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エレメント・アクティビティ  作者: 志島井 水馬
第二部: 第八章 オリビア・ライアス
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06‐ 歌

 オリビアに用意された客室にクローゼットは存在しなかった。寝室の隣にドレスルームが備えられていたからだ。今の季節に相応しいドレスだけで20着以上が並んでいる。展開式のメイクボックスが積み上げられ、その横に専用の棚と抽斗まで備え付けられている。



「一生かかっても使いきれないわ」



 未開封のまま使用期限を迎えるであろう商品の山に後ろめたさを感じる。村で仲の良かった友人の顔を思い出し、持って帰れたらどれほど喜ぶだろうと考えてそこで思考が止まる。心に波は立たない。まだその時機に至っていないからだろう。



 並べられているドレスはどれも上質のものでオリビアが初めて見るものばかりだった。その一番端にオリビアは見慣れた一着を見つけた。クリーニングされ丁寧な手入れもされているが一着だけ酷く生地が傷み縫製の粗悪さが悪目立ちするシャツとスラックス。



 オリビアが王邸にやってきた時に着ていた服だった。少し考えてからその服を手に取って袖を通した。



『その服でいいの?』



『いいの』



 ナビゲーターAI“指輪”の問いかけにそう応えてオリビアは周囲を見回した。ドレスルームに備え付けられている大きな姿見の前にスツールを動かしてきて腰掛ける。姿見に自分の全身が映っているのを見つめてオリビアは改めて“指輪”に録画を依頼した。



 大きく息を吸い込んでゆっくりと吐き出す。微笑を浮かべてみた。穏やかな表情の笑顔になった。



「……親愛なるアイリー・スウィートオウス。貴方との出会いに心から感謝しています。 ……貴方には誤解を残したくない。その想いでメッセージを残す事にしました。私は…… 脅迫に屈した訳ではありません。意志を挫かれた訳でもありません」



 オリビアはアイリー宛てた動画を作っている。何を伝えようとしているのか。



「私達部族から未来を奪ったエレメンタリストに反撃するチャンスを手に入れ、部族の誇りを後世に伝えるために決断したことです。略奪者を成果もなく手ぶらで追い返した。無力な民にとってこれは誇るべき勝利です。ペク族はマヤの民の末裔の一派です。同じマヤ民の血を引き継ぐ他の部族に勇気を与える結果を出した事こそ私の誉れです」



 声に震えはない。その事がオリビア自身を奮い立たせた。



「私達部族は死を強いられても敗北を受け入れる事はしなかった。私は満足しています。アイリー…… 貴方の幸せを心から祈っています。ありがとう。さようなら」



 目を閉じた。大きく息を吸い込む。



『……動画を私のアカウントに上げておいて。アイリーなら必ず辿りつくわ。リビングセメタリーに帰ってから依頼があったら協力してあげてね。私からのお願いよ“指輪”』



『承知しました。愉しい日々でしたね、オリビア』



 ゆっくりと目を開けてオリビアは立ち上がった。ベッドを直してからバスルームへと行きバスタブに水を張る。バスタオルを体にきつく巻きつけて水を張ったバスタブに体を沈めた。



 ベッドを汚したくはない。メイドヒューマノイドは数十分で戻ってくるだろう。バスタブの中だけの事ならば洗浄で済むのではないか。オリビアはそう考えた。



『オリビア。狩りに出る者には全員に終末時に痛みを消去する麻酔カプセルが埋め込まれています。処方の判断は私に委ねられています。痛みを恐れる必要はありません』



『助かるわ』



 バスタブの中でオリビアはカイマナイナが残したダガーを手に取り、慣れた様子で手の中で回転させてみせた。



『……このダガーと私と言う存在の組み合わせがアイリーへの一撃を有効にするものならば。私は自分の命を断ってその目論みを阻止するわ。一族を滅ぼした挙句にアイリーへの切り札も失う結果となったのなら、黒のエレメンタリストは頭のおかしいただの殺人者にしかならない。私達一族の勝ちよ』



 躊躇いを見せずにオリビアはダガーを自らの胸に突き立てた。肋骨の間をすり抜けた刃がオリビアの心臓を貫く。一瞬の激痛に顔が歪みかけるがオリビアはこれを理性で堪えきった。



『……“指輪”? あとどれ位の時間が残されている?』



『40秒ほどです。麻酔は効いていますか?』



 痛みが消えた。意志の力で刃を左右へと動かす。バスタブの中に張られた水がみるみる赤く染まっていく。



 オリビアが小さな声で歌を歌い始めた。子供のころから繰り返し聞かされてきた一族に歌い継がれてきた歌。旅を終えた若者が自分の元へ帰ってくる。その喜びに踊りだす乙女の歌だった。



 意識がゆっくりと平坦になっていく。様々な思いが駆け巡るのかとも想像していたが心は凪いだままだった。そのオリビアの目の前に黒い影が立ち上った。大きさを増し、人の形をとる。



 黒一色のオリビアが現れた。バスタブの縁に腰を掛けてオリビアを見下ろす。



「……今、最後の歌をうたっているのよ。邪魔をしないで、化け物」



 薄く笑みを浮かべてオリビアは左手をバスタブから出し、力強く中指を立てて見せた。



「地獄へ落ちろ。化け物」



 それがオリビアの最後の言葉だった。

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