05‐ 総司令 キドラッド・ガルシア
『うおお…… アイリー?東フィリピン海洋自治国だよココ?』
GPSで現在地を確認したリッカが驚きの声をあげる。
『海外かあ…… リッカさん通信環境は大丈夫?』
大丈夫、との返答を得たアイリーが周囲を見回す。広大な敷地は芝生と幅広の道路ばかり。大型の公園の様に見えるが敷地の端の方に大きな倉庫が見える。遠くに輸送ヘリが待機しているのが見える。
大気に満ちる香りがアイリーが暮らす街とまるで違う。良い悪いの話ではなくその土地の植物生態系、分布の割合の違いがもたらす差異だ。人は0.5%以下の大気中の成分構成比を嗅覚で感じ取る機能を持っている。
「航空救難情報の中枢センターだ。首都からは30キロほど離れている」
「俺の拉致連行を指示されたのは将軍位・総司令職にある人という事でした。ミサキさん、あなたは俺と一緒に行動できるんですか?」
一介の兵士が随行できるのか?という意味の問いかけにミサキは笑顔を見せた。
ミサキの浅黒い肌から粘度の高い塗料の様なものが浮き上がってきた。瞬く間もなく全身を覆いつくし髪にも広がりその外見を変える。
年の頃50代の白人種の姿になるのに数秒もかからなかった。額をさらして編み上げたドレッドヘアは両サイドを短く横に流しフロントトップは立ち上げながら後ろに流す50代に相応しいビジネスシーン向けのスタイルに変わっている。
「体表に被膜を作る事で自分の姿を変える。水界のエレメンタリストが得意とする能力だ。アイリーさん、あんたナビゲーターを装備しているんだろう?便利で羨ましいな。俺を相貌検索してみてくれ」
『キモっ!』
『いやリッカさん、検索結果を……』
リッカが相貌検索結果をアイリーに伝えた。東フィリピン海洋自治国の中枢で権限を振るう総司令の一人、キドラッド・ガルシアと一致していた。
「……。 本人ですか?」
司令のガルシアとしては本人だよ。とミサキが笑って答えた。
リッカが相貌検索でミサキ・サラザールを探しきれなかったのは本当のミサキはさらに別の顔を持っているからだろう。目の前にある庁舎からコンバットスーツを着た兵士達が駆け寄ってくる。
「合衆国連邦捜査局から取引の上でアイリー・スウィートオウス氏の身柄を預かった。VIPとして扱え。襲撃者に連絡を入れる。通信機を」
堂々たる風格を見せながらミサキが兵士達に指示を出した。襲撃者、ニナは20分程でこちらに到着するという。そのやりとりにアイリーは疑問を抱いた。
「転移すれば一瞬なのではないのですか? それに向こうから出向いてくる?」
今は応接室に場所を変えてニナの到着を待ちはじめたミサキがその問いに答える。
「転移というのは空間の置き換え能力の応用なんだよアイリーさん。発動条件となるのは両方の空間を自分が明確にイメージ出来る事……。 自分が実際に行った事のある場所か面識のある者の近くでなければ転移は出来ない」
ミサキがアイリーの元へすぐに辿りつけたのは元々エドワードと面識があったから、本国への帰還先にこの基地を選んだのはニナがこの基地を訪ねてきた事がないから、連行の報告は一刻も早く行いたいが引き渡しまでに時間は稼ぎたい。その為の方便だとミサキが説明する。逃亡を防ぐためにこの場で引き渡したいとニナに要望したという。
「あの襲撃者が俺と直接会ったら俺がエレメンタリストである事はすぐに気づくだろう。間違いなくエレメンタリスト同士の能力戦になる。それが俺の狙いなんだよ、アイリーさん」
「実力で彼女を排撃するつもりですか?」
ミサキが頷いた。
「あの襲撃者の能力は未知数だが勝敗をつける事が目的じゃない。エレメンタリスト同士が衝突した場合、仲裁に治安介入部が出てくる。治安介入部の実力は桁が違う。俺はそれが解決策になると思っていたが…… 」
ミサキがアイリーに笑顔をみせた。顔つきが全く変わっても人柄が醸す雰囲気は変わらない。
「アイリーさん、あんたがハリストスと呼ばれ襲撃者自身がアンチクライストというのなら、あんたが考える解決策も準備してもらおう。その為の時間稼ぎでもある」
そう言いながらミサキは考える素振りをみせた。
「エレメンタリストは超常と言える力を持ってはいるが基本の生活は人間と同じだ。人間社会からは十分すぎる恩恵も受けている……。 人類全体を憎むような理由がまるで思い当たらない」
「ニナは‟花が香る様に名誉を求めて悪を為す”と言っていました。その意味が分からない。それにニナは過去に森林形成科学の研究で成果を上げていた。精神的にも安定した生活環境にあったはずだ。彼女の過去が想像できない」
アイリーの言葉を聞いたミサキの顔に一瞬、暗い影が差した事をアイリーは見逃さなかった。
「花が香るように……。 名誉を求めて……。 襲撃者はそう言ったのか?」
アイリーが頷く。ミサキが何か記憶をたどる様な表情をみせた。
「花が香るように、鳥が空へと羽ばたくように、魚が底へと潜るように……。 そんな言い回しを聞いた記憶がある。何の話の時だったか……?」
そう言ってミサキは応接室に置かれた水差しを見ながら掌をテーブルへとかざした。
小さな音を立てて三角形のプリズムが現れる。水差しの水位が僅かに減ったのをアイリーの目は判別している。ミサキがプリズムを拾い上げてアイリーへと手渡した。
「もし、襲撃者との闘いの後に俺と話が出来ないまま襲撃者を追い続けなければならない状況になったら、このプリズムを持って非政府組織・ヴァーニラのシャオホンというエレメンタリストを訪ねてくれ。そして今の話をしてくれ。何か答えが出る可能性がある」
アイリーは黙ってプリズムを手に取った。触った感覚は室温と同じ。材質はガラスでもアクリルなどでもない。
「融点が80度の氷で作ったプリズムだ。物質の沸点と融点を自由に変えられる俺が遊びで作るオモチャだよ。オモチャだからこそ、こんなもの俺以外には誰も作らない。紹介状代わりになる」
「シャオホンという方にはどこへ行けば会えますか?」
アイリーの問いにミサキが破顔した。
「ヴァーニラは別に秘密組織でもなんでもない。検索してくれれば連絡先はすぐに分かるし俺の名前を出してシャオホンに取り次がない者はいないよ」
窓の外にドイツ製の高級車両が基地内へと進入してくるのが見えた。




