表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エレメント・アクティビティ  作者: 志島井 水馬
第一章 終末期再生調査官
25/377

24‐ 再生調査の完了

 緩やかに退いてゆく痛みから行動の自由を取り戻した運転者はすでに動かしようもない筋肉を使う事を放棄して目だけで自分の隣を見る。



 夫人はシートベルトに護られ大きな怪我もなくシートに収まったままでいる。



 物理的な衝撃の激しさに半分意識を失い夫である自分を襲っている惨劇をまだ目の当たりにはしていない様に見えた。



 よかった。妻は、生きている。



 深い達成感がアイリーの心に湧き、もう一度意識が千切れる程の激痛に飲み込まれる。



 だが俺は妻を助ける事が出来た。



 もう、いい……。 充分だ……。



 アイリーの心は運転者と同調し、空疎になり、希薄していき、破綻し、壊滅を始めた。




『アイリー! 自分の名前を言って!』

 心の中にリッカの声が響く。



『……痛いんだ。 ……後にしてくれ』



『あなたの名前はなに?』



『後にしてくれ……。 もう…… 大丈夫だから』



『名前!!』



 自分ではない誰かの声がアイリーの心に響き、アイリーはそれを煩く感じた。



『痛いんだ。痛い。放っておいてくれ。痛いんだから』



『名前!!』



『黙れ』



 遠くで誰かの悲鳴が聞こえた様な気がした。



 耳ではなく、心の中から聞こえるどこか。



 誰の声かも考えられない。アイリーの心には思考を千切る痛みと、やり遂げた達成感とが混じりあいながら満ちている。



 妻を救えた、もう、充分だ。



 耳元で声が聞こえた。若い女の声。



“…… わたしを一人にしないで!! ……ひとりで逝かないで!!”



 心の中に満ちる、若い女の泣き声……。



 泣くな。誰がそんなことをするものか。泣くな。



 そう思った瞬間に自分の中に疑問が沸き起こり、霧散していた意識をつなぎ始めた。



 一人にするわけがない。誰を?



 ……分からない。 だが一人にさせてはいけない、と思う。



 逝かないで? 誰が?



 ……分からない。 だが生きなければいけない、と思う。



 耳元で聞こえた声は誰だ? 



 ……分からない。 いや、思い出せない。 アイリーの心の中に自我が蘇り始める。



 思い出せ!!



 ……妻の声ではない。心の中から聞こえる声でもない。



 妻? 妻って誰だ? ……心の中の声?



『名前!! 言え!!!』

『…リッカ』



『わたしんじゃねーよ!!』

『アイリー…』



 瓦解を続けていた意識が名前を絆にして網の様につながった。



 呼びかけに答えなければいけないという義務感が心に湧きあがる。



『わたしの言葉を繰り返して!! アイリー!』

『…アイリー』



『アイリー・スウィートオウス』

『アイリー…スウィートオウス』



『事故原因特別調査官』

『…調査官』



『原因は解明された』

『…解明』



『終末期再生調査は完了した』

『調査…完了』



『無事に生還する』

『生還する』



『頼れる相棒、アイリーのリッカちゃん、もう最高』

『あは』



『あは、じゃねえよっ!』



 心の中と頭の中で同時に同じ声がした。頼もしい声。どんな危地からでもどんな劣勢からでも自分を現実に連れ戻してくれる相棒の声。



 ああ。そうだった。



 俺はアイリー・スウィートオウス。事故原因特別調査官。



 そして頼もしい相棒の名はリッカ。俺のナビゲーターAI。



 やり遂げたのか。俺は。そうか。助かったのか。



 気が付けば首から下の、ありとあらゆる場所から噴き上がってきていた痛みが引き始めていた。犠牲者本人が死亡した為だ。



 原因は解明できた。

 もう、思い残す事もない。



 深い安堵から、意識が再び混濁を始める。



 もう充分だ。やり遂げたのだから。



 そう思った瞬間にアイリーは自分の耳に鋭い痛みを覚えた。



 体をのけぞらせて悲鳴をあげたくなる程の痛み。同時に自分の胸のあたりに押しつぶされる様な痛みを感じる。



 固い棒を柔らかな緩衝材で包んだものがアイリーの胴体を締め上げている。



 呼吸も苦しくなった。喉と頸動脈が圧迫されて息ができなくなる。



 どれも事故によって負った痛みとは比較にもならない程に軽微。だがこちらの方が具体的に痛みの場所と程度が分かって、キツい。



 痛い。痛い。本当に、痛いっ!!



 安堵も忘れてアイリーは目を開けた。



 体の自由は利かないが首と目線を動かして自分に何が起きているのかを確認する。



 少女の細い脚がカニ挟みに自分の胴体を締め上げている。首には背後から少女の両腕が廻され腕の力で気道と頸動脈を塞いでいる。



 後頭部に回された手がアイリーの頭を首に絡めた腕へと押し付けて圧力を上乗せている。チョークスリーパーだ。



 耳。噛みつかれている。噛みついただけでなく、強くひっぱられている。



 リッカがアイリーの背にしがみつき、耳にギリギリと歯を立てて自分の首を捻じりながら噛みちぎろうとしているのだ。




『痛い痛い痛いっ!! ホントに痛いです!! 止めてリッカ!! ほんとに止めて!!』



『目が覚めたか!』



『覚めました!! 大丈夫だからやめて、痛い! ほんとに痛いから!!』



 キヒヒヒ、という唇を閉じたまま横に広げた時に漏れる笑い声をたててリッカが力を緩めた。全ての痛みが手品のクライマックスの様に一瞬で消える。



 もとより肉体を物理的に痛めつけた訳ではない。同質同程度の痛みを電気信号として再現して脳に伝達しただけだ。信号が途絶えた瞬間に全ての痛みは鎮静する。



 ナビゲーターAIがパートナーの触覚に干渉する事は唯一の例外を除いて認められていない。それを認めた結果、部屋から一歩も出ないまま餓死してしまう程に自閉する者を続出させた過去があるからだ。



 その例外が今。すなわち、心肺停止状態からの蘇生を促す場合だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ