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エレメント・アクティビティ  作者: 志島井 水馬
第一章 終末期再生調査官
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20‐ 再生調査(1)

 時間が止まっている世界にいる様に感じるのは実際に再生されている世界が一時停止状態にあるからだ。



 アイリーは乗用車の運転席に座っていた。右手をハンドルにかけ、左腕を開放している窓に乗せる形で座っている。



 ハンドルを握っている手は太く、良く日焼けしていてアイリー本人とはそもそもの肌の色も違う。

 これは事故が発生する3分前の映像。



 アイリーが視ているのは事故犠牲者本人の視界から見た犠牲者の腕だ。



 ハンドルをつかむ右手の甲の部分に全長10㎝ほどのトカゲが留まっている。

 クリーム色の素肌に豹紋が浮き出ている。ペットとしては一般的なレオパードゲッコーと呼ばれる中央アジア原産のトカゲだ。 と、思うが小さいな。一般的な成体の半分程度の大きさだ。



 爬虫類に強い興味がある訳ではなく実際にレオパードゲッコーという種類のトカゲを見た事もなかったアイリーが瞬間的にそんな感想を抱いたのは、連想連結と知識連鎖による情報支援の賜物だった。



 これは実在するトカゲではない。



 そのことにアイリーがすぐに気づいたのは経験による判断だった。

 全てが停止した世界の中でアイリーがトカゲに語りかける。



『初めまして。最初の出会いがこの様な形になってしまった事を残念に思っています。そして調査に協力して頂ける事に感謝し、亡くなったあなたのパートナーの眠りが安らかである事を祈っています』



 トカゲは事故で無くなった運転手のナビゲーターAIだった。



 ナビゲーターAIはパートナーである人間に対して様々な助言をする事が主な機能だ。その姿は個々のパートナーにとって最も説得力のある形が採用されている。



 リッカの様に人間に近い形をとる者もあれば、動物、想像上の生物、特定のアクセサリー、またはナビゲーターAIそのものが一つのアイコンの形を取る事もある。



 トカゲの返答は短かった。



『ん?ああ』



 そのままトカゲはアイリーをしばらく見上げていたが、やがて視線をそらした。



『俺のパートナーの死を悼んでくれてありがとう。質問には答えるよ』

 ありがとうございます。とアイリーが答える。



 事故犠牲者の記憶を再生する前に、アイリーは必ずそのナビゲーターAIに紋切型の固い言葉を選んだ挨拶をする様にしている。



 ナビゲーターAIはそれぞれのパートナーとの会話に特化した言葉づかいをする。極論すればパートナー以外の人間とは一度も会話をしないまま役目を終えるナビゲーターAIも少なくない。



 そのナビゲーターAIと会話をすれば故人の生前の教育水準や生活環境、性格などを推測する事ができる。



 それらの情報は事故原因と事故発生時に故人が取った行動を理解する上で非常に有益な情報となる。



『幾つか質問をさせて下さい。事故直前、あなたのパートナーに平常時の判断に影響が出るほどのトラブルはありましたか?』

『ないね』



『事故発生3分前時点での血圧、脈拍、呼吸数を教えて下さい。平静時との値の差も』



 急激な血圧上昇は何らかの理由で発生した痛みをこらえる時に現れる症状であり、脈拍と呼吸数の変化は本人も意識できずにいるストレスの存在を示唆する。



 得られた回答は、平常通り。というものだった。



 これで本人の体調不良による運転操作ミスが事故の原因という可能性は一気に低くなった。

 元々から接触事故の可能性を考えていたアイリーであったが、こういう基本的な確認事項は必ず最初のタイミングで把握しておかなければならない。



 犠牲者本人の当時の体調を見誤ると、間違った前提で判断を迫られる事になる。



『回答をありがとう。再生を開始して下さい』

 アイリーの眼前に広がる世界が動き出した。



 ゆるやかな音楽が聞こえてくる。走行中に自動車が発する作動音にも走行に影響するほどの異常は感じられない。



 右肩に室内の気温以上の熱を感じる。隣に座る夫人が放つ体温だろう。



 確かめたいとも思うが視界は故人が実際に見ていたものを再生しているに過ぎない。アイリーが視たいと思うものが視れる訳ではないのだ。



 車幅を大きく上回る幅員がある直線の道路を自動車は軽快に進んでゆく。



 空は晴れ渡っているが午後の早い時間でもあり、直射日光が視界を遮る事もない。風も穏やかだ。

 前方の視界は開かれていて路面も整備されている。



 前方を注視している運転者の視界の中、アイリーはメーター類に意識を集中した。



 「本人」と「アイリー」の意識が一部共有されている状態で「本人」が注目している以外のものを視るのは多大な集中力が要求される。



 再生調査に特化しているアイリーは経験上獲得しているコツで難なくメーター類の確認をする事ができる。



 走行時速は120マイル。キロ換算すれば時速193㎞となるがタイヤのグリップ力の向上と自動車に装備されている走行AIの支援でこの時代では安全な巡行速度といえる。



 障害物センサーは360度で正常に稼働している。



 右手をハンドルに添えているが車両は半自動運転モードで走行している。



 速度設定、ステアリングとブレーキングの協調制御を自動運転AIが担当し、AIが算出した許容範囲内で運転者はハンドルを切りまわす。 それが半自動運転モードだ。



 自動運転AIは正常に稼働している。 

 事故の予兆はどこにもない。



 だがおよそ3分後にこの車は転覆し、アイリーは腕の切断と胸部の断裂、顔の損傷と脳挫滅を経験しなければならない。



 これは確定している事だ。



 3分以内に、事故の予兆と原因を発見しなければ犠牲者と同じ様に訳も分からないまま全身の損傷に耐え切れずに命を落として再生が終了する事となる。



 調査官の間でだけ通用する隠語で言うところの「無駄死に」だ。

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