10‐ アイリーの出撃
カイマナイナとエイミーの出現に劇的な反応を示したのはリッカだった。思考通信システムも装備せず、体内に電子機器を一切組み込んでいないエレメンタリストはリッカの存在を察知する事ができず、また物理的な体を持たないリッカにも干渉の術がない。
互いに異次元に存在する同士と言っても間違いではない間柄だった。だからこそリッカの怒りは治まり様がない。
『こいつら! アイリーにばっかり苦しい思いを押し付けて!! わたしのアイリーを傷つけて!! 絶対に許さないから!!』
ほんの一瞬、リッカの怒りを嬉しく感じてしまったアイリーが自らに冷静さを徹底しろと言い聞かせる。意識が自分自身に向いてしまったためにアイリーは思わずリッカへの言葉を口にしてしまった。
「リッカ。落ち着け。状況を優先させろ」
エイミーの顔から一切の血の気が失せる。真っ白な顔色となる。白刃を抜いた手が下がり、止まる。カイマナイナの顔にも一瞬の影が走るがすぐに苦笑へと表情を戻す。
「……災害状況の視察。その護衛とは考えたわね? 地味なお仕事ほど断る理由がないわ。 ……守り切れるかどうかは約束できないけれど」
「給料分の働きは自ら保証するのが社会人の当たり前だ。カイマナイナ」
アイリーの切り替えしにカイマナイナが破顔する。確かにね、と頷く。
「記憶力の良いマイ・ベイビー? 何があったのか、貴方は何がしたいのかを教えて? 」
「俺に助言を与えてくれていた上司がニナに拉致された。彼女の手首だけは俺の手元に残されている」
「可哀そうなマイ・ベイビー。 気の毒な彼女の眠りが安らかであることを祈るわ」
カイマナイナの声に揶揄の響きはない。心から気の毒に思っていると伝わる表情を浮かべている。だがアイリーの声に揺らぎはない。
「彼女と俺に対する侮辱は貴女への侮辱で返そう、カイマナイナ。貴女は黒幕を気取るには浅慮が過ぎる。彼女は真相に辿りついているはずだ。俺よりも一足先に為すべきを為す地へ赴いているに過ぎない。そして彼女の手首は俺の情報を探るために意図して残されたニナの置き土産だ」
『肝が据わっているなあベイビー? あんたに超弩級の朗報があるぜ。イノリの手首だが温度の低下が見られない。試しにナイフの先で痛覚を刺激してみたら僅かだが反応があった。出血もあった。仕組みは分からないけどイノリの手首はイノリ本人とまだリンクしている。言葉は悪いがベイビーの言う通り、この手首はニナにとっての盗聴器の役を担っていると思うぜ?』
クラリッサから思考通信が入った。本人はアイリーに目くばせ一つしていない。カイマナイナやエイミーに悟られないためだろう。
『ありがとう、クラリッサ。何より勇気づけられる朗報だが… イノリに痛い思いを強いないで欲しい』
『どいつもこいつも! わたしのアイリーをベイビーって呼ぶんじゃねえよ!!』
リッカがアイリーの背後から抱きつき、頬をアイリーにすり寄せる姿勢のままで威嚇の犬歯をむき出す。平常運転そのものの反応はアイリーに冷静さを維持させるための演出だ。
クラリッサからの報告を聞く事ができないカイマナイナがアイリーへと心配そうに問いかけた。
「あら? 危険な話ね。その手首は捨てるか潰すかしたら? あなたの敵に情報が筒抜けになるでしょう?」
アイリーがカイマナイナの表情を正視しながら気づかれぬ様に大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。挑発に怒りで応える時間の余裕はない。挑発に気づかぬ振りだけではカイマナイナ達の積極的な協力は得られないだろう。
単なる愚弄であるはずはない。彼女たちもまた、彼女たちの事情を負いながらアイリーを試している。応えるべきは応えねばならない。
だが流れを断ったのはエイミーだった。抜いた白刃をアイリーではなくカイマナイナの首筋にあてる。瞳が温度を感じさせる色彩を放つ。氷点下だ。
「カイマナイナ…… 黒幕とはどういう意味だ? お前はわたしの見えないところで何をしていた? ……そしてアイリー。 リッカとは誰に呼びかけた言葉だ?」
リッカが自分の顔を指さす。単純な問いだが自分のナビゲーターにどういう名をつけているのかを明らかにする者は殆どいない。ナビゲーターの姿や名前はパートナー個人の願望や本心に深く根差すものが多いからだ。
リッカ自身が知己を得た仲であるエドワードチームやテレサは別して、アイリーはイノリにリッカの名を告げた事はなく、アイリーもイノリのナビゲーターの名を知らない。
ナビゲーターの名というのは、それほどまでにセンシティブな個人情報だ。
そしてアイリーはエイミーに指摘されるまで、思いがけずにリッカの名を口にしてしまった自覚がなかった。
「呼んでいない」
話題を横に広げる時間の余裕はない。アイリーの返答は端的に短かった。意外な事にエイミーはその返答に驚きと怯えの表情を見せた。
「…そ ……そうか。 く…… 黒幕とはどういう意味だ?」
「さっぱり分からないわ? アイリーが一人で言っていることよ? 色々なコトが重なり過ぎたから疑い深くなっているんでしょう?」
カイマナイナの困惑した声音の返答にアイリーは大きな違和感を覚える。返答の内容にではない。リッカの名に拘ったエイミーの問いに敢えて触れなかった不自然についてだ。
気になる要素が多く出過ぎている。だが最優先すべきはニナが動き出す前にニナの居る場所へと到着する事だ。アイリーの思考が情報の選択速度を高める。
「テキサス州のシン・アラモシティに東フィリピン海洋自治国を襲撃したエレメンタリストが潜伏している。100万都市だ。彼女は次の虐殺行為を既に予告している。ここからはおよそ3600キロの距離がある。直ちにエドワードチームと現地入りを果たしたい」
「? …どうぞ? 行ってくれば? まさか、私達の能力をタクシー代わりにするつもり?」
カイマナイナが不思議そうに尋ねた。
「事故原因調査官の話だが……。 カイマナイナ。自分の能力が無辜の市民の命を暴力から護る可能性がある……。 その機会を得ながら自分の能力の発動に条件を付けてくる様な奴は大抵、自己評価に対する実際の能力が極端に低い」
含み笑いを漏らしたのはエイミーだった。
「気の強い男だ……。 いいだろう。先ずはわたしがお前ひとりをシン・アラモに連れて行ってやる。エドワードのチームは準備を整えてカイマナイナと一緒に来い。わたしは護衛はするがお前の為に誰かを攻撃する事は一切しない。お前ひとりの力を見せろ」
アイリーの周りの風景が一瞬で切り替わる。返事をする間もなく、転移させられた。
※ エイミーがリッカという名にこだわりを見せた事に関連するエピソードが第五章 三話、エイミーの危惧 で触れられています。お時間ある方は、併せてお読み頂けると幸いです。




