06‐ 虐殺後の宴
村民の集会所を臨時の救命センターとして稼働させたまま、すぐ隣の広場で宴を始める予定だと聞いたアイリーは困惑の表情を浮かべてしまった。
今は族長代行のオリビアの自宅に招かれ応接室に座しているが広場にはカルテルのメンバーの遺体も放置されたまま。村民の犠牲者も集会所の隅で全身を覆うシーツをかけられただけの状態のはずだ。一瞬、リッカの翻訳が間違えているのではないかとさえ怪しんでしまった。
着替えをしたいと中座していたオリビアがアイリーの前に戻ってきた。襟のある無地のトップスで袖は肘の下あたりまでまくり上げ、裾は厚手のレギンスの外に出して腰回りを緩やかに隠している。フォーマルとは言えないが略式の外出着に見えなくもない。
宴に招かれるという状況そのものに驚いているアイリーの視線に気づいたオリビアが羞恥に頬を赤らめながら幅の小さな手を自分の胸元に当てた。着ている服そのものを隠したいと思っているかの様な仕草だった。
『俺はすぐにでも村にいるというAIに引き合わせて欲しいんだが…… その事をちゃんと伝えた方がいいのかな?』
疑問ではなく思考回線で誰に対するでもないつぶやきを漏らしたのは回答が欲しかったからだ。
『オリビアは族長代行としてどう振舞うべきかを考えて行動する人物だと思うよアイリー。情報交換の重要性も理解しているとも思う。今はオリビアの提案に従っておいた方がいいよ』
最初にリッカがそう答えた。ドロシアとアンジェラも同意見なのだろう。その事には触れずに補足的な意見を言ってきた。
『村人達は今、危機が去った興奮状態にあります。村に何らかの秘密があったとしても話題に乗せやすくなっているはず。アンジェラさんのドローン群で村人同士の会話を拾ってもらいましょう。彼らの前にオリビアさんと一緒に姿を見せるのは脅威が排除されたという高揚感を促し秘密の暴露に良い効果が期待できます』
『ドロシア。エドワードにも治療に付き添う家族に良い印象を与えて情報を集めさせて。アイリー、炸裂蜂と火蜘蛛で村全体に警戒網を張るわ。配置完了と同時に偵察結果の解析にも入る。村にいるというAIに会う際に必要な前情報を集めて整理しましょう』
なるほど、村にいるAIとの面会前に掴んでおくべき情報を集め整理するというのは重要だと納得したアイリーはオリビアに誘われて宴の会場…… 村の広場へとついていく事にした。
腰高に切られたドラム缶に木材が投げ込まれ火が熾されている。持ち運べる椅子とテーブルがそれぞれの家庭から持ち込まれているのは夜間の森林地帯の地面は昆虫類が活躍する世界だからだろう。地面に直接座り込んでいる者はいない。
オリビアに誘われてアイリーは広場に持ち込まれた木箱に布を掛けた即席の椅子に腰かけた。燕麦とモロコシ、何種類かの豆を茹でた椀が出される。四角く切られた干し肉も入っている。
『羊肉とモロコシのオートミール粥だね。スラム街の炊き出し定番メニューだね。おいしそうでは…… ないね』
リッカの感想はストレートなものだった。それでも好奇心からアイリーは躊躇いなく口にしてみる。麦とモロコシの味がするダイエット食品の様な味がした。村人の会話が聞こえてくる。
「アルフレドが死んだが俺は生き残った!! こんな嬉しいことはない!!」
賛同する声がいくつも応えてくる。
「セリオも死んだ!! 死んでくれた事に感謝しよう!」
「そうだ、セリオが死んだおかげで俺たちはどれだけ幸せになるか!!」
「死んだセリオには一生、感謝しつづけるしかない!」
「死んだアルフレドに教えてやりたいよ、俺は生き残ったぞと!!」
拍手と笑い声と同意の声がいくつも湧き上がった。アイリーの心に困惑と不快感が同時に生まれてくる。犠牲者を悼む気持ちがないのかと感じる。その表情をオリビアが見つめている。
「……彼らの喜ぶ姿が意外ですか? アイリーさん?」
オリビアに対して良い印象を、などと考える事も忘れてアイリーは眉をひそめて頷いてしまった。
「犠牲となった方への哀悼を口にする人がいない事を意外に感じています」
「……貴方は平和が約束された土地で幸福に暮らしているのですね。私達の様に孤立した地に住む少数部族は略奪される事に慣れています。自然災害も、大型獣による襲撃も、同じ人間からの侵略さえ当たり前に繰り返されます。自分達の無力を恥じ、非力を悔やむ暇はありません。私達の悲しみが癒えるのを次の災厄が待ってくれる事などありえません……」
オリビアの言葉は意外なものだった。アイリーを責めている口調ではない。自分達の言動に開き直っている風でもない。アイリーが直面したことのない感情をオリビアは持っている様だった。
「誰かが犠牲となって大型獣の飢えを満たし、略奪者の欲望を満足させなければ彼らは村から立ち去らない。私達には誰が犠牲となるかを選ぶことも出来ません。だから災厄が村から立ち去った時、私達は犠牲となった者に悲しみではなく感謝だけを捧げ、自分が生き残った事に罪悪感を持たぬ様に喜びを共有しあい、明日の朝にはいつも通りの生活に戻らなければいけません…… 自然の中に生きる非力な者に悲しむ時間は与えられないのです」
「セリオ!! 俺は生き残ったぞ!! 最高に幸せだ!!」
村人の声と、続いて起こる拍手と笑い声がアイリーの耳に届いた。生き残るだけで精一杯、という状況の中では罪悪感に立ち止まる事も報復に思考を取られる事も許されないのだ。
同じ時代に生きる人間なのに、自分達の暮らす世界とは余りにも感覚が違う。その事にアイリーは衝撃を覚えた。
アイリーはオリビアの視線に気づいた。アイリーが着ているジャケットを見つめ、自分の着ている服を隠そうとするかの様に細い手で自分の体を擦ることを繰り返している。何が気になるのか。
『リッカ。オリビアは何かをとても気にしている様だ。何を気にしているんだ?』
アイリーの問いかけに答えたのはドロシアだった。
『大がかりなテロ事件の救出作戦後によく見られる反応です。オリビアさんは助けられた事に感謝しながら、自分達の非力を恥じています。その非力と貧しい身なりが連動されたイメージとなってアイリーさんの仕立ての良い服と自分の着ている服を見比べて恥ずかしいと感じている様です』
バカな…… とアイリーはドロシアの推察に驚きを覚える。一般市民が攻撃意欲をむき出しにした軍事組織に対抗できる訳がない。非力は恥ではない。村の経済力など今、語るべき話ではない。
『優位に立っている人間の心には余裕があるからね。その余裕を感じ取っているんでしょ』
アイリーの隣に自前の椅子を用意して座る姿を見せながらリッカがそう言った。俺に余裕などあるものか、とアイリーは思う。オリビアが感じている不要な緊張を解かなければ正しい情報を得られない可能性がある。
「……俺のジャケットが気になりますか?」
アイリーの急な問いかけにオリビアが一瞬だけ驚き、微かな怒りと困惑を表情に浮かべた。
「……素敵な仕立てですね。実物を見るのは初めてですが…… 高価な品は見ればそうと気づかされます」
「俺レベルの男が着る仕立服というのは」
アイリーの言葉が終わらぬうちにオリビアの表情に失望の色がはしった。アイリーはこの場で仕立ての自慢でも始めるのだろうか。
「誰が着ても似合う様に作られている。その職人技術が値段に反映されているんだと思います。オリビアさん、この場で貴女に危害を加えるつもりは全くない。少しの失礼を許してください」
そう言ってアイリーはジャケットを脱いだ。これも仕立ての良いカットソーをたくし上げて脱ぎ、傍らに置いたままのエレメンタリストの生首が回復しない様に注意しながら立ち上がりチノパンツのベルトに手を掛ける。
「? アイリーさん? 一体なにを?」
「し…失礼は承知です。貴女を不快にさせる意図はない。信じて下さい」
そう言いながらチノパンツも脱ぎ、改めて上半身のインナーまで脱いでしまった。靴下とボクサーパンツだけという姿になる。周囲の目も集まった。アイリーの顔が真っ赤になる。
「おおお…… 俺は知らない人の前で服をぬぐのも初めてだし…… 何の合意もない女性の前で下着姿になるのも初めてです。とても恥ずかしい。でも…… 俺の恥ずかしさを貴女は理解できないと思います。そんなことをする必要はないと。その…… 俺も同じです。貴女が何かを恥じているのを感じていますが、俺は貴女が恥ずかしがる必要はないと考えている。でも、俺は貴女と対等な交渉がしたい。俺も恥ずかしいのをこらえるので……」
『何を言い始めたんだ? これはリッカのアドバイスかよ?』
クラリッサの問いにリッカが大笑いで応えた。
『わたしがこんな馬鹿なアドバイスする訳ないじゃん! アイリーは面白いんだよ』
『阿呆にしか見えないわ』
アンジェラの呆れ声もアイリーの耳に届いている。心臓の動きが早まった。とてつもなく恥ずかしい。そのアイリーの背後に2,3歳くらいだろうか。近くのテーブルに座っていた子供が近づいてきた。大きな目を輝かせているが男の子か女の子かは分からない。それくらい幼い子供だ。アンジェラもクラリッサも危険度のない子供の接近を阻もうとはしない。
アイリーに気づかれることなく背後に辿りついた子供がためらいなくアイリーの下着に手を掛けていきなり下へと引き下ろした。
「お尻も白い!!」
大人たちの爆笑が聞こえる。アイリーは言葉もなく上半身すべてを赤く染めて固まってしまっている。たまらずオリビアが顔を伏せた。肩を震わせて笑っている。
「……国王様がヨソの国でパンツ1枚になっていいの? こどもにパンツをおろされて……」
言葉が続かない。アイリーは白目を剥きかけている。リッカのフォローも入らない。
「……ありがとう、アイリーさん。貴方の心遣いに深く感謝してご厚意に甘えます。不要な羞恥心を持って頑なな態度をとった非礼をお許し下さい」
「うん…… 心理的にも対等な立場で話をしたかった…… んです」
力尽きた様にアイリーが即席の椅子へと腰をおろす。背後から拍手が湧きおこり笑い声が拍手に続いた。嘲笑ではない。よくやった!! という男達の声も聞こえてきた。オリビアが茫然としているアイリーへと手を差し出した。
「握手して下さい。親友として貴方を歓迎し、貴方の助力を喜んで受け入れ、隠し事なく貴方に協力する事を約束します」
オリビアの言葉を聞いたアイリーが差し出された手を握り返す。思いがけず強い力でオリビアが手を握ってきた。驚いたアイリーと目線が合う。
「……独身女性の目の前で一方的に服を脱いで挑発した責任も取ってくださいね。私はこの村と共に生きる女です。貴方の生き方に干渉する事はしませんが…… 女に恥をかかせない礼儀は守って下さいね」
『やっば!! アイリー、これイノリも実況で見てるはずだよ!? ヤッバ!!』
アイリーの背中に大量の汗が噴き出し、夜風に当てられて冷たい痛みをアイリーに与えてきた。




