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エレメント・アクティビティ  作者: 志島井 水馬
第二部: 第八章 オリビア・ライアス
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04‐ 誘拐

 クラリッサが退室するのを見送ってオリビアはベッドの中で身体を横たえた。時刻はまだ早いが強い眠気を感じたからだ。人と会って話をする。会話は滞りなく進められるが記憶がおいつかない。もっと適切な受け答えを後になってから思いついてしまう。会話を反芻しようとすると睡魔に思考が停止してしまう。



 やはり自分の心はまだ傷んだままになっているのだと実感する。村で暮らしていた頃のオリビアにはなかった症状だからだ。



 ベッドの中でオリビアは自分の左手の甲を目の前にもってきた。



『ねえ“指輪”? 私はこれからどうなると思う?』



 左手中指につけている指輪…… オリビアのナビゲーターAIにそう問いかけた。



『それは数日間に限定した短期的な予想ですか? 数年後も考えた長期的な予想ですか? それともメンタル面での変化の予想ですか? 具体的な範囲を指定してください』



『子供姿の戦闘兵に襲われる前あたりからこの国に来るまでの記憶がヘンなのよ。事実は思い出せるのに風景も音も匂いも思い出せない。ニュースで読んだ事件の様に他人事にしか感じないの』



『強い不安を抑制するための一時的な感情消失です。時間の経過とともに回復します。侵蝕部隊と呼ばれる彼女達がサポートする回復プログラムは適切です。プログラムの消化に集中しましょう、オリビア』



 心地よい眠気が思考を鈍いものにしていく。音やにおい、温度を伴って思い出せるのはアイリーのことだけだった。イークスタブの診療所でアイリーにしがみついた。その時の皮膚感覚だけは鮮明に思い出せる。彼の体はきめ細かく滑らかな肌に包まれながら固く引き締まり強い熱を持っていた。



 オリビアはベッドの中から顔を出して周囲を見回した。部屋づきのメイドヒューマノイドが自分を注視している。



「……一人きりで眠りたいわ。数十分でいいから部屋の外で待っていてくれる?」



 オリビアを見つめながらメイドヒューマノイドはアンジェラに要望を問い合わせる。生命維持装置を装着している様な重篤な状況ではない。アンジェラは護衛対象のプライバシーも重視するタイプだ。アイリーとイノリの半同棲に際してはドア一枚を隔てる程度の気遣いも見せていた。



 オリビアに一礼して部屋を退出したメイドを見送ったオリビアはコンフォーター(かけ布団)を頭から被ってしまった。記憶の中のアイリーに対して遠慮のない欲望を感じたのだ。



 アイリーの声を思い出しながら自分の指先で自分の肌の感触を確かめてみる。戸惑うほどに肌理がととのい、指先をすべらせるだけでくすぐったい様な肉の芯まで微電流が走る様な刺激を感じる。



 心拍数があがり呼吸が浅く早くなっていく。



 ベッドの中にいながらオリビアは不意に自分の全身が深く下方へと沈み込むのを感じた。まるで穴に落とされた様に。引きずり込まれた様に。



 仮にメイドヒューマノイドがオリビアを注視しつづけたままだったなら異変をすぐに察知できただろう。ベッドはオリビアの身体を見失い平坦な無人の状態に戻ってしまっている。



 オリビアはベッドの中、自分の体が作り出した影の中に引きずりこまれたのだ。



 地面に投げ出された様な衝撃を受けてオリビアは驚いて体を起こした。むせかえる草の匂い。野鳥の声。土の感触。



 今は無人となっているペク族の村の広場だった。すぐに立ち上がろうとしたのは危険回避に充分な経験を積んできたからだった。だが地に手をついて腰を浮かせようとした瞬間、全身に体験したことのない重みを感じ動きがとれなくなった。



「こんにちは。ペク族の生き残り」



 オリビアの死角から回り込んできた人影が親し気な口調でそう声をかけてきた。全身黒ずくめの人影。その輪郭は茫洋としていて男か女かも分からない。黒と表現したが光沢もなく光を飲み込むだけの炭よりも黒い存在だった。



 一瞬、これは夢かと疑った。目の前に現れたのがイークスタブの診療所を襲ったエレメンタリストだと気付いた瞬間、全身から汗が噴き出した。その汗が舞い上がる土の粒子を吸いつける。不快な感触のリアルさがオリビアに悟らせた。これは現実だ。



「……殺すつもり?」



 ようやく、それだけ問いかけた。黒い影が屈みこむ姿勢をとってオリビアに顔を近づける。小さく何度か頷く。黒い影に変化が現れた。楕円だった頭部に髪の様なフォルムが現れ、黒い事しか判別できなかった顔の部分に凹凸が生まれる。



 現れたのは黒一色のオリビアだった。



「殺しはしない。今さらお前ひとり殺す価値もない。 ……けど生かす価値ならある」



 黒一色のオリビアが笑顔をつくった。オリビア本人にも作れない様な邪悪な表情だった。



「私は人の体を操る能力を持つエレメンタリスト。どうだ? 体が動かないだろう? 今から右腕だけ自由を返してあげよう」



 オリビアの右腕に感覚が戻った。肩から先が自由に動く。だが体そのものが動かせないままでは何をすることも出来ない。



 アイリーとリッカのコンビならば体を襲う違和感の正体が過重力によるものだとすぐに気付いただろう。様々な事故死を経験した二人ならば恐慌も抑えきれただろう。だがオリビアは黒い影の“体を操る能力”という言葉を信じてしまった。



 黒一色のオリビアが首を傾けてみせた。肩と並行する程の異様な傾け方だった。邪悪な笑顔はそのまま両目だけがオリビアを覗き込む様に見開かれている。



「取り憑いてお前の体を自由にさせてもらう。アイリーの傍に辿りついたところでお前の手を使ってアイリーを殺す。協力してもらうよ?」



「断るわ」



 体験した事のない恐怖の中で言い返せたのはオリビアの意志の強さだった。だがオリビアには黒い人影が本当に人に憑依する能力を持っているのかと疑うだけの余裕はない。



 黒い人影が声をたてて笑った。



「お前の承諾など不要。私が取り憑き、お前は暗殺者となる。それだけだよ。予め教えてやったのはそれが呪いの発動に必要な儀式だからだ。この呪いを他の者に伝えてはいけない。伝えようとした時点でお前の体は内側から崩れ正視もできない肉片に変わり果てて死ぬ。生き延びたければアイリーを殺すしかない」



 一方的にそう告げると黒い影はその手をオリビアの体へと伸ばした。何の感触もないままに黒い影の手が自分の体の中に沈みこんでゆくのを見てオリビアは悲鳴を上げた。

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