01‐ 醍醐味
リッカは唇を引き結んだまま口角をあげている。両目は内側からの発光ではなく外からの光を反射してキラキラと潤み輝いている。両頬が僅かに上気している。
生まれて初めてアイスを口にした幼児の様な笑顔だった。驚きと喜びが暴発している。
『世界を敵に回すかもしれないと知って!! アイリーの危険回避欲求が!! 初めて目的達成欲求を上回った!! モチベが下がった!! イヒヒヒヒヒヒ!!!』
アイリーの目に浮かんでいるのは怯えだった。リッカに対してではない。人体発火のエレメンタリスト・アレハンドロを制圧した時の村人達の眼差しを思い出したのだ。
得体のしれない化け物を拒絶する眼差し。アイリーの存在そのものを否定する眼差しだった。アイリーが初めて体験した存在に対する全否定だった。
今は優勢にある西方マディナ守護者連邦からアイリーへ支援要請があった訳でもない。勝手に出しゃばり、命を救ったはずの民から化け物の様に怯えられ、世界からは異端者として否定される。その結末に怯えたのだった。
『アイリー、ビビっちゃった感じだね!? わたしはもう最高の気分だよ!!』
『……なんでそんな嬉しそうな言い方をするんだ、リッカ』
アイリーの抗議にリッカはさらに笑顔を大きくした。綺麗な歯列を見せながらイヒヒヒと笑い声をたてる。
『自分とは何の関係もない人間が!! 死を回避できる可能性を世の中に作り出すために!! 自分が代わりにいっぺん死んでみる!! ……アイリーがいつも終末期再生調査でやってることじゃん』
む。とアイリーの思考が進路修正を始める。
『自分でいっぺん死んでみる体験に比べたら冷たい目で見られるなんてリスクにもならないよ。誤解は解けばいいんだから。ペク族の皆と一緒に楽しくお酒飲んだじゃん?』
『……これは戦争への介入だ。俺のことを潜在敵勢力と見なす国も出てくるだろう。東フィリピン海洋自治国に大きな迷惑をかける事にもなる』
『世界が敵に回ったら、世界にこう言ってやるんだよ!! アイリー!!』
リッカが得意げな表情で小さなあごを上に向け、小さな鼻の穴を膨らませながら高らかに宣言した。
『嫌ったっていいんだよお? 二度と守ってやらねえからあ!!』
『それじゃ脅迫だよリッカ』
『脅迫でいいんだよ。アイリーは正義の味方じゃなくて生存権の守護者だよ。なりふり構っていられないのは当たり前じゃん? 世界の正義なんか守りたいヤツが群れて守ってればいいんだよ!!』
アイリーはリッカの顔をみつめた。
『……嬉しそうだなあ。リッカ』
『アイリーが自分で辿りつく結論への最短ルートを指し示す。ナビゲーターの醍醐味満喫中だよ!!』
なるほど。とアイリーは思った。気が付けば心を圧し潰していた不安が随分と軽くなっている。そうだ。と気付く。ここで市民への攻撃から目を背けたら自分は取返しのつかない悔いを抱え込む事になっただろう。リッカのいつもの言葉がアイリーに届く。
『もっと感謝しても構わないよ!!』
アイリーの口元に笑顔が浮かんだ。アイリーとリッカの今の会話は思考通信回線に乗せていない。二人きりの会話だ。ミサキがアイリーの笑顔に気付いた。
「アイリーさん…… アンファンテリブルがウバンギを強襲したという事はこの戦争は茶番だという事だ。下手に手を出したらアンファンテリブルに出資している企業と国から敵視される事にもなる。アイリーさんの考えを聞かせてくれ」
少しの時間を沈黙に費やしてからアイリーはミサキへと向き直った。口元には笑みが浮かんでいる。自分の考えに浮かれている笑いではない。状況に混乱し自棄を起こしている笑みでもない。アイリーは何を思いついたのか。
「西方マディナ守護者連邦の主張は事実無根の言いがかりだとウバンギ共和国は言っているんだろう? そして国境近くに住む市民に被害が出ている状況にあるんだな?」
「その通りだ。だがそれは茶番であって……」
ミサキの言葉をアイリーは頷くことで中断させた。分かっている、という意思表示だ。
「ネイルソン大統領は前ハリストスのメンバーだ。俺にとっては敬意を表すべき大切な先輩にあたる。ウバンギ共和国の援軍として参戦しよう、ミサキさん。俺達がアンファンテリブルを国境で殲滅させてしまえば武力衝突は終了する。戦線はそこで膠着し、後は和平の交渉だけが残る事になる」
「それは…… ネイルソンにとって最悪のシナリオになるな。アンファンテリブルを失い、国境線も移動しない。丸損ルートだ。面白いな。 ……だがアイリーさん。東フィリピン海洋自治国も世界の軍需産業から武器弾薬を調達している。アンファンテリブルを影で支援している企業はこの国にとっても重要な供給元だ」
だから東フィリピン海洋自治国の実力部隊を投入する事はできない。とミサキは言った。その反論もアイリーにとっては想定内だったらしい。
「ウバンギと親交があった訳でもない東フィリピン海洋自治国がいきなり援軍を名乗っても国際政治に混乱を与えるだけだろう。混乱は批判の対象になる。援軍を名乗り出るのは前ハリストスの知見を得たいという下心を持つ未熟な現ハリストスだ。当然、使う力もハリストスのものとなる」
アイリーの狙いを理解したミサキが笑みを浮かべた。
「俺にエレメンタリストとして暴れろと言うんだな? 大将? 最高じゃないか」




