02‐ 迫る危機
アイリーの視界の片隅でリッカが無数のアイコンを起動させている。
『相貌認証完了。彼女の自己紹介に偽りはなかったよアイリー。オリビア・ライアスはアンファンテリブルに殺害された族長の一人娘。年齢は31歳。結婚はしていない。以前からペク族の社会的地位向上運動に関わっていて人生の大半を部族の政治事に費やしてきたのが独身でいる理由だと思う。現状では部族の決定権を預かる立場にあるというのも本当だと思う』
つまり彼女の言葉や判断は部族の総意に等しいという事だ。そう判断したアイリーは改めて深呼吸を繰り返す。彼女の疑問は当然だ。アイリーが正直に端的に“俺にもわかりません”と答えて彼女の信頼を引き出す事は出来るだろうか。
アイリーに対して敵対の意思を持つエレメンタリストが存在している。アンファンテリブルという軍事組織を使い、さらにカルテルを扇動までして一般市民を虐殺しアイリーに関わってこいと誘導してきている。その真意と正体を探る手掛かりはこの地にあるはずなのだ。
「俺はトリアージュ、識別救急の判断と緊急治療、必要な搬送を皆さんに提供する事が出来ます。村人の救助を最優先しましょう。ミズ・ライアス」
視線をアイリーから外さずにオリビアが意識を背後の村人たちに向けたことをアイリーは感じ取った。人体発火現象のすぐそばに居合わせてしまった者は相応の火傷を負っているはずだ。だがオリビアの顔に浮かんだのは強い葛藤だった。怒りの感情を押しのけた困惑と羞恥がオリビアの声音に現れる。
「治療が必要な者がいるのは確かです。高度医療も搬送も必要な事は理解しています……。 ですが長距離の搬送に必要な…… この村は貧しく……」
『アイリー!! 相手の貧乏に気が回らなかったとか自分を責めてる場合じゃないよ!! ここはがっつり恩を売って!! 話を前に進める!!』
アイリーの心に暗雲が湧きだす前にリッカの叱咤がとんだ。アイリーの心の動きを本人よりも早く察知できるのはリッカだけだ。アイリーは片手に掴んだままのアレハンドロの首を揺らしてオリビアの注目を促した。
「ここに加害者本人を拘束しています。費用の事ならばハッシュバベル第三資源管理局に請求するので心配の必要はありません。村が被ったあらゆる被害への賠償と慰謝料は第三資源管理局に補償させましょう。事務的な手続きは俺も協力します」
アイリーの視界の中でドロシアからの通信窓が展開した。
『アイリーさん。メキシコ軍が私達に奪取されたアンドロイド群と装甲輸送車両をこのまま放置するとは思えません』
『返せって言ってくる?』
画面の中でドロシアが苦笑した。
『アイリーさんは人が良いんですね。違います。カルテルに軍装備を貸し出した証拠は最優先で隠滅しなければいけません。私が指揮官ならば回収不可能と判断した時点でこの村ごと爆撃して証拠を破壊します。アイリーさん自身は爆撃の中でも無事でしょう。目の前で村が完全に焼き払われたらどんな反応をするか。アイリーさんを狙うエレメンタリストが最も知りたいと願う状況が展開しつつあります』
『……迎撃は可能か? ドロシア?』
アイリーの問いに笑い声が重なった。アンジェラとクラリッサがそれぞれに通信窓を展開してくる。
『装備は陸軍のもの。カルテルとの裏取引の始末に別組織の空軍が出てくるとは思えない。対地爆撃機の可能性は低いと思うわ。アイリー』
『自爆型ドローンだな。爆薬積めるだけ積んでくるタイプのものは足も遅い。ここであたしがハックしている武装アンドロイドで充分迎撃できるんじゃねえの?』
『あら? 私の炸裂蜂でも対応できるわよ』
アンジェラとクラリッサの楽しそうとさえ感じられる応答にアイリーは安堵した。自分の身の安全の事ではない。撤退はまったく考えつかなかった。村にこれ以上の被害を出したくないという思いだけが浮かんでいた。
『アイリーも好戦的になってきたよねえ』
リッカが笑う。言われてみればそうかも知れない。軍による爆撃が予想されながら最初に迎撃を選択するというのは好戦的な判断だ。アイリーは改めてオリビアへと意識を向けた。沈黙した時間は数秒だっただろう。オリビアの顔に不審の色は浮かんでいない。
森の奥からアイリー達のいる広場へ向けて大型車両が放つエンジン音が近づいてきた。リッカの要請に応じて、そして固定されたままの空間の置き換えポイントを通ってエドワードが指揮する医療チームが到着したのだ。
「医療チームが到着次第診断を始めます。俺は貴女と情報の交換がしたい。時間をもらえますか? ミズ・ライアス」
アイリーの問いかけにオリビアが答えた。
「改めて救助に感謝します。アイリー・ザ・クライスト。場所を変えましょう」




