03‐ 若きネイルソンの独白
アイリーの記憶の中にリッカが収集した情報が瞬時に組み込まれる。この段階では知識を得ただけであり、それをアイリーがどう感じ、何を判断するかは別の話となる。
『……俺に声をかけてきた男とは別人に見える』
『ハッシュバベルの公園で声をかけてきた男性ね? 変装をしていたのでしょうね。素顔のまま他国を自由に歩き回っていい人物じゃないわ。VIPというのは相手の国に礼儀を示すチャンスを与える義務があるから』
思考回線を介してアンジェラが答えてきた。アイリーの視界の中に通信窓も開く。
『音声認証や歩容認証による本人確認は可能か?』
『現状では無理ね。ネイルソン・ロイシャーシャ大統領の音声サンプルはダイジェストされた会見の映像しかないの。アイリーとの会話にも使われた単語だけじゃ認識率が確保できないわ。歩容認証も同じよ。公開されている映像はズームアウトされた画面の中で数歩あるいている姿とバストアップのものばかりよ』
本来は非公開となっている国家元首のオフタイム時の警備映像を見せろとも言えない。映像からの本人確認をアイリーは早々に断念した。ネイルソンが治めるウバンギ共和国の概要を確認する。
ウバンギ共和国は世界最貧の国として知られるアフリカ大陸中央に位置する国だ。ハッシュバベルの紛争監視課から200年に渡り“破綻国家”の評価を受けつづけている。法による統制と公益事業の両方が喪失し国家の機能を果たさなくなっている。
『俺は地政学や歴史は一般論しか知らない。200年も破綻し続けているのに他国に吸収されずにいるのは何故だ?』
『1884年ドイツで開かれたアフリカ分割会議の残滓です。欧州14か国によるアフリカ大陸の支配圏分割の時、何の成果も見込めない枯れた土地に端数として切り捨てられた少数民族が追い込まれて成立したのがウバンギ地区です。貧困は現在まで続き国民総所得で比較すると合衆国とは300倍の開きがあります』
ドロシアがアイリーにそう説明した。経済で何も生み出さない土地の紛争はどれだけ長引いても誰も助けようとしない。資源とならない土地と借金しか出来ない民から得られるものは何もないからだ。最貧国が刻み続けている歴史は人類全体が持つ冷淡さを証だてる歴史でもあった。感傷を退けながらアイリーが当然の疑問を口にする。
『エレメンタリストには国籍を置く国から生涯続く特別支援金が支給されるはずだ。何故ネイルソンは他の国に移住しないんだ? 共和国で富を独占でもしているのか?』
アイリーの視界に展開されている通信窓の中でドロシアが困惑の表情を浮かべた。
『ネイルソン・ロイシャーシャ大統領の在任期間は65年に及んでいます。この期間を通して彼は変わらず国内の紛争解決と基幹産業の育成、教育の拡充に努め続けています。彼自身も世界最貧の大統領と呼ばれる生活を送っています。彼が祖国を離れない理由は生まれ故郷への愛着ではないでしょうか』
ドロシアの意見をアイリーは自分が得た記憶と照合してみる。警察組織は規模が小さく捜査能力は貧弱で犯罪被害の記録係程度の役にしか立っていない。治安は世界でも最悪の部類に入る。産業も貧弱で外国資本を呼び込んでファーストファッションの縫製品を作っているのが最大の収益源となっている。
『国を挙げて量販店の安いTシャツしか作れない工業力だよ、アイリー。農業は自給できるぎりぎりの穀物しか作れない。作っても他国が買い付ける様な品質に育てられない。重工業は存在しない』
アイリーに寄り添う形で姿を見せているリッカの表情にも困惑が浮かんでいる。
『戦闘ヒューマノイドの部隊を製造して運用する財力なんかどこにもない。アンファンテリブルの運営なんて無理』
『67年前に起きた企業連邦ヘラート消滅事件は公的記録から全て抹消されているはずだ。リッカ、ネイルソンがハリストスとして参戦したという情報はどうやって手に入れた?』
『67年前。第三資源管理局からネイルソン個人に対してえげつない額の送金があったんだよ。なんでや? って思って前後1年間のネイルソンの行動記録を探査した。大きい権利の購入とか。そしたらソーシャルネットに1回だけ、個人として動画をSNSに保存していたのが確認できた』
リッカが説明したと同時にアイリーの視界の中に画面が展開された。土壁に合板を打ち付け壁紙を貼った室内にネイルソンが映っている。ネイルソン本人に焦点があった映像は周辺が微妙にピントのズレを起こしている。カメラで撮影されたものではなく人の目を通して記録された映像の特徴だ。
「明日…… 治安介入部の人が僕を迎えに来る。その人と一緒に、アンチクライスト戦に参加してくるよ、父さん」
画面の中のネイルソンは最近の映像と年齢的にほとんど違いが見られない。とても60年以上前の映像とは思えなかった。映像を記録しているのは彼の父親なのだろう。ネイルソンの独白は続く。
「……僕が授かった力は他人のために使わなければならない。父さんと母さんにそう教わって生きてきた。他人っていうのは行った事もない国の、言葉も通じない人も含まれるんだろうか。僕の事を知らない人のために、僕は生まれて初めて他人を傷つけるために自分の力を使う。僕と同じエレメンタリストを身動きできない程痛めつけるために、自分の力を使う」
ネイルソンの声に込められた想いは未だ答えが出ていない懊悩だった。
「僕は絶対に死なない。どんな怪我をしても元通りの体に戻る。でも戦いが終わって帰ってきたとき、僕の心は別人になっているんじゃないか。それが怖い。間違った力の使い方を…… 当たり前の事と考え違いしたまま帰ってきてしまうんじゃないか…… 僕たちが相手をするエレメンタリストというのは…… いろんな国でたくさんの人を殺してきているらしい。人を殺せるエレメンタリストなんて会った事がない…… 怖いんだ。父さん。この力を暴力に使える自分になってしまって、元の心に戻れなかったら…… その時には、この映像を変わってしまった僕に見せて欲しい」
懊悩を滲ませながらボソボソとした小声で一人語りをしていたネイルソンが初めて正面を向き、強い口調で宣言する。
「僕は授かった力を皆の幸せにつながる形で使いたい。この気持ちを忘れたくない。忘れてしまったら絶対に思い出さなければいけない。 ……思い出せ!! 暴力は敗北した者に貧困を強いる!! 貧しい者、弱い者にとって生きるという事は死なずに済んでいるというだけの価値しか得られない!! 夢や楽しみを追う事に人生を費やせる人も多い同じ時代に生きながら!! 貧しい国に生まれたというだけで!! 何の罪もないままに!! 人生や、安全や、平和は夢の中にしか出てこない憧れとして諦めながら生き続けなければいけない!! その不平等を僕は許さない!! その悔しさを僕は絶対に忘れない!!」
映像はそこで終わっていた。アイリーの表情に変化はない。
『…… 過去、アンチクライストと対峙したエレメンタリストには報奨金が出たのか?』
『そうみたいだね。ネイルソンは生まれ故郷を変えていけるだけのお金が欲しくてアンチクライスト戦に参加したんだと思う』
リッカの言葉を継いでドロシアが口を開いた。
『ネイルソン・ロイシャーシャ大統領の統治期間中に国内でエレメントアクティビティによる制圧行為は確認できませんでした。アンチクライスト戦以降、大統領は自分の力を武力に転用する事を封じています。一貫して他者の幸福に自分の能力の全てを捧げる生き方はアイリーさんに通じるものがあると感じています。経歴の中にもハリストスに反旗を翻す理由を見出せません。……大統領は今回の虐殺事件には無関係なのではないかと思います』




