表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エレメント・アクティビティ  作者: 志島井 水馬
第二部: 第十章 テレサとイノリ  
286/377

03‐ チーゴ

 イノリが呆然としてテレサの顔を見つめている。フィギュアロイド特有の童顔の中で器用に片眉だけを上げてみせてテレサが宣言した。



「通牒は本物よ。エレメンタリストが……いえ、カイマナイナがイノリに手を出そうとしたら彼女が暮らす香港が壊滅する事になるわ。医療が機能しない国に留まろうとする人なんているわけないんだから。アイリーへの嫌がらせの代償に自分が暮らす国が滅ぶとなったらカイマナイナも躊躇するでしょ」



「かっ…… かっ…… 各国の政府が黙っていないのでは!?」



「黙ってるわよ。何もしないコトでウチに恩を売れるなんて最高のチャンスなんだから」



 初めて、テレサが声を出して笑った。見た目の年齢相応の心底楽しそうな笑い声だった。



「私は貴女の味方よ、イノリ。直接会って話がしたいわ。私に会ってもらえる?」



 テレサはイノリを見つめている。イノリの顔にやれやれ、という表情が浮かんだ。その顔の輪郭に変化が起きる。イノリの背後とテレサの背後の空間で景色が一瞬歪む。



「イノリの安全確認が取れるまでの、これも警護の一環です。非礼をお許し下さい、セイントマザー・テレサ」



 重厚なプレジデントチェアに収まった姿勢のままでアンジェラがそう詫びた。アンジェラの背後には両手に銃を構えた姿勢のまま迷彩を解いたクラリッサが立っている。銃口はテレサへと向けられていた。



「ホログラフを使った外見操作だけじゃなくてさ。非接触の感知センサーには全部欺瞞情報を流したんだがな。体温も心拍数も脳波だって空間情報全部改竄してたんだぜ? 手ぇ伸ばして乳でも揉まなきゃイノリと見分けはつかないはずなんだがなあ?」



「貴女達侵蝕部隊が護衛しているVIPに直接会えるはずがない。疑いじゃなくて最初から諦めてここに来たのよ? 3人がかりで瞬殺態勢を取られるとは予想していなかったけど」



 恐れる様子も見せずにテレサがそう言った。その細い首の両側には鋭い爪が装備された手が伸びている。テレサの背後に立っているのは光学迷彩を解除したドロシアだった。



 室長席の奥にある壁から浮き出すように人影が現れた。平常心を保ちながらも新鮮な驚きを隠しきれずにいる、本物のイノリだった。



「私からも非礼をお詫びします。テレサ。身の安全には万全を尽くしておくことがアイリーを安心させる事にも繋がると考えての行動です」



「……壁をすり抜けて現れた様に見えたけど? ずいぶん便利な世の中になったのね?」



「壁はホログラフによるカモフラージュです。向こう側はミサキさんの空間転移能力でセーフハウスに直結しています」



「エレメンタリストと仲良くしておくと色々便利になるのねえ」



 この話の流れの中でエレメンタリストと仲良くするという例えが出てくるところがテレサの性格なのだろう。ドロシアとクラリッサが苦笑を浮かべる。



 傍らを通り抜けるときにアンジェラとクラリッサに感謝の会釈を向けてからイノリはテレサの正面まで歩みより応接セットの対面に腰を下ろした。先ほどアンジェラが投影してみせたイノリの表情はリアルタイムでの本人の表情でもあったのだろう。疲労と悲壮がイノリの美しい顔に影を落としている。



 だがイノリの表情は穏やかだった。



「助力の申し出に心から感謝を申し上げます。私も暗殺の対象となっている。その推測は当たっていたのですね」



 イノリの問いかけにテレサは忌憚なく頷いて見せた。



「オリビアが現れなければ早い段階で貴女か殺されていたでしょうね。アイリーに絶望的喪失感を与える事、彼がそれを乗り越える事は彼がハリストスとなる為には不可避の条件だったから」



 イノリは激昂するだろうか。テレサはイノリの表情を注視した。だがイノリの表情に浮かんだのは悲しみと憐憫だった。



「……120年という寿命が尽きるまでの間は不滅の存在であるエレメンタリストを完全に拘禁する術はない。憎悪で正気を失った状態ならなお難しい。アンチクライストを正気に戻させる方法がハリストスの死だというのならば…… ハリストスとはアンチクライストの憎悪を受け止めて理解できる存在でなければならない。その憎悪を正論で切り捨てる者を幾ら殺してもアンチクライストの心に平穏が訪れることはないから」



「自分が暗殺の対象となっていると知った上でまだ冷静さを保っていられるのね? イノリ?」



 テレサの問いかけにイノリは小さな微笑で答えた。批判や非難ではない、羞恥さえ含んだイノリ本来の心根が漏らした微笑だった。



「冷静にはなれませんでした。自分の死には慣れていてもアイリーを絶望させる事には恐怖を感じます。死に物狂いで状況を理解しようと務めて…… 思い当たりました。ネイルソンも、治安介入部のメンバーとなったカイマナイナも、過去のアンチクライスト戦でアイリーと同じ試練を突き付けられたはず。最も大切にしている人を失った経験を乗り越えたからこそ先代のアンチクライストの暴走を止める事ができた。 ……彼らの方がとっくに“死に物狂い”の境地に分け入って今回の事件に向かい合っている。 ……違いますか?」



 テレサは答えない。イノリもまた言葉を途切れさせたまま沈黙した。時が流れる。沈黙を破ったのはテレサの溜息だった。



「アイリーに誤解されたまま…… 憎まれ、蔑まれたまま罰を受け入れる事を心に決めたあの子たちにイノリの言葉を聞かせてあげたかったわ。 ……もう賽は振られてしまっている。償いきれない罪を積み上げてしまった後だけれども、あの子たちがどれだけ報われる事か」



 テレサの溜息を聞いたイノリが目を伏せる。問い質したい疑問は山積みとなったままだがアイリーを取り巻く状況は最悪の結末へと加速し続けている。解き明かすべき疑問にも優先順位をつけなければならない。


 アンチクライストの暴走を止める有効な手立てはハリストスを用意し、その死を差し出す事。そのロジックはどうやって確立されたのか。次に現れるだろうアンチクライストにも同じ手が通用すると確信している、その根拠はなにか。



 アイリーの死も確定している結末なのか。ならばテレサがイノリの味方についたのは何故か。



 ネイルソンによる守護者連邦簒奪を止めることは可能なのか。どんな手立てが残されているのか。



 イノリも終末期再生調査の経験は数多く積んでいる。事態は下層階が炎に包まれた高層ビル火災現場と同じ、沈没が始まった船舶の内部と同じだ。設計施工の瑕疵や法の不整備などは後で考えればいい。今は生き延びるための手段だけに焦点をあてなければいけない。



 ネイルソンの攻撃をどう凌ぎ、その暴走をどうやって止めるか。彼の能力の本質は何か。彼が戦いの後で本当に得ようとしているのは何なのか。



 正確な判断材料が欲しい。



 イノリは自分の思考回線を使って呼びかけた。



『チーゴ。ネイルソンの能力を特定したい。アドバイスを頂戴』



 室内を俯瞰する監視カメラからの映像も把握しているはずのテレサはもちろん、室内を警護するアンジェラ達の眼にも映る事のない人影が室内に現れた。



 イノリに背を向けながら床に胡坐をかいて座り、背を丸めて何かの手遊びに興じている若い女。イノリの網膜に直接投影されるその姿を確認できるのは当然、イノリだけ。



 イノリのナビゲーターAI、“チーゴ”だった。



 イノリに呼ばれて姿を見せたにも関わらず彼女に背を向けたままでチーゴは短く答えた。



『ヤだよ。めんどくせえ』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ