05‐ アレハンドロの告白
自力で顔を動かす事ができないアレハンドロが片目だけでアイリーの姿を追った。アイリーと目が合う。アレハンドロの表情に動きはない。
「アイリーさんの言葉にどう言う返事をするのが事実を供述する事になるのか、僕の頭ではわかりません。許してください」
ナイフが突き立てられていない方の目を閉じて覚悟を固めた表情を浮かべる。ブリトニーから与えられるであろう痛みに備えている。二時間に及ぶ拷問の結果、アレハンドロは敵愾心、反抗心はもちろん保身への意欲さえ消失してしまっていた。
アレハンドロが犯罪者であったとしても罰を与えるのは司法であって拘束に成功した自分達ではない。これは私刑であり弱者への虐待だ。アイリーはそう感じている。だからこそアレハンドロに対して申し訳ないという気持ちが湧いてきてしまう。
『アイリーよう。あたしらがやってるのは観客を沸かす事で完結する格闘試合じゃないんだぜ? 暴力をふるう者を暴力で制圧する。相手の闘争心を砕いて絶対服従を誓わせて初めて戦闘は終結するんだよ。私刑でも虐待でもない。一つの戦闘が決着しただけの話だ。このガキに対する罪悪感なんか持つ必要なないぜ?』
クラリッサが思考回線でそう語り掛けてきた。クラリッサの言葉の方が正しいのだろう。ブリトニーが拷問を始めるまでアレハンドロの心にあったのはアイリーへの復讐欲求だけだった。あの時点でアレハンドロはまだ戦闘意欲を失っていなかったのだ。
「……アレックス。君に聞きたい。人間の能力を超えた力を犯罪に使うのは…… 君にとって楽しい体験だったのか?」
アレハンドロが戸惑いの表情を浮かべた。質問が意外だったからではない。アイリーが最初に口にした謝罪に対して正しい受け答えが出来なかった。それなのにブリトニーが制裁をしなかったからだ。
恐ろしくて目を開ける事も出来ないままアレハンドロは正直に答えた。
「楽しいと思った事はありません。最後に休日がもらえたのは半年も前です。毎日、指定された知らない場所に行き、言われるままに人を殺していました。初めて会った人を殺していました。指令があれば仲間も殺していました。与えられた家は大きかったけど俺を…… 僕を監視する人ばかりで自由はなかった……です」
アイリーの顔に不審の色が浮かぶ。
「エレメンタリストを物理的に拘束する事は不可能だ。君だってその気になれば自由に移動もできるし君の力があれば周囲を従わせるのは難しい事ではなかっただろう?」
「人間は…… 思考回線を使って俺に…… 僕に聞こえない様にいろんな話を進める。子供の頃からそうだった。僕にはみんなが黙っている様にしか見えない。でも僕だけが聞こえない言葉でみんなで色んな話をどんどん進めていく。ナビゲーターAIが記憶を手伝ってくれない僕は大事なことも忘れてしまうから、他の人は誰も僕に大事な話をしてくれない。 ……仲間の話に混ざるには皆の見える場所から離れず、皆についていく事しか出来なかった」
アレハンドロの口元に自嘲の笑いが浮かんだ。
「エレメンタリストっていうのは…… 普通の生活の中では最低に記憶力が悪い馬鹿扱いなんです。ゲームをやっても絶対に勝てない。何を趣味にしても出来の悪いものしか作れない。何度も道順を聞いて、きちんと覚えなければ友達の家に行く事も出来ない。ガキの頃…… 俺は仲間から、馬鹿を憐れむ目でしか見られた記憶がない」
「でも他の動物よりは頭がいいんだぜって、そのあたりで満足しとかなきゃダメだろ? あたしらAIより記憶力と思考速度が優れている人間なんて存在しないんだから」
クラリッサが口を挟んできた。乱暴な言葉の様に聞こえたがアレハンドロには納得のいく言葉だったのだろう。
「その通りなんです。人間っていうのは俺…… 僕とは違う種族でお互いに黙ったまま話を進める事もできるし大事なことを忘れたり間違って覚えたりもしない。」
『アイリー。ドロシアに頼んでアレハンドロの生い立ちを把握したよ。アレハンドロに家族はいない。父親は自殺して父親以外の家族はアレハンドロが自分で殺している』
アイリーに肩車をされる姿勢のままで頭上から覗き込む様に顔を近づけてきたリッカがそう告げた。
『多分、アレハンドロにとって最初の殺人は家族。それが他人を殺害する事への禁忌を崩壊させたんだと思う。事情を聞いてみる?』
リッカに促されアイリーはアレハンドロに家族の事を尋ねた。アレハンドロの表情に大きな変化はない。その異様さがアイリーの印象に残った。
「僕のお父さんはスラムで僕の家族を養っていました。僕にはお兄さんが4人いて僕は一番年下でした。僕が生まれるまでお父さんは作業アンドロイドよりも安い賃金で短い時間だけ雇ってもらえる仕事をいくつも掛け持ちしていたそうです。休む日も作らないで毎日働いていたそうです」
アレハンドロの告白に偽りがない事をドロシアとリッカが一つ一つ確認しアイリーにその旨を伝えてくる。
「でも僕が生まれて…… 国からエレメンタリストに支給されるお金が入ってくる様になって家は大金持ちになりました。お母さんもお兄さんも僕のわがままを何でも聞いてくれました。親戚もたくさん集まってきたそうです。お父さんの仕事を誰もあてにしなくなって、でもお父さんはお兄さんたちには学校へ行けと、自分の仕事も持てと、うるさく言っていて…… 誰もお父さんの意見を聞かなくなったそうです」
アイリーは黙ってアレハンドロの告白を聞いている。アレハンドロに告解の意識はない。彼自身に罪のある話ではないし彼自身が自分の生い立ちに関心を失っているからだろう。アイリーはアレハンドロが自分の家族を語る時にお父さん、お母さん、という言葉を使う事に憐れみと悲しみとを感じていた。
アレハンドロはカルテルの幹部という立場を得るまでになりながら社会の一般常識を誰からも教わらずに来ている。ブリトニーに“相手に敬意をはらう言葉遣いをしろ”と命じられ、最初に改めたのが俺という一人称を僕に変える事だった。
彼の元に教育的支援は届かなかったのか。その不運にアイリーは憐憫を感じている。
「僕が…… カルテルに入る前くらいです。お父さんが自殺しました。理由は分かりません。でもお兄さんが自殺は僕のせいだと怒って僕を攻撃してきました。素手でした。でも僕は怖かった。怒っているのが怖かったから戦おうと思った。自分に人体発火の能力があるのを知ったのはこの時でした」
アレハンドロの声に後悔は感じられなかった。事実を供述しなければブリトニーからの制裁がある。その恐怖だけがアレハンドロに詳細な供述を続けさせている。
「お兄さんを焼き殺しても、お母さんや生き残った他のお兄さんは俺を叱らなかった。悪いのはお父さんと、怒ったお兄さんだと言っていました。理由は覚えていないけれど僕はその時、お母さんは僕を大事にしているんじゃない…… 僕のために国が払っているお金が大事なんだと思いました」
「辛い話をさせて済まなかった。アレックス」
堪らず、アイリーがアレハンドロの告白を遮った。自分の生まれ育った環境とあまりにも違う。そして漠然と“恵まれている”とだけイメージしていたエレメンタリストの境遇についても想像と違う現実を聞かされて衝撃を受けている。
「? 別につらくはありません。僕は種族が違うのだから。家族は可哀そうだったなと思います。でも僕は別に辛いとは思っていません」
今夜、もう一話更新したいと思っています。




