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エレメント・アクティビティ  作者: 志島井 水馬
第一章 終末期再生調査官
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19‐ 最終調整

『調整に入ってくれ、リッカ』



 今は背景のない光の中で傍らに立っている姿勢のリッカがうなずいた。



 ゆっくりとアイリーの正面へと歩み、アイリーと正対する形に向き直る。右手のひらをアイリーへと見せる形で手を突き出した。



『外部プライベートサーバー接続。M。Z。R2』『ルーター・合わせ鏡の回廊起動』



『通信暗号化・ハイ・クリプトス・Xクラス適用』『暗号三重化』『偽情報並行化』『通信開始』



 リッカが一つ宣言する度に高速で回転する球体のアイコンが空中に現れる。



 アイリーには見えず、姿を隠したまま二人を視ているテレサはAIとしてのリッカの健気さに瞠目している。



 リッカの宣言とアイコンの表示がシステムの起動に必要不可欠という訳ではない。アイリーが命を賭けた作業に入る時、ナビゲーターのリッカは電子的な支援を始める。



 その支援内容をアイリーが確実にイメージし安心できる様なビジュアルを作り出す。その試行錯誤の結果がこの儀式なのだ。リッカの宣言は続く。



『悪意の存在の検知』『悪意の強制排除』



『車両設計図DL』『特化型AIとの情報連結開始・物理演算連結』『剛性演算連結』『弾性演算連結』『塑性演算連結』『行動心理学解析連結』



 稼働中のアイコンの数は増加を続ける。複数のアイコンは互いに列を作り始め、形成された円環も回転を始めた。



『おおー。滾る滾る!!思考通信深層化!非同期通信相互連結!』『実装!』



 宣言と共にリッカの周囲を巡っていたアイコン群は各々の円環ごとに一条の帯となりリッカの体近くで回転を始めた。同時にリッカの体にも変化が起こる。



 青と鉄の色を混ぜ合わせた様な藍鉄色のトライバル模様が金色に輝き始める。両手の指先で磨かれた爪が淡い桜色の光を薄く放ち、宝玉で作られた小さな花が咲き始める。



 大容量のシステムの実装表示をネイルアートの装着で済ませてしまうのもリッカとアイリーの間で育まれた予定調和だろうか。



『実装完了。アイリーとの思考通信深層化の正常作動を確認』

『知覚同期連結・認識機能非同期連結・認知機能非同期連結』

『連想連結・記憶連鎖連結・知識連鎖連結』



 リッカの声を聞きながらアイリーはゆっくりと目を閉じる。自分の意識の中に確実な変化が起きてくるのが実感できる。



 注目すべきものを見逃さない認識機能の上昇。認識したものが何であるか、それはどんな意味を持つものか、これから何が起こるのかを正確に分析する認知機能の上昇。



 得た情報から連想を繋げる際にも自分が持つ記憶の他にリッカが収集整理している最新・最適な知識への最短連携がとれる連想能力の向上。



 それは非常事態を生き延びるためのスキルそのものであり、そのスキルが自分の中で劇的に向上していくのがアイリーには体温の上昇と共に実感できる。



 日常生活においての限界値を超えて知覚する五感と、特化型AI群による情報支援で強化された判断力。今の自分ならば、どんな悲惨な状況下からでも生還できるという確信。



 心の在り様が変わると人は顔つきまでもが急激に変化する。ある人物の内面というのは顔つきからも判断する事ができる。



 心の動きが鈍い者は表情筋が発達せず比喩ではなく事実として弛緩しきった顔つきとなる。その無表情は茫洋として頼りなく信頼も置けず、注目するに値せずと本人の価値を下げてしまうものだ。



 日頃のアイリーの顔つきはこれに近い。自己主張を不得手として声の大きい方になびきやすい性格が見て取れてしまい、特に同性の年長者からは受けが悪い。



 今のアイリーはどうだろうか。



 物事を見極めようと言う意思と何を視ても動揺せず冷静であろうとする意思は眉間と目元に適度な力を与え、普段とは似つかぬ剣呑な眉と懐深い眼光を作り出している。



 口元も引き締められ、下唇から顎にかけてのラインは明らかに別人の引き締まりを見せている。



 他人にどう見られたいか、などという欲求が生み出した表情の変化ではない。この後確実に自分は死を体験する、という事実を前に平静であれと自らを律する意思が自分の顔に形をとって現れたのだ。



 他者を攻撃するのではなく、暴力的な破壊行動に走るのではなくとも命のやり取りに際している事に変わりはない。今のアイリーは正しく百戦錬磨の武人の顔立ちをしていた。



 本来が気弱げな甘めの顔立ちをしている分、そのアンバランスさには男性的な美しささえ感じられるが残念ながらヘッドギアを装着している今のアイリーの表情の変化を知る者はいない。



 それは本人と、アイリーの視界を共有して世界を視ているリッカにしても同様だった。



『リッカ。俺はリッカとの最終調整は完了したと感じるけれど、そっちは?』



『どっからでも死んでこいやあ!って感じね』



『嫌な感じだなあ』



 リッカの含み笑いが、今はアイリーの心の中に直接響く。



 思考通信時に頭の中に響く声というのは鮮明な記憶が再生させた音声に似ている。どこから聞こえてくるという事もなく、ただ正確に特徴を認識できる声。



 通信が深層化された後にアイリーが「心の中に響く」と感じる声は自分の決意、自分自身への鼓舞の声に似ている。声音としての特徴がある訳ではなく選ぶ単語にも会話の時ほどの忖度はない。



 純粋なメッセージとして心に沸き上がってくる、感情的な理論、あるいは理論的な感情。ただし、リッカが発したメッセージは見誤らずにリッカのもの、と判別できる。



 調整の完了を確認したアイリーは、支援AIのクレアに声をかけた。



「こちらの最終調整は完了した」



「了解しました。最終項目を確認します。再生中の一時停止機能は有効にしますか?」

「無効だ」



「了解しました」

 装着しているヘッドギアから音声で返答が聞こえてくる。



 再生中の一時停止機能の無効化とは、つまり何が起きても再生を中断できない。という選択を意味する。



 これは危険だ。止めたい。本能的に、無意識に、そう感じる度に再生が中断できるとしたら死を賭した知覚の鋭敏化はもちろん、集中力そのものにも大きな違いが出る。



 死ぬ未来しかない。それでも事故を回避する可能性を見出さなければ生還できない。その極限状況こそが終末期再生調査の意義を支えるのだ。



「了解しました。今から事故犠牲者のナビゲーターAIをダウンロードします。ダウンロードが完了しました。コンタクトを開始して下さい」



 アイリーがゆっくりと目を開いた。

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