09‐ 襲撃を見守る目線
夜闇の中でアイリーは恐怖に目を見開いていた。自らに迫る確実な死への恐怖、暴力への恐怖に対しては常人を越えた耐性を持っているアイリーが歯を食いしばって恐怖に耐えている。
月明りさえ木々の枝に遮られている夜闇の中、集落と集落を結ぶ土を踏み固めて作られた細い道を無灯火の大型二輪が疾走している。25キロを2分で走破するのならば時速は600キロを越えているはずだ。夜闇の中でも鮮明な視界を維持できる感覚向上が今は恨めしい。大型二輪のハンドルを握っているのはアイリーだった。
操縦自体はバイクが本体である高次AIのエドワードが自律走行している。アイリーは最初、タンデムシートに乗ってハンドルを握る緊急救命ヒューマノイドの方のエドワードにしがみつくつもりだった。エドワードがこれを拒否した。
「タンデムから振り落とされたら、というか振り落とされるだろう? アイリーさん。俺が後ろに乗ってアイリーさんをキープするよ。アイリーさんはハンドルを握って体を低くしていてくれればいい。体重移動なんかも考えなくていいよ」
言われるままにバイクのシートに跨った途端、背後からエドワードに抑え込まれた。背骨が悲鳴をあげるほどに強い力で上半身を抑え込まれ、エドワードの両脚に腰を挟みこまれる。痛い。ものすごく痛い。加速が始まった。
命に危険が及ぶほどの衝撃に対してはカイマナイナの防御アクティビティが働くがアイリー自身の触覚が奪われる訳ではない。つまり、命の危険に関係のない程度の痛みは全て自分持ちになる。
『リッカさん、痛いです!! すっごく痛い痛い痛い!!』
『2分の我慢だよ? 楽勝でしょ?』
『いや、こういう痛みはバイクから降りても結構ひきづるもんだよ? この後も痛いの続くと思うんだ?』
『痛くて泣いたらクラリッサとブリトニーに笑われるからね? 間違いないからね?』
リッカの反応が冷たい。エドワードに“もっと優しくしてくれ”とも言えない。風圧も体にかかるG値もアイリーの体を吹き飛ばすには充分すぎるものだからだ。
痛い痛い痛い。
アイリーが心中で発し続ける悲鳴を聞いてリッカは呆れかえっている。弱々しい心根に対してではない。逆だ。襲撃準備を整え終わっている戦闘ヒューマノイドの集団の眼前に生身の体で乗り込もうとしている状況、秒単位で虐殺へのカウントダウンが進んでいるというこの状況で体が抑えつけられて痛いなどという事に気をまわす余裕を持っているアイリーの精神のタフさに呆れている。
1分が経過した。アイリーの頭の中に声の通信が届く。アイリーに宛てた通信ではなかった。
『ニナです。リッカさん、タイマーを見る限り襲撃開始の時刻になったみたいですが?』
『なってるよー。村まであと1分。1秒が惜しい状況だよ』
『私の能力の最大直径は15kmです。村は能力の範囲内に入った事になりますね』
『何か攻撃手段があるの?』
『私は樹界のエレメンタリスト、腐敗と腐食の能力に特化したエレメンタリストです。硫黄酸化細菌をモデルとした腐食菌を合成してヒューマノイドを限定感染させます』
『あたし達も感染とか間抜けな話は勘弁してくれよ』
リッカを通じて会話を共有していたのだろう。クラリッサが話に割り込んできた。大丈夫だという言質を得たアイリーが改めてニナにアクティビティの発動を依頼した。
闇夜を疾走するアイリーの体が緑色に発光を始めた。
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襲撃の様子をネイルソンとラウラに伝えていた6つの画面のうち3つがブラックアウトした。映像を伝えてきていた戦闘ヒューマノイドも破壊されたからだ。画面の中にアイリーが現れてから数十秒で部隊は全滅した事になる。襲撃者の反撃を許さぬ一方的な幕切れだった。
「君の嬉しそうな表情を見るのは久しぶりだ。ネイルソン」
ラウラが楽し気にそう言った。ネイルソンが改めて驚いた表情を浮かべる。自覚もなかったところを正確に指摘されたからだろう。
「……ラウラの部隊に大きな損害が出たというのに、すまない。だがラウラ。君も笑っているね? 何故だい?」
ラウラが隠さぬ笑顔をネイルソンに見せた。
「久しぶりに君の喜ぶ顔が見れたからだよ、ネイルソン。展開は予想外だったが作戦そのものは予定通り、我々の勝利で終える事が出来た。アイリー・ザ・ハリストスは我々に致命的な弱点を晒し、彼自身が人類の敵となる原因も作ってしまった。上々の成果だと思う。さあ、君が喜んだ理由を教えてくれ」
ラウラの声に強がりや負け惜しみの雰囲気は感じられない。アイリーを脅迫し、反撃を受け、一方的な大損害を被った者の声とは思えなかった。ラウラの問いにネイルソンが答えた。
「アイリーが圧倒的な力を持っている事を喜んだんだ。どのアイリーが本物だったか、あるいは全員が偽物だったのか、それは問題ではない。村に現れた3人のアイリーは全員がエレメンタリストだった。そのうち2人は索敵能力を有していた。一般人として平和な暮らしを営むエレメンタリストが索敵能力を磨く必要はない。彼には少なくとも2名、戦闘経験が豊富なエレメンタリストが力を貸している」
「治安介入部のメンバーが変装を受け入れるとは考え難い。彼らは自分達が世界最強であると自覚している。身元を隠す作戦は笑って却下するだろう」
ラウラの推理をネイルソンは頷く事で肯定した。
「あの馬鹿げた打撃技を披露したエレメンタリストには心当たりがある。前のアンチクライスト戦で共に戦った炎界のエレメンタリスト、シャオホンだ。今はハッシュバベルと距離を置いて独自路線をとる集団、ヴァーニラの中核メンバーになっていると聞く」
ラウラの顔にも喜色が浮かんだ。
「アイリー・ザ・ハリストスは治安介入部、東フィリピン海洋自治国、ハッシュバベルに加えてヴァーニラの支援も受けているのか。はは、ははは。君が喜ぶ理由に納得がいったぞ」
「真のアンチクライストが覚醒した時、多くのエレメンタリストはアンチクライストに飲み込まれる。飲み込まれたエレメンタリスト達による全人類への蹂躙という悲劇が避けようもなく生まれる。ハリストスが持つべき力に充分すぎるという上限はないが…… 彼には最低限の力は備わっているようだ。それが嬉しかった」
ネイルソンの嬉しそうな声をラウラは穏やかにも見える表情で聞いている。幾つか言葉を選び、何度か発言を躊躇い、少しの沈黙を置いてラウラがネイルソンに言った。
「結晶のエレメンタリスト。私は君こそが真の、最後のハリストスであれと願っていた。運命は非情なものだな」
誇らしさと愛情と、尊敬と憐憫がないまぜになったラウラの声音にネイルソンが微笑んだ。
「本当の非情に翻弄され続けているのは真のアンチクライストだ。アイリーにもつきあってもらうしかない。人類の滅亡を避けるために」
慎重に続きを書き進めていますので次回更新は日曜日ころになります。お愉しみ頂ければ幸いです。




