08‐ エイミーの助言
アイリーは治安介入部に所属するエレメンタリスト、エイミーの判断力を高く評価している。一見すると組織の決定を最優先する言動が目立つが盲従するタイプには思えなかった。だからこそエイミーの心に組織に対する疑念の種を残しておきたいとアイリーは考えた。
アンチクライストが実在する脅威であるならば、なぜ第三資源管理局は総力をあげて現代のアンチクライストの特定と排除に取り組まないのか。対抗する存在、ハリストスと認めたアイリーに対してさえ情報共有を拒んでいるのは何故か。
組織に対する疑念があれば、エイミーは必ず自分なりの行動を起こす。その目指す先に虐殺の回避があるのならばエイミーはアイリーとの共闘も決断するはずだ。時機を得るまでは遊軍の様に振舞ってもらっても構わない。アイリー自身が第三資源管理局の意向に盲従するつもりはないと知らしめるだけでも充分な成果だと思おう。
アイリーはとっさにそう判断し、エイミーに対して第三資源管理局による茶番的な救出詐欺という疑問を口にした。エイミーの口元に皮肉な笑いが浮かぶ。
「浅はかな陰謀論だ。自分の無力を棚上げする理由がそれか?」
そう言って目を細める。沈黙する。アイリーを凝視し、再び口を開く。
「いや…… お前は自ら墓穴を掘る様な発言をする男ではない。第三資源管理局に疑いを持っていると公言してお前が得るものは何もない。 ……私を遊撃手に仕立てて内部の情報を探らせるつもりか」
真意を見抜かれてもアイリーに焦りはなかった。まっすぐにエイミーを見つめたまま微笑を浮かべて見せる。エイミーの来訪目的であるアレハンドロの身柄、生首はまだアイリーの手中にある。エイミーが強奪を選択しない限り、まだ情報交換の余地は残されているとアイリーは考えている。
「俺は第三資源管理局に関しては部外者だ。目指しているのはエレメンタリストによる大量虐殺の回避だけだ。その過程や結果において第三資源管理局に何が起こっても俺には興味がない」
アイリーがエイミーの顔を見つめながら畳みかけた。
「俺を狙うエレメンタリストに俺は必ず辿りついて見せる。だが貴女が有益な情報を提供してくれたとしたら大きな恩義を感じよう。任務や義務の話ではない。救える命を看過しないという俺の意志の問題だ」
「無力な人間ひとりの恩義に何の価値があるものか……。 アレハンドロの首を寄こせ」
冷笑を浮かべながらそう言い放ったエイミーの顔をアイリーは注視し続けた。だからこそ次にアイリーが口にした定型句の様な一言にエイミーが驚愕したのを見逃さずに済んだ。
「俺への情報提供が仮に貴女の立場に不利益を与える様な事があったとしても、俺は貴女を一人で戦わせたりはしない。貴女を一人にしないことを誓おう」
エイミーからの返答はなかった。ほんの一瞬、エイミーの顔に抑えきれなかった感情が浮かぶ。
『エイミーがアイリーの言葉に恐怖を感じた。なぜ? 今の言葉のどこに恐怖を覚える要素がある?』
『エイミーの脳内、偏桃体外側核から中心核で電位の大きな振幅があったわ。恐怖の記憶を蓄積する偏桃体外側核に対して中心核周辺から恐怖体験の記憶再現を強制的に抑制する動きがあった。脈拍に瞬間的な乱れもあったわ。治安介入部のエイミーに心臓が止まる感覚を強いる程の恐怖体験があった?』
リッカとアンジェラからの通信がアイリーに届く。言葉を口にしたアイリーにも思い当たる部分はない。表情を変えたのも一瞬、改めてエイミーは不機嫌さを顔に出し、アレハンドロの引き渡しをアイリーに要求してきた。
エイミーの混乱に乗じて畳みかける様に会話を重ねるか。アレハンドロを引き渡すか。
一瞬考えた後にアイリーは素直にアレハンドロを引き渡した。恐怖を感じた相手に付け入る様な交渉をするのはフェアではないと思った。それよりもエイミーの要求に素直に応じて信頼関係を確保しておきたい。そう考えたのだ。
「ア…… アイリー・スウィートオウス」
エイミーが問いかけてきた。噛んでいる。今までにない事だ。
「情報交換だ。正直に答えろ。お前のナビゲーターと確認を取りながら答えろ。お前はハッシュバベルの公園で私とカイマナイナに会った以前に…… 私と会った事はあるか? 言葉を交わしたことは?」
「ない」
リッカの記憶検索は瞬時に完了した。アイリーも即答する。エイミーがうめき声を飲み込む様な声を発した。その理由にアイリーは全く心当たりを思いつかない。
「そ…… そうか。分かった。 ……アンファンテリブルというのは外部との接触窓口を公開していない軍事組織だ。紛争地帯に自ら代理人を送り込み営業を展開するという」
知っている。と思いながらアイリーはエイミーの言葉に頷いて見せた。エイミーの言葉が続く。
「ではアンファンテリブルの裏にいるエレメンタリストはどうやって連絡を取り付けた? アンファンテリブルが持ち込んだ話ではないのだとしたら、いつ、どうやって?」
「不明のままだ。過去にアンファンテリブルが展開したとされる作戦は全て検証済みだ。エレメンタリストが関与した紛争はなかった」
「ならば、アンファンテリブルにとってそのエレメンタリストは取引相手ではないという事だな」
自分の目で確認できる事実の中から不自然や不整合を見出す事に特化した能力を持つアイリーとリッカにとってエイミーの言葉は想定したことのない指摘だった。過去に取引関係があったからこそ、受け身専門の軍事組織に依頼を持ち込むことが出来たはずだ。そう思い込んでいた。
取引関係がなかったとしたら。
「断わっておくが私は具体的な情報を持っていない。私ならそう考える、というだけの話だ」
そう言いながらエイミーがアレハンドロの生首を受け取った。無造作に右腰の鞘から左手で細身の刀を引き抜き、アレハンドロの耳から耳へと貫通させる様に突き刺す。それがエイミーの能力なのだろう、アレハンドロの眉間と両眼、口の部分に内側から刀の切っ先がそれぞれ突き出された。頭の内部で刀身から新たな切っ先が生まれて外側に生え出たとしか思えない。
アレハンドロの表情が激痛の苦悶に歪むが人工肺も取り除かれ、口を内部から切り裂かれ声も出せずにいる。視覚と聴覚も奪われて再生も出来ずにいる。刀を媒体に相手の再生を阻害するのもエイミーの能力の一つなのだろう。
挨拶の言葉を口にすることもせず、しかしアイリーから視線を外したままの姿勢でエイミーの体が微かに発光し、ふいに掻き消えてしまった。帰還したのだ。
「……アンファンテリブルの取引相手ではない。 ……エレメンタリスト自身がスポンサーだった?」
『エレメンタリスト個人に支給される金額が莫大なものであったとしても軍事組織のスポンサリングが出来る規模ではないよ、アイリー? 背後にあるのは国家だという仮定は動かさないで考えるべき』
『一国の元首を務めているエレメンタリストがいるのか?』
アイリーの問いかけにリッカの双眸が淡く発光を始めた。情報検索が始まったのだ。




