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エレメント・アクティビティ  作者: 志島井 水馬
第九章 アンチクライスト
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07‐ ニナの過去

 ドロシアが含んだ笑い声を漏らした。



「アイリーさんは私達が数時間の堂々巡りを強いられた問いにその場で回答するんですね? アイリーさんのナビゲーターの助力を得て情報を収集しました。80年前にバランシアゼ家の近所に住んでいた家族が所有していた写真に未知の子供の存在が映っていました。小さな三輪車に乗ってバランシアゼ夫妻と映る写真……。 その子供が映る写真は世界に残された記録の中でもこれ1枚だけでした」



 ドロシアの言葉を聞いたアイリーが目を伏せる。だが沈黙を必要とせずにすぐに疑問を口にした。



「子供がいた事、それ自体を無かった事にする。いろんな事情がある中では、ありふれた話だが…… 生活資金決済履歴まで改ざんするというのは一般人では成し得ない。手間も、権限もだ……」



「ニナが卒業した大学ですが、ニナが卒業した年を中心にした前後10年間で博士号の審査・認定と授与者の数に不整合がありました。当時発表され、後に著者名の改訂があった論文も数本確認されています。論文の主著者名の改訂というのは一種の異常事態です」



 ドロシアの補足はアイリーの推理を裏付けるものとなった。



「当時、ペーパーマテリアルで記念発行された論文の初版を確認できました。著者名はノルベルト・バランシアゼ。存在が抹消されたバランシアゼ家の一人息子です」



「……。 一般人が存在を抹消される理由はなんだ……? ああ……」



 そう呟いてアイリーは沈黙した。誰に確認するまでもない。



 エレメンタリストに殺害され、免罪を確実なものとする為に事件そのものが無かったものとされた。



 アイリーの推理を裏付ける様にイノリがアイリーに語った。



「そこまで分かれば事故原因調査室のデータベースに照会する事で簡単に状況が確認できたわ。原因未解明、過失割合を算定した上での示談不成立のコールドケース内に該当があった」



 60年前。氏名不詳、つまり名前を伏せられたままで報告が上がってきた事故報告。過酷状況下での植物の耐久能力を実験する為にエレメンタリスト1名が実験予定地での酸素濃度を急激に下げ大気の組成割合を様々に変更しながらデータを収集していた。



 実験後に無人を確認していたはずの予定地で酸欠状態の空気を吸入した事による酸素欠乏症で死亡している研究員が見つかった。



 エレメンタリストと犠牲者は婚姻関係にあり共同研究も順調な進捗を見せ二者間にはトラブルの存在を確認できなかった。結果、事件性はないと判断された。



「…殺人じゃない……。 事故じゃないか……」



 データを確認したアイリーが呟く。イノリがアイリーの手を強く握り自分へと注意を促した。



「本来なら業務上過失致死傷害罪が問われるケースね。執行猶予などの判断もつくでしょうけれど、罪を問われる事は間違いない。でも事故を起こしたのはエレメンタリストだった。殺人免罪が優先して適用される……。 第三資源管理局から充分すぎる賠償が遺族に提示され事件そのものも抹消される……。 その意味が分かる?」



 アイリーの顔に僅かな困惑が浮かぶ。当事者がニナであった事は間違いないだろう。だが、これは事故だ。陰惨な殺人事件ではない。



 イノリがアイリーの顔を正面から見つめた。



「ニナは罪に問われることが無かった。事故そのものが犠牲者ごと、なかった事にされた……。 遺されたニナは何ができる?」



 イノリの目に悲嘆の色が浮かんだ。



「アイリー……。 もしここで私が死んでも誰もアイリーを責めない。ライアンが死んでも、それは貴方の罪ではない。想像して、アイリー……。 その上で事件が公的に抹消されたら。私の存在も、ライアンの存在も、最初からいなかったものとされて…… そして調査室だけが貴方に遺されたら…… あなたはどうする?」



 アイリーは想像する。罪を償う事はできない。事件も事故も存在を認めてはいけないからだ。誰に詫びる事も出来ない。謝罪を受け取る事は事件の存在を認める事になるからだ。



 自分の両親の顔が浮かぶ。イノリの両親とも面識はある。彼らは、我が子など最初から存在しなかった事にしろと強いられる事になる。この情報社会において我が子の痕跡が勝手に消去されていく。



 エレメンタリストが関与した殺人の全件に適用される対応ではない。その事件が存在しては社会的損失が大きいと判断された時に限って発動する法則だ。



 例えば、エレメンタリスト自身が携わっていた研究が世界的に重要なテーマであり、その完成が目前であった場合などがこれに該当するだろう。



 アイリーは自分の身に置き換えて想像する。自分の両親もイノリの両親もアイリーが事故原因調査室で今後も社会に貢献していくためならば我が子の存在の抹消も受け入れるだろう。アイリーへの愛情も確かに存在しているからだ。



 イノリの声は囁き声に近くなった。



「ニナの言葉の意味が分かったわ……。 花が香るのは自発的行為。 ミサキが言っていた続きの言葉もそう。鳥が高く飛ぶのも、魚が底へと潜るのも自発的な行為よ。その結果が捕食の対象となって自分の命を落とす事であっても、それは自分の行動の責任と言える」



「月が輝くのは太陽の光を反射しているだけで自発的な行動結果ではない」



 アイリーの言葉にイノリが頷いた。



「エレメンタリストに強いられている生き方の暗喩よ。自分の取った行動が悪い結果を招いても自分で責任を取る事を否定される。詫びる事も償う事も許されない。……その仕組みを作ったのは人間。自分達の制度の外にあるものには特権という蜜を与えて、自分達が当然に分け合って担う責任は一切を与えない」



 アイリーとイノリの連想の同調は高速で進む。アイリーは理解した。



「人間らしくあろうとする者から拒まれる……。 そして人間が人間らしくあろうとする姿を拒絶する……。 結果…… 人間から見捨てられたと感じる……。 それがアンチクライスト?」



 イノリが頷く。アイリーはさらにニナの言葉を思い出す。



「花が香る様に悪を為す……。 自らの行動に結果責任を問われる事を求めている?」



「そうしなければ夫が存在した証をもう一度、世界に取り戻す事が出来ない。彼女が求めているのは自分の罪に対する人間からの裁きよ」

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