01- オリビア・ライアス
クラリッサとアンジェラが迷彩を解除していないため村人の目にはアイリー一人しか映っていない。治安のよい都市部を歩き回る様な軽快なチノパンツとジャケット姿の若者が一人で巨大な武装アンドロイド群と銃を持ったカルテル、そして不可解な力を使うエレメンタリストを素手で制圧し、その生首を手に持ったまま自分達の方に無言で視線を投げかけている。
その異様。まるで規格外の存在を形容するとしたら…… 化け物。あるいは悪魔としか言いようがない。
村人たちの恐怖の目線はアイリーを打ちのめした。拍手喝采と歓喜の声で出迎えられると期待していた訳ではない。だが恐怖の余りに拒絶されるとは想像していなかった。他者に怒りを感じる事のないアイリーの心に強い徒労感が湧きおこる。俺は何をしにここに来たのか。何のためにまだ留まっているのか。
人の命を守るためではなかったのか。だが襲われたペク族からは10名を超える死傷者を出している。そして襲ったカルテルサイドの人間はアイリーに同行したクラリッサが射殺した。他者の命を守り切る事も出来ず、自ら命を奪う事さえ行った。
俺がとった行動は死者を出すという最悪の失敗に終わった。アイリーの体から力が抜けかける。まだ高い位置に立っているのに足がもつれ転げそうになる。村人たちが自分に向けている目線と感情は間違っていない。善良な彼らにとって俺は災厄を持ち込んだ悪魔だ。
『わたしがアンファンテリブルなら、今この場こそがアイリーを観察する絶好のチャンスだと判断するよ。アンファンテリブルは少数民族の殲滅や居住区の破壊を目的に村を襲撃した訳じゃない。アイリーにダメージを与える条件を知る事こそが目的なんだから』
リッカがアイリーの横に立ったままそう語りかけてきた。アイリーの視界の隅にメンタルパラメーターが展開されている。一目でわかるほど強い自己否定に偏っている。
『アイリーに人質作戦は通用しない。相手にそう判断させなきゃこれからも同じ手を使われる。呼吸に集中して、アイリー。次の被害を出さない状況を作り出すことが最優先だよ』
アイリーは大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。深呼吸をしながらリッカの言葉を反芻する。同時に思い出したのは先日まで死闘を繰り広げた相手、ニナの顔だった。アイリーのメンタルパラメーターを見つめながらリッカが言葉を続けた。
『相手が気付かずに残してしまった足跡一つから身元を割り出して潜伏先に辿りつく。アイリーの最大の武器は疑問と不整合を見つけ出す観察力だよ。忘れないで。一番最初に治安介入部に襲われた時、アイリーはたった一人で最強のエレメンタリスト達の攻撃を凌ぎきったんだよ』
自責の想いと無力感からひび割れ瓦解しかけていたアイリーの心に溶かした蜜蝋の様に液化した琥珀の様にリッカの言葉が流れ込み甘い芳香を放ちながら修復していく。アイリーは再び深い呼吸を繰り返した。
「……俺の名はアイリー・スウィートオウス。救難通報を受けてこの場に来ました。村の指導者と話がしたい。これからそちらに出向くが、どうか俺への攻撃や俺からの逃亡を試みないで欲しい。まずは怪我人の救助をしたい。俺には救急救命に対応する準備があります」
装甲輸送車両の上から今も恐怖の視線を投げかけてくる村人達に向かってアイリーがそう告げた。ゆっくりと車両の後部へと戻り梯子をつかって地上へと降りる。護衛のクラリッサとアンジェラは先に車両から飛び降りてアイリーの到着を地上で待っていた。無言のままアイリーの両側に付き添う。
村人の中から一人の若い女が歩み出てきた。夜の森に囲まれた広場の中で大きな瞳だけが印象的に輝いている。天然のウェーブがかかった黒髪を胸まで垂らし太い眉と高い鼻梁が印象的な美しい女性だった。自分からアイリーの目の前まで歩み寄ってきたのは怯える村人にアイリーを近寄らせないためだろうか。
「救難要請に応じて下さった事に感謝します。私はオリビア・ライアス。父に代わり一族の族長代行を務めています」
笑顔もなく、握手を求めてくることもなかった。笑う場面でない事は当然だがアイリーが育った合衆国では初対面の者に感謝を示す時には笑顔で握手を求めるのも常識の一つだった。メキシコでは違うのか。アイリーもまた笑顔を見せることなく目を伏せて見舞いの言葉を口にした。
「襲撃で犠牲になられた方の魂が永遠の安息を得られる事を祈っております。遺された方々に対してもとても気の毒に感じ心からお見舞い申し上げます。ミズ・ライアス」
オリビアの全身から激しい怒りの雰囲気が立ち上ってきた。アイリーがオリビアの視線を正面から受け止める。オリビアが問いかけてきた。
「我々が被った災厄を気の毒と感じるのならば答えて下さい。二度あった襲撃はどちらも貴方をこの地に呼び出すためのものでした。私達は貴方の存在すら知らなかったのに、なぜ襲撃を受けなければならなかったのか。極端な貧しさしか特徴のない、無力な少数部族が貴方をおびき寄せる餌として選ばれた理由を聞かせて下さい。貴方は一体、何者なのですか?」
口調は抑えられたものだったがオリビアの顔に浮かんでいたのは恐怖さえ超えた怒りと憎しみだった。アイリーの心が再び大きな傷を負う。クラリッサ達の反対を押し切り、自分の事情の一切を後回しにして救助に駆け付けたのに、この仕打ちは何なのだ。
本日もう一話投稿予定です




