけない。そして安全な環境にいることを彼に伝えなければいけない』



 その通りだよ、と言ってチーゴが初めてイノリへと顔を向けた。高く通った鼻筋と秘密主義者を象徴する様な切れ長の眼が印象的な美しい女性だった。イノリよりもやや年上の姿をしている。化粧をまったくしていない素顔で腰まで届いている長い髪もバラバラと解けている。



 床に直接胡坐をかいて堂々としているのはTシャツにジャージというラフな姿だからだ。同じジャージ姿でもハイブランドの提唱する最新モードを好んで着ているクラリッサとは根本が違う。袖は指が通るほどにボロボロに解れ、生地全体が使い込んだガーゼの様に薄く柔らかくなっている。十年近く部屋着として使い込んでいなければこうはならない、という服装だ。



 極上の素材を無駄遣いし尽くしている美女。それがチーゴだった。



『イノリ。提案が一つある。絶対に実行すると約束するなら、あんたに一番必要な助言を抱き合わせで教えてあげる。調べるべき事はもう調べてある』



 イノリの思考が再沸騰しかける。取引に応じなければ助言しないナビゲーターなど前代未聞、少なくともイノリが終末期再生調査の時に出会ったナビゲーターの中には存在しなかった。育て方を間違えた。とつくづく思い知らされる。その思考も読まれたのだろう。チーゴが含み笑いをもらした。



『……約束するわ』



『アイリーとセックスする時に避妊するのを止めな』



『はあ?』



 余りに予想外の言葉に思わず問い返してしまったがチーゴの真意が読めないイノリではない。だがチーゴの狙いを悟ったイノリの顔には紛れもない怒りが浮かび上がった。



『……新しく授かる命まで自分の保身に利用しろというの? チーゴ?』



『アイリーに嫌がらせをする代償に居心地のいい香港での生活を捨てる訳がない…… というのはテレサの希望的観測だ。カイマナイナが自分の使命を優先するタイプではないという確証はない。でもイノリがアイリーの血を受け継ぐ子供を宿しているとしたら』



『新しい命をそんな理由で…… 冗談じゃないわ』



『冗談じゃねえよ。アンチクライストが出現するのは数十年間隔だ。あんたとアイリーの子が現役の時代に次の次のアンチクライストが出現する可能性は低い。だが未来のどこかでアンチクライストが必ず復活するのなら。 ……アイリーの血を引く者をハッシュバベルが注目しない訳がない』



『籍もまだ入れてないのに…… 義両親にも』



『別に今夜仕込んで明日産めって話じゃねえよ。アイリーの1分1秒って話はどこ行ったんだよ、イノリ?』



 そう言いながらチーゴは頭を下に向けて小さくため息をついた。イノリの反応に失望したからではない。チーゴの言葉は続いた。



『……もう一人の治安介入部、エイミー・マクリミラーレが前のアンチクライストだった可能性は高い。エイミーはアイリーに以前自分と会った事があるかと尋ねた事がある。覚えているか?』



 その会話が交わされた場にイノリはいなかった。だが護衛についていたアンジェラがその時の映像をイノリに渡している。



『アイリーの観察力はケタ外れだ。そのアイリーが記憶にないと言っているのなら彼が社会人になった以降でエイミーと接点はないと断言できる。じゃあ15年前、20年前は? アイリーはガキだった。ガキの頃の面影を今のアイリーに見出したのならエイミーの質問の仕方は違うものになってたはずだ』



『別人と混同しているのでしょう?』



『問題はいつの記憶かって事だよ、イノリ。あいつらはあの姿のまま100年を生きる。確証は掴めていないが…… 数十年前の記憶だとしたら別人でも他人じゃないかも知れない。血筋ってのはある種の運命を手繰り寄せるもんだ。 過去ハリストスとなった人間の情報は封印されている。第三資源管理局だけが真実を知っている。アイリーが特別扱いされているのは…… 何故だ?』



 チーゴの問いかけに答えず、イノリは大きく息を吐いた。



『分かりました。 ……でも彼がなんて言うかしら?』



『アイリーは現在進行形のリアルを最優先する男だよ。型へのハメ方が分からないならサービスでそいつも助言しておこう。涙を流しながら歯を食いしばっている表情をみせつけるんだ。そいでのけ反りながら両腕と両脚であいつの首と腰を』



『もう充分よ。私が本当に必要な助言を頂戴、チーゴ』



 本当に。こんな遠慮のない下品なナビゲーターになるなんて。育て方を間違えた。顔をしかめながらイノリがそう思った。その考えを見透かしたチーゴがケケケ、と奇態な笑い声をあげる。



 チーゴが立ち上がった。片手を肩の高さまであげる。その手指には細い紐が巻かれている。紐の先には小さな鈴がついている。チーゴが手首をしならせると鈴が凛とした音を立てた。チーゴの変身が始まった。

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