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エレメント・アクティビティ  作者: 志島井 水馬
第一章 終末期再生調査官
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23‐ 再生調査〈4〉 死亡までの残り時間 10秒

※ 事故の描写です。痛い描写がほとんどです。

 フロントガラスに映る景色が段々と角度をつけて路面だけになってゆく。

 運転手の知覚にも死を目前にした感覚向上が起こったのだ。



 車体が垂直近くまで浮かび上がった時、車体を揺らす衝撃が走る。

 ワイヤーが千切れたのだろう。千切れたワイヤーはさらに空転する車軸に絡み取られてゆく。



 運転者の、そしてアイリーの目はフロントガラスに襲い掛かるように鞭打たれてくる千切れた方のワイヤーの先端を捉えた。



 もちろん運転者本人はそれが何であるか想像も出来なかっただろう。

 ただ車内に殺到してくるであろうことは予測がついたはずだ。



 意識の中、アイリーはとっさに両腕を目の前でクロスさせた。



 肩で頸動脈を護り、両腕の最も太い上腕部分で喉と気道部分を、握った拳で自分の両テンプル、米噛み部分を護る。



 幾度も事故死を経験してきたアイリーなればこその防御姿勢だ。



 だが実際の運転手に死亡の経験など無論ない。通常ならば両手で頭を抱え込んで姿勢が可能な限り下を向く。



 アイリーのとった防御姿勢には至らないもののこれも致命傷を避ける事ができる防御姿勢の一つだ。運転手は、その姿勢すらとらなかった。



 片手を大きく伸ばし自分の頭部や上半身の防御も忘れ、目に映った鎌にも鞭にも見える未確認の物体を抱きとめようとしたのだ。



 鋼鉄製のワイヤーの先端は高速でのたうつ鞭となりフロントガラスを強打する。



 3重構造で衝撃を周囲に分散させるはずのフロントガラスは強打に難なく打ち破られる。鞭の先端が車内に躍り込んできた。



 ああ…やはり。とアイリーは思った。



 自己防衛という本能すら封じ込んで運転手は車内へと殺到した凶悪な鞭を素手で掴もうとした。

 助手席の妻を護るために。



 鞭の先端が運転手の腕を縦に切り裂いた。



 最初に遺体の解剖画像を見たアイリーが違和感を感じて注目しつづけたのがこの縦に裂けた傷だった。



 防御創なら腕を横にした状態で上辺か下辺に最初の傷ができる。そこから挽き切られた傷なら説明がつく。



 それ以外の箇所から始まった傷ならば運転者は本能がとる防御姿勢以外のポーズを取ったことになる。



 アイリーが再生調査を決心したポイントだった。



 そして今、腕を強打したワイヤーは彼の肩口近くに巻き付いた。この瞬間にも、もう片方の先端は車軸に高速で巻き取られて行っている。



 アイリーの視界の端で右腕が吹き飛んでゆくのが見えた。今はもう上下転覆している車内で幾度か跳ねた後に千切られた腕は車外へと放り出されていった。



 痛みよりも熱よりもこれまで肩が無意識に支えていた腕の重みの消失感が最初に脳へと届けられた。 今まで味わった事のない、無いという実感。



 隣にいる夫人が悲鳴よりも先に夫の名を呼んだのは、彼女が本来とても理知的な人だったからだろう。 自分の名を呼ぶ妻の声を聞いて妻の無事を確信する。



 不意に体が自由になった。のたうち続けるワイヤーの先端にシートベルトが断ち切られたのだ。そして同時に胸骨も切断され、肺と心臓に修復不可能な傷を負う。



 ここが痛い、あそこが痛い、と意識できるのは怪我の度合いで言えば回復が見込める程度の浅い傷だ。アイリーはそれを幾度も繰り返した死の体験の中で学んでいる。



 挽き千切られた、擦り潰された、という様な修復できない傷を負った時に感じるのは痛みよりも激しい熱。内臓に傷を負った時も痛みよりも熱を強く感じる。



 だがアイリーは知っている。激しい熱を感じる事ができるのは、まだ応急処置を受け入れる余地のある怪我だ。



 修復は不可能。応急処置も秒単位のロスが死亡に直結する傷を負った場合。



 人は全身から頸椎を通って脳へと届く激痛の信号を処理しきれなくなり、首から下は痛みの塊としか感じられなくなる。



 どこが、ではない。全部だ。熱など感じる暇もない。



 恐竜の巨大な牙に全身を咀嚼され首だけが口の端にぶらさがった状態の時に感じるような、と言えばイメージできるだろうか。すでに認識できない部位からの強烈な痛み。 



 体内から喉へと噴き上がってきた血の塊を吐き出すこともできない。肺は切り裂かれて排気ポンプの役を果たせずにいる。



 それでも運転者の視覚は通常では捉えきれないはずのワイヤーの先端を追い続けている。その先端が自分の首元へと殺到したのも見えた。



 歯を食いしばろうとして力を込める先が消失するのを体感する。頬から横殴りに下あごを抉り取られた。



 顔全体に精密に張り巡らされた表情筋の、始点の大半が無くなった事で顔の筋肉が勝手な収縮を始める。顔がゆがみ、筋肉は収縮する自らの力で骨からはがれてゆく。



 自分の顔が文字通りに瓦解してゆく感覚。



 そして痛みが遠のき始める。危険を回避することを、生きる事を、脳が断念したのだ。

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