10‐ ハグアルの群れ
翌日。オリビアは与えられた寝室のバルコニーから中庭を眺めて過ごしていた。頭の中に浮かび上がってくる言葉が何もない事に軽く驚きを覚えている。時間の経過が早い。気が付けば数時間が切り飛ばされてしまった様に経ってしまっている。
中庭の端から建物の方へと歩いてくる集団がある事に気が付いた。
人影は5人。先頭を歩いているのはジャージ姿にスニーカーの女性。何気ない風を装いながら周囲を目線で警戒しているのが分かる。数歩分後ろを歩いているのはアイリーだった。その右には筋骨たくましい若い男。金色に染めた髪をコーンロウに編み込んでいる笑顔が明るい男性だった。左側にはサマーセーターとゆったりしたパンツスカート姿の亜麻色の髪をした女性。菱形を形作る様に最後尾を歩いているのはスーツ姿の女性。
女性たちは全員が同じ顔をしていた。先頭のクラリッサと最後尾のアンジェラはオリビアとも面識がある。同じ顔をしていても身にまとう雰囲気と個性はそれぞれが独特で遠目でも見間違うものではなかった。
見知った顔がいる事よりもその集団が周囲にはなっている気配がオリビアを驚かせた。
クラリッサもアンジェラも穏やかな表情で散策を楽しむ様に周囲に目を向けている。アイリーを振り返ることもなければアイリーが声をかける事もない。亜麻色の髪のヒューマノイドはアイリーに笑顔を見せている。ミサキは熱心にアイリーと話し込んでいる。
写真で見れば漫然と散策を楽しむ若い男女にしか見えない。だがオリビアの眼から見た彼らを表現するなら“集団での狩猟方法を獲得した巨大なハグアル(ジャガー)の群れ”だった。
日常の中に狩猟が組み込まれていたオリビアだから得た印象だろう。夜襲を繰り返すジャガーから家畜を護るために幼いころから猟にも参加していたオリビアは直感的に理解した。整備された公園を漫然と散策するこの集団に隙はない。もし彼らが今索敵行動に出たら逃げ切れる者はいないだろう。
そして彼らの絶対的なボスとして群れに君臨しているのがアイリーだった。幼体として護られているのではない。ボスの命令一つで群れは漫然と散策する男女のグループから一瞬で最凶の強襲部隊へと変身するのだ。アイリーの周囲に展開する4人がそれをアイリーに伝え、アイリーもそれを理解している事が遠目でも分かる。そんな集団だった。
「エイ、ドーニャ(女首領)」
不意に背後からそう声をかけられてオリビアは小さく悲鳴をあげた。弾かれた様に背筋をのばした態勢で振り返る。目の前にいたのはジャージ姿のクラリッサだった。その顔に敵意はない。
「公園を歩くあたしらを見ていただろう? そして恐怖を覚えた。いい反応だぜ、やっぱりあんたには見どころがある」
オリビアが驚いてアイリー達へと視線を戻る。集団の先頭を歩くクラリッサは何も気づいていない風に歩き続けている。
「クラリッサさんが…… ふたり?」
「あたしらは複数の身体を同時運用している。意識は常時並列化している。あんたの視線にはすぐに気付いたよ。んで、ちょっと話がしたくなった」
「……話?」
クラリッサが笑いながら室内にあるソファに腰を下ろした。
「今ちょうど、アイリー達はあんたの事を話していたんだよ。あんたの今後についてだ。あたしは本人がいない場所で何を相談したって時間の無駄だと思っている。あんたの事はあんたに聞いた方が早い」
オリビアがクラリッサへと向き直った。クラリッサがオリビアの視線を正面から受け止める。
「大災害の生存者、サバイバーっていうのは特別な能力を身につけている。生死が決まる一瞬に幾つもの選択肢から必ず正解を選べることだ。運だけで生き延びられる程、大災害っていうのは甘いもんじゃない」
クラリッサの言葉には長い実体験に培われた確信が込められていた。
「あんたは村で起こった2度の襲撃事件を生き延びた。族長代行の地位にいたから、アイリーの傍にいた。アイリーを短い時間で信用したからアイリーはあんたを傍に置き続けた。才能だけ持ち合わせていたとしても警戒心の強い村娘の一人だったらあんたは生き残れなかった」
オリビアは答えない。なんと答えて良いのか分からなかった。クラリッサの言葉は続く。
「あんたがオリビア・ライアスとして生きてきた人生全部があんたをサバイバー足らしめた。そのあんたがアイリーの傍にい続けたら、アイリーの生存率は確実に上がる。あんたには死を回避する高い能力があるから。 ……あんたをハリストスのメンバーにしたいというのがあたしらの希望だ」
ここでクラリッサは苦笑を浮かべた。
「んで、当のアイリーがそれに反対しているんだよ。あんたを一日もはやく平和な日常に返したいってな。ペク族の悲劇に対する訴訟を請け負う弁護団を結成させたら、あんたが望む場所で暮らす支援をするつもりでいる。だがあたしはもう一つ、別の理由であんたを買っている」
「……聞かせて下さい。クラリッサさんが私を買うという理由」
「イノリには会ったよな? アイリーとイノリは事故原因特別調査官だ。自分の死には慣れている。けどふたりは仲間が死ぬ事は未体験だ。未体験っていうのは弱点につながる。あんたが仲間の死を乗り越えた経験を持っていたら、あんたの存在はアイリーのこれからに大きな戦力になる。あたしはそう思っている」
経験こそが生き残る最大の武器だからな。とクラリッサは言った。そのまま黙ってオリビアを見つめる。反応を見ているのだ。
「仲間の死を乗り越えて自分の生き方を持てるか? あたしはあんたにアイリーの力になってほしい。もちろん、村を襲った悲劇の原因にアイリーの存在があったとしても、だ」
オリビアの表情に動きがあったのを認めたのだろう、クラリッサは小さくうなずいてソファから立ち上がった。そのまま部屋の出口へと歩き始めてしまう。
「あたしの話は終わりだ。今は回復に努めていてくれよ、ドーニャ(女首領)。そしてあたし達の希望についても考えておいてくれ」




