07‐ 長所
アイリーは自分の目論みが悉く外されてゆく事に敗北感さえ感じ始めていた。
東ブリアの街にはアンファンテリブルの最大戦力が終結しているはずだった。これを殲滅し西方マディナ守護者連邦との和平を取り付け国境を超えずに戦争を終結させる。これが目指した結末だった。
だがアンファンテリブルは既にウバンギ共和国の首都に到達し大規模な殺戮が開始されている。エレメンタリストのネイルソン大統領は敗北宣言を出した直後に凶弾に斃れた。安全圏で保護しているはずのオリビアが自殺を遂げ、戦闘ヒューマノイドのラウラがミサキを破りアイリーの目前に現れている。
全てが予想もしていなかった展開だった。すべてはネイルソンの書いた筋書通りなのか。首都が陥落した上に大統領の死亡が確認されてしまってはアイリーは和平の当事者になり得ない。ネイルソンの死亡は擬態である事に間違いはない。報復の下地は完成してしまった。
ミサキが敗れた原因は不明だがこの場でラウラから奪還しなければネイルソン側の人質となってしまう。雷撃のエレメンタリストが太刀打ちできなかった戦闘ヒューマノイドからの奪還だ。
オリビア。オリビアの身に何が起こったのか。アイリーと共に戦うと宣言したのは僅か半日前だ。何らかの脅迫を受けたのか。自らの死を選ぶ以外に回避できない程の何が彼女を襲ったのか。
知らぬうちに自分は追い詰められていた。全てはネイルソンが望んだとおりに展開している。一般人の屍は積み上げられ続けている。アイリーの思考は空転し千々に乱れた。
『ネイルソン。国境越える前の前哨戦でもう切り札晒しまくりだね。アイリーは無傷のままなのに』
アイリーの膝の上に座る形で現れたリッカがそう言った。定位置ともいえるアイリーの真横はアンジェラとクラリッサに取られている。振り返ったリッカの顔に不安や焦りは微塵も見られなかった。
『……リッカの目にはそう映っているのか?』
『わたしならラウラを単独でアイリーの前に送り出したりしない。ネイルソンとラウラの個人的な戦闘力が不明のままでアイリーを挟み撃ちにするのが一番効果的じゃない? わたしならアイリーを順調に守護者連邦との和平交渉に到達させてからアイリーの目の前で守護者連邦側の交渉担当を殺す。アイリーは守護者連邦攻略の共犯だったと世界に宣伝できる。 ……オリビアにしてもそう。誘拐して人質にすればアイリーからの譲歩は無限に引き出せる。 オリビアの命はそういう切り札になり得た』
もちろん、アイリーが嫌う手段はリッカも忌避する。アイリーなりの戦い方こそをリッカは尊重する。相手の出方を予測する時に目線を相手に合わせているだけだ。だがリッカはそこまで予測していたのか。
『アイリー? わたしのアイリー? アイリーの一番の武器はなに?』
『判断力だ』
リッカの問いかけにアイリーは即答した。問われてから考え、導きだした答えではない。アイリーのメンタルが大きなダメージを負った時のために繰り返し練習してきた問答だった。自分の長所を自分で肯定する事でダメージは収束を始める。
リッカが笑顔を浮かべた。晴れやかな、と表現できるほどに明るい笑顔だった。
『今、怪我をしている箇所はある? ないなら反撃し放題じゃん。無敵のままじゃん。アイリーの最大の武器は判断する力。その判断材料をアイリーに届けているのはだあれ?』
二人の会話を聞いていたのだろう。アイリーの視覚内に通信窓が展開する。アンジェラがウィンクしている。クラリッサが親指で自分を指さしている。ドロシアが手指を広げて振って見せている。
アイリーが大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。思考の歯車が噛み合い始める。平常心を取り戻した訳ではない。今、ラウラという脅威を目の前にして一切の感情を理性が封じたのだ。泣くのも苦しむのも生き延びた後の話だ。
瞬時にその切り替えができるだけの経験をアイリーは既に積んできている。リッカは正確にそのスイッチを押したのだ。
『ドロシア。不死のネイルソンが銃弾で斃れたままでいる訳がない。首都の動きを監視しつづけてくれ。ネイルソン側が世界に発信している情報も全てだ。リッカ。オリビアに何が起きたのかを把握しておいてくれ。俺が知るべきことを知るべきタイミングで記憶に組み込んでくれ』
アイリーの指示には淀みがない。
『アンジェラ。周辺を警戒しながらラウラの戦闘能力を分析してくれ。 ……ブリトニー。ラウラを狙撃できる場所にいるか?』
『もちろんです』
『ラウラの想定を上回る先制攻撃を仕掛けてくれ。攻撃手段は任せる。 クラリッサ…… この場でラウラを倒す事は可能だと思うか?』
『侵蝕部隊がミサキとやりあった場合、勝率はゼロだな。戦闘特化のエレメンタリストに勝てる武力は存在しない。でもラウラはミサキを斃した』
『ラウラの方が俺達よりも強い。か?』
『いやいや。話は最後まで聞けよベイビー。ミサキに勝てないのは侵蝕部隊だ。あんたが指揮をとれば話は別だ。青の衣の男。腐敗の襲撃者。人体発火のチンピラ。あんたはエレメンタリスト相手に3回も勝ちを治めている。ラウラを破壊するのまでは何とかなるんじゃねえの?』
クラリッサが回答を避けた問いがある。アイリーはそれを聞き流したりはしなかった。
『目の前のラウラを破壊しても別の体で追撃してくる可能性は残る。だな?』
『可能性じゃなくて確定事項だな。あたしら高次AIの戦いはそういうもんだ』
アイリーの口角が僅かにあがった。微笑んでいる。
『リッカ。俺が考えた事を全員に伝えてくれ』
長い説明が必要となる作戦はアイリーが自然言語で伝えるよりもAI同士の高速通信に委ねた方が早い。アイリーがその反応を確かめる必要がないならばなおさらだ。
返答は早かった。意外なことに最初に反応したのはブリトニーだった。
『狙撃方法を変更します。着弾まで20秒が必要です』
『丁度いいわ。私達も知りたかった事があるから。アイリー? ワン、ツー、スリーで両手を思いきり握り込んで』
アンジェラがそう伝えてきた。アイリーに何をさせるつもりなのか。アイリーの両腕は今、アンジェラとクラリッサの両肩を抱きかかえる姿勢をとっている。肘関節も肩関節も絶妙に二人の支配下にあり自分の体を自由に動かせない状態だ。
掛け声と同時にアイリーは両手を強く握り込んだ。




