11‐ 襲撃の目的
四季咲きの花々が咲き誇る手入れされた庭園には3人のアイリーが立っている。一度は脱力して座り込んでしまったアイリー本人もすぐに立ち上がり自分の体裁というものを取り戻していた。
王邸の建物から走り出てきたイノリは驚いたことに3人のアイリーの中から迷う事無く本人を識別して駆け足のまま抱きついてきた。アイリーの細身ながら逞しい体をきつく抱擁する。アイリーの顔が赤くなった。
「無事でよかった」
イノリの声が震えている。アイリーが直面した危険の度合いは決して高いものではなかった。今のアイリーには致命的な物理攻撃を無効化するという防御アクティビティが常時発動している。それでも不安は募るものだったのだろう。
シャオホンがミサキにアクティビティの解除を促した。浅黒い肌に金髪のドレッドヘアが頼もしい雰囲気を醸しだすミサキと、黒い髪色をショートボブに切り揃えた東洋の少女シャオホンが本来の姿に戻る。2人とも頭にバイザータイプの通信機器をつけている。思考通信システムを体内に埋め込むことができないエレメンタリストの二人は時代遅れの外付け通信機器に頼らざるを得ない。
「協力に感謝します。謝礼についてはいつでもご要望を伝えて下さい」
アイリーがシャオホンにそう言った。場所を改めて、という意味も含んでいる。庭園で関係者が揃う中で立ち話する内容ではないという意図も含んでいるがシャオホンは状況を気にしなかった様だ。合衆国の都市部にすむ成人の年収、およそ3年分相当の金額を要求してきた。
実働時間は1時間にも満たないが報酬の基準は拘束時間の長さではない。武装した戦闘ヒューマノイド1部隊を殲滅させた報酬としては破格ともとれる金額だった。通常火力を装備する民間軍事企業にアンファンテリブル1部隊の殲滅を依頼できる金額ではない。
リッカがアイリーの許可を得た上でその場で報酬を決済した。各国がハリストス宛に義援金として送りつけてきている金銭の出納はリッカが管理している。今の時点で大きな支出は東フィリピン海洋自治国への復興支援金とエドワード達侵蝕部隊の消耗品と活動経費位でアイリー自身が使ったものはない。
今回のアンファンテリブル襲撃事件についてアイリーはシャオホンに意見を求めた。
「アンファンテリブルの裏には“アンチクライスト”という存在を知っているエレメンタリストがいる。これは間違いない。逆説的な話になるがアンチクライスト以外にハリストスに用がある者はいない。人間や高次AIが個人や組織でハリストスを利用して得られるものは何もない。問題は」
シャオホンがアイリーを見つめた。
「そのエレメンタリストがあんたを育てたいのか潰したいのか、どちらか? という話だな」
シャオホンの言葉にアイリーは酷く苦い表情を浮かべた。
「どちらも他人の命を巻き込んでいい話ではない。意味が分からない。俺を育てるために誰かの命を犠牲にする? 本末転倒な話だ。俺を潰したいのなら直接殺しにくればいい」
シャオホンが笑った。
「あんたはまだ何も分かっていない。あたしが過去相手にしたアンチクライストは意思の疎通も出来ない破壊の力そのものだった。都市や国を罠に見立てておびき出し、都市ごと、国ごと消滅させなければ止められない存在だった。まさか“待ってください”“会ってください”“話を聞いて下さい”が通用する相手だと思っているのか?」
アイリーの脳裏に最初のアンチクライスト、叫喚鮫が生み出した惨劇が浮かび上がってきた。その叫びを聞いたもの、感じた者は体を構成する物質全てが水と置き換えられる。水浸しになった繁華街に人の衣服だけが崩れ落ちた姿勢のまま残された異様な景色が蘇ってきた。そしてアビリティ“叫喚鮫”を作り出したエレメンタリスト。
完全に正気を失った、混じり物もない憎しみそのものが人の形を取った様なエレメンタリストの姿。
後世に現れたアンチクライスト達もそうだったのだろうか。
アイリーの思考をドロシアからの通信が遮った。
「ダークウェブの情報サイトからニュースが流れています。国際非営利団体が麻薬カルテルが支配する栽培地帯解放の為に実力部隊を送り込んだところ、カルテル側についた一部の住民が解放を求めた住民と非営利団体を逆襲。解放を求めた善良な住民が住む村が全滅」
ドロシアからは同時に映像も送られてきていた。子供姿の戦闘ヒューマノイドはモザイクが掛けられている。ヒューマノイドに一方的な雷撃を仕掛けている者の姿は鮮明に映し出されている。つまり、アイリーの姿がダークウェブに晒されている。
状況を最初に理解したのはシャオホンだった。武力、軍事力を行使する世界に永く携わってきた経験の差だろう。
「アンファンテルブルは破滅的な攻撃力を持つカルテルに壊滅させられた映像を欲しがっていた訳だ。ハメられたね、アイリー。あんたメキシコの麻薬地帯の新勢力として世界に紹介されたよ」
「……なんだよ、それ……」
アイリーをして凡庸なセリフしか出てこない。相手の意図がまるで読めない。自分を悪役に仕立てて一体、どんな展開を企んでいるのか。
「アイリーがペク族保護区の襲撃に関わった経緯はハッシュバベルからの発信内容が根拠となって誤解を受ける余地はないわ。各国政府がアイリーを犯罪組織側の者として警戒する事はない。元々が紛争の火種を抱えた危険地域での衝突を表のメディアが掘り下げて報道する事もない。 ……でも捏造された情報の真偽を確かめる事ができない民衆は刺激的なニュースを印象に残すでしょうね」
アイリーに自分の腕を絡めたままイノリがそう言った。その顔つきはアイリーの身を案じていた恋人の表情ではない。危険対策に特化した知見を持つ事故原因調査室長の顔つきだった。少し距離を置いてアイリーに立ち姿を見せているリッカがアイリーに視線を送った。気づいたアイリーがリッカに注意を向ける。
『アイリー? ニナが教えてくれた。ペク族が暮らす村では麻薬の原料栽培なんてやってない。今、密造の主流になっているのはヒロポノスグラスっていう新品種だけれどペク族保護区の気候も地質も栽培には向いていない。そしてその他の品種は精製の採算性からもう栽培自体やってない』
『どういう事だ?』
リッカが嬉しそうな表情になった。アイリーの心に悪い予感だけが湧きおこる。アイリーに重大な危険が差し迫る時、リッカは常に無上の歓喜に堪えられないという様な表情をする。
『勢力地図の空白地帯に存在しない麻薬地帯が捏造されて正義の味方VS麻薬カルテルの武力衝突が世界に報道された。仮にアイリーの身が潔白だと分かったら一番警戒するのは誰だと思う?』
アイリーとリッカの思考は常にリンクしあい近似の発想を経て同じ結論に辿りつく。アイリーの顔に強い困惑が浮かび上がった。
『……この襲撃事件は政府を始めとした表の組織が犯罪組織の世界に介入する口実だと考えたら……』
アイリーの推理にリッカが満面の笑みを浮かべた。
『一番警戒するのは本職のカルテル。世界中の犯罪組織がアイリーを警戒し始めた。 ……やったね!!』
……勘弁してくれ。
誰に答えるでもなく、アイリーにはその言葉しか思いつかなかった。




