01‐ アンジェラ・ハート
4月28日金曜日。アイリーがテレサと共に終末期再生調査を行った日から3日前にあたる日の午後の事だった。
市警の特殊部隊が包囲しているその家は市内でも住宅街からは離れた立地にある一軒家だった。
家の正面に大きなポーチが設置されている。ポーチの屋根部分を支える柱と柱の間に市警が張った立入禁止のテープが渡されている。玄関ドアは開放されていた。
玄関前に立っているのは苛立ちを隠さずにいる30代男性の警官。人間だ。
その隣に戦闘アンドロイドと形容した方がしっくりくる程重装備の保安アンドロイドが立つ。
家の正面に一台の自動車が停車した。
車から降りてきたのは女性型ヒューマノイド。量産型ながら受付業務などに特化して生産されている3Aクラスの美形タイプだ。まったく同じ顔を国際ホテルのフロントでも空港のカウンターでも見つける事ができる。
ただしメイクと服装は受付業務に従事している者とは思えなかった。
胸元を大きくはだけた襟のない白ブラウスと腰のラインに張り付く様なタイトスカート。横に高くスリットが入り行動の自由度は高いが露出の度合いも過激なものになっている。
明るいブロンドを肩の高さで切りそろえてメイクは完全に異性とのデートに備えた攻め系ナチュラルだ。
高いヒールを履いて上機嫌に家の正面玄関へと近づいた。
「こんにちは。お疲れ様です市警のみなさん」
機嫌よく声をかけながらヒューマノイドが胸ポケットから黒一色の鏡面カードを取り出した。
「身分証明表示」
「…個別認証完了。所属を表示します」
カードに肉声で話しかけると返答と共にカードの鏡面に紋章が浮かび上がった。一緒に16ケタの数字も表示される。
「連邦捜査局のアンジェラ・ハート捜査官です」
不機嫌な顔の警官がカードに表示されている数字を読み取る。
数字は連邦捜査局の身元確認窓口へアクセスするためのパスコードだ。
「…協力に感謝します。俺はアレックス。隣は相棒のナックルです。 ……まさかおひとりですか? アンジェラ捜査官?」
アレックスと名乗った人間の警官が苛立ちと不審を混ぜながら尋ねた。
武装アンドロイドが配置された現場にヒューマノイドとは言え私服の非武装状態で一人乗り込んできたのだ。
広報担当が先に到着してしまったのかと思い連邦捜査局に問い合わせたらアンジェラ・ハート捜査官は単独で行動中と返答があった。
アンジェラが微笑んだ。
「質問に答えるならば、その通りです。これから単独で突入します。 ……どいて?」
「おい、あん…」
あんた、とでも言おうとしたのだろうか。アレックスと名乗った警官はその場で白目を剥いて崩れ落ちた。
「嘘? 気絶しちゃったの? 痛がりねえ?」
長い指先で口元を隠しながら呆れかえった口調でアンジェラが感想を漏らした。
傍らに立つ保安アンドロイドのナックルは反撃の素振りも見せない。
「ご指導ありがとうございます。アンジェラ捜査官、彼を救護しても良いですか?」
「もちろんよ。70万ボルトの電撃針を撃ち込んであります。電流量を2ミリアンペアに抑えてあるので体内の熱傷は警戒しなくていいと思います。激痛による数十秒の行動不能を期待しましたが失神は想定外でした」
アンジェラの説明を聞いてナックルが身じろぎする。
「お恥ずかしい限りです。 ……彼も貴女について私と同じ量の情報を取得したはずなのですが貴女の実績から武装レベルを予測しきれなかった様です」
「言い訳ではなく事実報告と受け取ります。彼が私を認識してからの彼の視線解析結果を提出します。視線誘導に弱いですね」
そう言ってアンジェラは右手のひらで自分の胸を押さえながら続けた。
「私の胸、腰回り、足首、再び胸と意味のない視線移動に0.8秒の消費がありました。また私に恫喝を加えようとした際にはヒューマノイドの私の瞳孔を直視していました」
言葉と手のひらで押さえる場所を対応させながらアンジェラが状況を説明する。
武装アンドロイドのナックルは黙って首を横にふりながら彼女の言葉を聞いている。
「視界の焦点範囲が人間と異なるヒューマノイドの瞳孔を直視しても次の行動を読むことは出来ません。また0.8秒の間隙で私は4回手段を変えて彼を殺害できますが彼は同じ時間をただ私のボディラインの鑑賞に浪費しました。 ……彼には現場での優先事項について再学習が必要ですね」
土地に不案内な観光客を一瞬で安心させる国際ホテルの受付スタッフと同じ笑顔でアンジェラが微笑んだ。
アンジェラが運用している体は市販されている成人女性モデルに若干の改造を施しただけのものだ。身体能力は一般人程度。体内に重火器を内臓している訳でもない。
瞬時にそれを見て取ったアレックスが警戒を解いたのは当然と言え、同時にその油断から為す術なく行動不能という事態を迎えたのも当然と言えた。
アンジェラ・ハート捜査官。4年半前までは対テロ事件専門の強襲班で偵察担当に就いていた稼働歴80年を誇る強襲作戦のエキスパートだ。
アンジェラが改めて沈黙したままの家屋へと目を向けて小さくつぶやいた。
「ここに私の新しいスイート・パイがいるのね? どうか……甘やかで美味しい存在でありますように」
スイート・パイ。自分の恋人などを指す代名詞だ。
真意を測りかねたナックルが問い返す。
「スイート・パイというのは未だこの邸内に立てこもる犯人の事ですか?」
アンジェラは家屋へと目を向けたままでいる。口元に笑みが広がった。
「ええ。犯罪ほど合理的な目的達成手段は他にありません。刑法さえなければ強奪と殺害は目的達成の最短ルートです」
捜査官らしからぬ発言にナックルが身じろぎする。アンジェラは独白の様に言葉を続けた。
「私は犯罪者を、秩序という多様な側面を否定する純粋主義者と定義しています。その純粋主義を以て彼らは私達から逃亡し続ける」
本心から自分の想い人を讃える口調でアンジェラは語り続ける。
「私達の行動を注視し、思考を予測し、私達の行動に合わせた人生を選択しつづける。その選択が破綻したら逮捕と処罰が待っていますから……。 家族や恋人の事よりも優先して私達を知ろうとし考え続ける。 ……これってもはや、愛でしょう? 愛には愛で応えたくならない?」
そう言ってアンジェラは初めてナックルへと顔を向けた。
「だから私は大量殺人を犯した挙句にその場で自殺する様なヘタレを嫌います。私は犯人が現場から全ての証拠を隠滅して全力で逃走する事こそを願っています。証拠隠滅の徹底ぶりは私にとって奥ゆかしい愛の告白そのもの」
話を聞いているナックルにはその気持ちが全く理解できない。
犯罪者とは法を守りながら自分の要求を通すという忍耐力と計画性を持てない無思慮者であり、自首する事なく逃亡する犯人は臆病者であるはずだ。
彼らの存在を好意的に捉えた事など一度もない。
だがアンジェラはナックルの反応など全く意に介していないように見えた。
「ああ…… 自分を語る時間は楽しかったわ。楽しい時間をありがとう。突入の準備が整ったから行ってくるわね」
含み笑いまで漏らしながらアンジェラが玄関へと歩き始めた。




