04‐ 殴打
アイリーの疑問はイノリの助言で与えられたものだった。目の前の出来事の中から不自然な事を見つけ出す事に突出した能力を持つアイリーに対して、イノリは事故や事件に関わった者の思考を読み解く事に突出した能力を持っている。
「大統領…… 過去に幾らでもチャンスはあったはずです。仮に最近思いついた話だったとしても行動に出るべきは今じゃない。 ……俺ならばアンチクライストが世界を混乱に陥れた時に行動を起こす。なぜこのタイミングを選んだのですか?」
具体的な指摘はない。だがアイリーの言葉はこの戦争がネイルソンの自作自演だと断言していた。言葉で前置きした通り、アイリーはハッシュバベルの難民救済策担当と被災国の大統領の会談ではなく、新旧のハリストス同士として“本題”の話から始めたのだ。
アイリーとリッカが、そしてドロシアがネイルソンの表情を注視する。アイリーは会談の前にイノリと様々なシミュレーションをこなしていた。
『ネイルソン本人からの情報がないから、まだどんな可能性も排除する事はできないわ。でもネイルソンが西方マディナ守護者連邦をエレメンタリストの力で壊滅しようと企んでいるとしたら…… それはウバンギ共和国の繁栄、あるいは安定に直結する計画よ。アイリー』
アイリーが得た全ての情報を共有した上でイノリは長い時間をかけて考えを巡らせた後にそう言った。
『西方マディナ守護者連邦は名前の通り、聖地メッカを西方から守護すると宣言した部族が集まって成立した国よ。支援する国にはシャリーア(イスラム法)を刑法と民法にも反映させているイスラム圏大国が名を連ねているわ』
『イスラム教は最終的な教義の解釈を教徒に委ねている柔軟で穏和な宗教だ。一部の原理主義者が国際問題を引き起こしたのは21世紀。300年も前の話だ。この時代に宗教自体が侵略戦争の原因になる事はないと思うが……』
アイリーの疑問にイノリは首を横に振ってこたえた。
『その国で普及する常識の根底にシャーリアという同一の経典が共有されている。それはお互いに同じ常識が通用しあう仲という事よ。守護者連邦はイスラム圏大国からの手厚い支援を受けてこの半世紀で大きく経済を発展させている。実業を伴った急激な経済発展は人材不足を招く』
イノリの言葉はアイリーに疑問を生じさせ、リッカが直ちに最新の情報をアイリーの知識に組み込む。
『ウバンギ共和国で育った有能な人材が大量に守護者連邦へと流出しているな』
『ウバンギには知識があっても活用できる場がない。ウバンギで教え込まれるのは合衆国や欧州を中心としたキリスト教圏の常識…… 自己責任に立脚する個人主義よ。高い教育を受けた者は実力と待遇が見合う隣国へと流れウバンギ国内でその才能を開花させる事はないわ』
『なら渡航を禁止すればいい。侵略行為を選択する理由にはならない』
『そう。だから今までは選択してこなかった。状況が変わったのよ。豊かな隣国を未開墾の更地にしてしまう事がウバンギを中心とした周辺地域の安定に繋がると各国に追認させるだけの条件をネイルソンは世界に提示した。その何かを無効化させなければ彼の能力による守護者連邦の虐殺は止められない』
イノリはさらに二つの疑問をアイリーに伝えた。守護者連邦からの侵略を事実として残す為に自国民が大量に殺される事を何故、ネイルソンは是としたのか。そして守護者連邦が侵略作戦を展開するアンファンテリブルを背後から撃って自らの潔白を証明するという当然の作戦を実行しないのは何故か。
『状況は複雑に見えるわ。でも解決方法はシンプルよ、アイリー。ネイルソンの思惑を外し、その行動を無意味にすること。それだけで虐殺は止められるわ』
イノリの言葉を、その声音のままにアイリーは思い出していた。目の前に座るネイルソンに表情の変化はない。アイリーに対する返答も冷淡なものだった。
「……全く興味を惹かぬ質問だな。君に答える必要も感じない。火急の事態だからこそ本題から始めるのではなかったのかい? それが君の本題ならば僕の用件から先に伝えよう。先ず、君が援軍を名乗ってくれた事に深く感謝している。君には是非、コンゴ側国境警戒をお願いしたい。すぐにでも行動を開始して欲しい」
コンゴは侵攻作戦が行われている国境の正反対に位置する。アイリーの顔からも表情が消えた。
「万一、コンゴ側からの侵攻が現実となったら僕の国は二正面作戦を取らざるを得なくなる。世界の最貧国が持つ軍事力にそんな余力はない。後方の固めは何よりの大事だ。よろしくお願いします」
リッカがアイリーに顔を寄せて何事か囁いた。アイリーはネイルソンから視線を外し、ラウラへと顔を向ける。
「ご配慮に感謝します。大統領。ですがお気遣いは無用です。俺達の部隊を最前線へと送り込んでください。俺たちは侵攻作戦を展開しているアンファンテリブルという軍事組織と対峙した事があります。アンファンテリブルという組織は正直に言って…… ベンチャー企業が発表したワンコインのアイデア商品と変わらぬ仕上がりの部隊です」
アイリーはラウラに向かって微笑みかけた。
「あるいはジェネリック・アーミーとでも評した方がイメージしやすいかも知れません。俺達からすれば警戒にも値しない。作戦司令であるラウラさんを前に失礼な表現ではありますが、正直な感想です」
ラウラも微笑みを返している。アイリーの言葉に対して何の感情も起きていない様に見えた。ネイルソンが小さく含み笑いを漏らす。
「我々は見下される事に慣れ尽くしているんだよ。新しいハリストス。君はその挑発でどんな展開を期待しているのかな?」
「挑発ではない。通告です。俺は人命の救助を最優先に考えている。このまま俺が部屋の外に出ればウバンギでの直通拠点を得た事になる。すぐにでも部隊を展開させる準備は整えてきている」
「自分の無敵に絶対の自信があるんだね。エレメンタリストからの攻撃は全てカイマナイナの能力、強制吸収で無効化される。致命傷に至らない物理攻撃は侵蝕部隊による護衛が盾となる。君自身の命を脅かす事は誰にもできない」
「……俺はその情報を誰にも語った事がない」
「語られぬ情報を収集するのが諜報だよ、新しいハリストス。では見せてもらおう」
プレス機で金属を圧し潰す音がアイリーの周辺から聞こえた。アイリーの隣に座るドロシアが回避行動を取る事も出来ずに見えない力で上から押し潰されるのがアイリーの視界に入る。ソファは破壊され、床には木片とドロシアの筐体だったヒューマノイドの体が布切れの様に薄く潰され散らばっている。
アイリーの背後でも同時に破壊音が聞こえてきた。アンジェラから護衛についていた筐体がエレメント・アクティビティで圧壊させられたと通信が入る。
「僕ならこう考える。物理的攻撃の盾となる護衛を先にアクティビティで潰した後、僕が肉体を用いた単純な暴力で君に攻撃を加えたら? 果たして君は無事でいられるかな?」
表情を消したままネイルソンが立ち上がり、アイリーへと近寄って彼の首に手をかけた。首を押さえつけた状態で長身のネイルソンがアイリーの顔面へと拳を振り下ろす。格闘経験はおろか、まともな殴り合いさえした事がないアイリーは横顔を殴られ鼻と口から鮮血を噴き出した。
アイリーの喉を鷲掴みにしたままでネイルソンが腕を高くあげた。片手でアイリーの体を宙へと持ち上げる。ネイルソンの声に昏い失望が満ちた。
「半年はベッドから降りられぬ程度の怪我を負ってもらおう。ベッドの上から成り行きを見守ってくれればいい。……残念だよ、アイリー君。君は一体、何をしに来たんだ?」




